コロニー通信

稲荷田康史

第一回

 えーっと、あの、こんにちは。とにかく、これから、この紙面で何かやってみせないといけないんです。なぜかっていうと、ともかく何か書いてくれと頼まれたからなんです。これは小さな機関誌みたいなものなんだけど、今まで担当していたライターの人がいなくなっちゃったらしいんですね。それで、ひょんなことから私に急にバトンタッチされてしまったんです。そのいきさつは、またおいおい説明することになると思うんですけど、どうしても断れないらしいんですね、これが。困ったなあ。それに、前任のライターの人がどんなものを書いていたのかも私知らないんです。あっ、この雑誌自体、私、読んだこともないんですよね。でも何か書かなきゃいけないんです。参ったなあ。どうしようかな。何しようかな。うーん、それじゃとりあえずエッセイからでも始めてみますかね。エッセイ。エッセイって言うんだよね? 今、私、学校の国語の授業で習ったことを懸命に思い返そうとしてんだけどさ。おぼろげな知識はないわけじゃないんだ、その方面の。文学?  文芸っていうのかな、そういうことだよね。

 はい、それじゃエッセイからいきます。


 「ほめられた」


 思えば学校の先生に作文をほめられたことは一度もない。作文はすごく苦手だった。音楽に関しても一度もほめられたことはない。人前で実技をするのが苦手だったのだ。しかし、絵だけは一度中学の先生にほめられたことがある。本人は、その時、美術には全く関心がなかったのに。


 私の記憶では人にほめられたというのは二回しかなくて、一度は前記の通りだが、もう一度というのは大学卒業の時である。私は大学をほんとにギリギリで卒業したのだが、その時に「最後はよくガンバったな」と教授にほめてもらったのである。しかし、これは社交辞令であろう。


 散髪に行ったあとに限って「いい男になったな」と言う人がいるが、これは何なんだろう?


 思い起こせば私はキレイな女の人しかほめたことがない。どうしてかな?


 自分で自分をほめてあげようという気にもあまりならないようだ。何故もっとちゃんと出来ないんだと思うことはあっても。ただ一定の自信や自己満足は常にあるものだが。


“ホメ殺し”という言葉もあるが、私には通用しない。人をホメ殺そうとも思わない。


 主観的/客観的というが、客観的というのも現実的には他人の主観でしかない。

 最終的には、自分の客観性を信じるしかないのだろう。


(でも、ほめられると悪い気はしないんだろ?)

(うん)


               (おわり)

                               (第一回 おわり) 

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