Phase 06 ― out of the pages(ページの外で)

状況を理解するのに、暫く時間が掛かった。

 いや、暫くフリーズしていたと言った方が正しいのかもしれない。

 レイは、真っ白な視界で、まず自分の手足の位置を確かめた。何も見付からない。感覚も無かった。

I see, we got in a mess(成程、えらいことになったな)、と独りごちた。

上下左右が存在していない。なんとも分かりにくい状況にある。

レイはまず、自分とその他の物体とを隔てるパーテーションの位置を探した。輪郭を捉えると、順繰りに、手足と身体の感覚が、明確になっていった。やっぱりこのほうが落ち着くな、と思う。

続いて、自分以外の物事のかたちを捉えてゆく。

見た目には無と混沌の区別がつかない空も、実際は無数の原子の海だと知ったのは、リデルに来る前、まだ幼い頃だった。その感覚を思い浮かべるのが、レイにとって一番た易い。

次第に、真っ白な視界が、知覚で色分けされる。

レイは巨大な水槽の上に立った。

足元の分厚いガラスを隔てて、水槽の中に、ミニチュアのようなノワシールの町全体があった。

まず中央のブロックの、図書館と学校の隣の研究施設で、イランの姿を見つけた。

続いて自宅の位置をズームし、舐めるように眺める。教授を手探りで探し出してから、ようやくレイはイランに語り掛けた。

『Iran, can you hear me? I need your help』(イラン、聞こえるか? 手伝ってくれ)

『Ray?』(レイ?)

『Yup』(ああ)

『It looks something is wrong』(なんだか変な事になってるみたい)

『I know. Wait a minute. I will pull up you』(知ってる。ちょっと待て。お前を引き上げる)

『Got it』(分かった)

続いてレイは、教授にも語り掛けた。

『Professor, can you hear me too?』(教授、聞こえます?)

『Yes I do hear you』(聞こえるよ)

『Ok then, first of all, can you both switch language setting to JA?』(よし、それじゃまず二人とも、言語設定をJAに切り替えて下さい)

『Language? To JA?』(言語を? JAに?)

『Yes』(そうです)

『Roger that』(了解)

短い沈黙を経て、レイの前に二人の人影が現れた。

揺れる短い黒髪の女性と、銀髪を一つに束ねた中年の男性。イランと教授だ。

「――よ、お二人さん無事か」

「良く分かんないんだけど、無事っぽいよ、私は」

「僕も、……というより訊きたいんだが、何が起きている?」

教授が開口一番、レイに尋ねた。

「お宅の娘さん、てか息子さんですよ。坂本さん」

淡々とレイが返し、教授は思わず頭を抱えた。

「灯台下暗しとはこのことか」

「だから日本語に切り替えてもらいました」

「なるほどね」

イランが隣で頷いた。

「そのほうが良いわ。我々の会話があの子に盗み聞きされても、翻訳するのにリソース食うからまだマシでしょうよ」

「そゆこと。なので口語俗語満載でよろしゅう」

「で、ジェンはどうしてこうなったわけ。人格も気候も物理演算も全部フリーズさせられてるよね? ……あ、もしかして、私がこないだから追いかけてた基幹部分の狂いも、そもそもの原因はジェンなのか」

「かもしれんが、俺、には分からん」

レイはイランの問いには答えず、隣で渋い顔をしている教授に話を振った。

「教授、心当たりあります?」

「うーん……」

教授は暫し考え込んでから、口を開いた。

「心当たりか……。無いと言っちゃ嘘になる。だがあの子は、僕には何も話してくれなかった。むしろ――親の僕より、フライズのほうが、あの子に同じ目線で寄り添ってくれてたかもしれん」

「俺も同感っす」

「――ねえ、フライズは何処にいるの?」

不意にイランが、心配そうに言った。

「私がうちを出た後、レイはフライズと一緒にいたんじゃないの?」

「見失った」

「馬鹿」

「あいつ、ファイアウォールの穴をくぐりやがった。逞しい奴め。一応追っかけたが、その結果がこの通り。俺はここへぶっ飛ばされた」

「無理もない。フライズと僕らじゃ、物の見え方がまるっきり違う筈だ」

レイは、教授の見解に頷いた。

「まさにそれが、あの時点で分かれ道を形成したんだと思います。ほんで――こっからは俺の百パー個人的な憶測なんだけど。フライズは今頃、ジェンを追い掛けてるんじゃないかと」

イランと教授の顔をレイが順に伺うと、二人とも真剣な眼差しで頷いた。

「私も、その可能性は高いと思います」

「僕はジェンを探そうと思う。フライズの事は――君らに任せていいか」

「半分同意、半分反対てとこですかね」

「なんで?」

「イラン――教授と一緒に行ってくれ」

イランが目を丸くした。

「え? 私?」

「ああ。あれ見ろよ」

レイは、足元の水槽の中に広がるノワシールの町を顎で示した。イランも町の様子を見下ろし、口をつぐんだ。

「危ないのは、フライズのほうじゃない」

「……分かった。私達はラボからどうにかしてジェンを追い掛ける。そっち、よろしく」

「合点承知の助」

「君、わざわざあの子の語彙に無さそうな言葉選んでんの?」

イランが呆れ顔で言った。

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