ep.1 逃亡と捕獲
新月が浮かぶある初秋の晩のことだ。
縺れそうになる足を必死に動かし、森のなかを息を切らしながら走る白い少女がいた。白い、とは比喩表現ではなく何もかもが白いのだ。白い髪、白い肌、白い簡素なワンピース…唯一白くないのはその少女の瞳だ。片方はアメジストを嵌め込んだようにキラキラとした美しい紫色を放っており、もう片方はエメラルドのように静かだが明るい翠色をしている。
彼女の数キロメートル後方には真っ黒なローブに身を包んだ四人が馬に乗って走っている。男女はわからない。彼女と同じ方向に向かっており、状況から察するに彼らが彼女の追手であることは間違いなかった。少女が転倒する。裸足の限界が来たようだ。彼女の足の裏は小枝等のささくれで流血しており、酸鼻をきわめていた。少女も終わりを悟ったようで小さく蹲り、その細い腕で両膝を抱え込んだ。嘶きが聞こえ、木の陰から現れた四人の姿を少女はその瞳に捉えた。最早逃げることはできず、静かにその少女は追手の方に向かってふらふらと歩き出した。それを見た追手たちは手綱を引き、馬をその場に留まらせた。
しかし、どこからか男の声がし、少女は動きを止めた。「お前はなぜもう諦めるんだ?」と。だか、少女にしか聞こえていなかったようで、突然動きを止めた彼女を訝しげに見る四人。少女は気のせいかと思い、再び歩き始めようとしたところで突然剣が彼女の進路を塞ぐように降ってきた。グサッという音共に地面に突き刺さった剣はひたすらに美しく、月明かりに照らされて高潔な光を放っていた。
驚きのあまり少女が動けないでいると剣の後を追うようにして一人の男がひらりと舞い降りた。その男は少女と正反対で全身が黒で統一されていた。黒髪、少し日に焼けた肌、黒い戦闘服、黒い長靴。しかし、彼もまた瞳の色だけは違った。少女の片目と同じアメジスト色だった。
「俺の声、聞こえなかったのか?それともわかってて無視したのか」
「え……」
「ほう……気のせいと思っていたとな。まあ、いい。お前はアイツらから逃げてたんだろ?」
少女はこくりと頷く。
「でもその足じゃもう逃げれないと思って諦めたんだろ?」
少女はまたこくりと頷く。
「なら、俺がーーー」
その青年は口の端をにいっと引き上げると言った。
「俺が逃がしてやるよ」
そう言うや否や光の速さで目の前の剣を抜き、四人の元へと走り出した。男の姿を認めた四人は馬の上で何かをぶつぶつと唱え出した。魔術師らしい。紫色の怪しい光を放つ球体があっという間に青年の周りを取り囲んだ。青年はふっと余裕の笑みを溢した。
「やれるもんならやってみなよ」
この文句に挑発されたように一斉に光の玉が彼目掛けて飛び出した。辺りがもくもくと煙に包まれ、状況が見えない。少女は塵で涙目になりながら必死に目を凝らして青年の姿を探した。どこにも見つけられずがっくりと肩を落としているとすぐ後ろから声が聞こえた。心地のよい低い声だ。
「後ろにいる。飛ぶぞ。捕まっとけ」
彼に腰を抱き抱えられ、すぐにお姫様抱っこの体制になった少女は慌てて彼の首裏に両手で捕まった。彼が詠唱なしで魔方陣を出現させると魔法に気がついた四人が慌てて駆け寄ってくるのが見えた。
「残念だったな。今回はこれでお暇するぜ」
彼が言い終わるのと魔方陣が発動するのはほぼ同時だった。
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