PAGE.289「聖界異譚・運命の日(その1)」


 ……今日の空はやけに暗い。

 まだ夕刻を迎える前のはずだ。これだけ空が暗く見えるのは雲行きが怪しいせいなのか、それとも嵐が来る前兆だというのか。


 光一つ入らないせいで大地が真っ暗に見える。

 ……コーテナの顔も、ヒマワリのように眩しい満面な笑顔とはかけ離れた、覇気のない消極的な表情を浮かべている。


 こんな表情をする子だっただろうか。

 コーテナの瞳は、親友であるはずのラチェットをずっと見下ろしている。


「……おい、コーテナ」

 ラチェットは立ち上がり、体についた土をはらう。

「……もう一度言う。行くゾ」

 その手を差し出す。


「お前のために皆が体を張ったンダ……皆、お前に生きていて欲しいって願っテル……だから」

「口を慎め、人間風情」

 少女はその手を握ろうとしない。

 それどころか、助けに来たはずのラチェットに寄り添う気配も見せない。


 皆が助けに来てくれた。それを聞けばコーテナは喜ぶはずだった。


 だが、彼女は喜ばない。

 ましてや助けに来たはずの仲間達を“人間風情”とまるで下等生物のように言い切った。


「……何言ってるんダ、コーテナ。こんな時にふざけてる場合、」


「慎めと言っている」


 言葉が遮られる。

 訳の分からない事を言い続けるコーテナを無理やりにでも連れて行こうと発した言葉は最後まで彼女に届くことはない。


 火の玉だ。

 彼女が最も得意としている炎の魔術。人間相手に撃てば火傷程度ではすまない威力の火の玉をラチェットに向けて撃ったのである。


 当たってはいない。ギリギリで頬を掠めた。

 それでもこの威力……肌に焦げカスの火傷が残るほどの威力。


「……コーテナ」

 ラチェットは突然の奇襲を前にしても驚きはしなかった。

 驚くことよりも、この光景の歯がゆさを呪うかのように噛みしめている。骨が成りそうなくらい、有り余る力を込めて握り拳に力を入れている。


「お前……ッ!」

 その暗い瞳の正体。輝くことのない薄暗い顔。

 光など一切映えることのないコーテナの姿を前に、ラチェットは唸る。


 何とも無慈悲な事なのか。どれだけフザけた運命なのだろうか。

 逃れられることは出来ない。少女の中にそれが宿る限り、少女は永遠にその苦しみに追われ続けることとなる。


 ___彼女は永遠に安息は来ない。

 騎士団長ルードヴェキラの言葉が脳裏によみがえる。



「……」

 コーテナはラチェットに何一つとして返答することはない。

 繰り返すのは無慈悲の砲撃。大切な仲間であるはずのラチェットに向けて、殺すつもりの火力が籠った弾丸を次々と撃ち放つ。


「ぐっ!?」

 避ける事で精一杯。ラチェットの体には魔力なんてものは一つもない。反撃する手段なんて何一つない彼は逃げることでしか、その場をしのぐ方法はない。


 次々と放たれる炎の弾丸。

 ……次第に弾丸の色が漆黒に染まっていく。


 炎の魔法だけではない、炎を放つ腕から現れた黒い炎が徐々にコーテナの体を包み込んでいく。あの時、あの日のように意識一つ失った冷酷な悪魔。

 

 世界を闇へ包み込む邪悪の化身。破壊の権化。

 光一つ入らない暗雲の空。その景色を背景に映る少女の姿は……古代人が遺した壁画に記された、“魔王”そのものとも言える姿へと変わっていった。


「やめろヨ」

 ラチェットは声を上げる。

「やめろッ……コーテナッ!!」

 自身でも耳が割れそうな咆哮をラチェットは上げる。


「……」

 少女は応えない。

 仲間に向けて放つのは言葉などではなく、殺戮の砲撃。


「あぐぁッ……」

 その炎は肩を掠る。

 魔王。その残りカスは存在が微塵であったとしても相当な量の魔力が秘められている。魔王の魔力が込められた黒い炎は掠っただけでも少年の体を毒素で蝕んでいく。


 魔族界の環境は人間では対処のしようがない。毒でしかない。

 肩にこびり付いた炎の焦げカスから体全体に魔物の毒素が溢れていく。臓器に筋肉、人間が生きるために必要な細胞。それを一瞬にして殺していく。


 それは想像を絶する痛みだった。

 まともに食らっていないはずなのにラチェットは立ち上がる体力すらも削られる。助けに来たはずの少年は肩を抑えながら唸るのみ。


 地獄だ。その痛みは地獄。

 痛みだけでもなく……彼の目に映るその全ての風景が耐え難い地獄。


「どうして……」

 しかし、ラチェットは立ち上がる。

 ビシッと立つことなど出来やしない。杖を失った老人のように情けなく、無傷であるはずの両足も枯れ木のように萎れて支えにすらなりそうにない。


「どうして、お前は……」

 倒れそうになる。声を出すだけでも体が果てそうになる。




「情けなイ、こんな時に、何もできない……!!」

 立ち上がる意識すらも奪われそうになる。

「お前を助けた時、俺には役不足かもしれないって口にシタ……実際その通りなのかもしれないヨナ、この結果ッ……」

 それはいつにも増して、ラチェットらしくない覇気のない言葉。


「俺に大した力はなかっタ……お前を助けられたのも、お前の望みを叶えられたのも……全部精霊の力だった。俺の力じゃなかっタ……」

 自身の胸を掴むとラチェットは心臓を縛り付ける様に拳を絞める。


 ___無力だ。

 ___自分の力だけではどうしようもない。無力な自分に少年は腹を立てている。


 叫ぶだけで何も起きるわけもない。

 そんなのは無駄な事だと分かっている。それを一番わかっている彼のはずなのに……ラチェットはいつもは口にしない言葉をコーテナにぶつける。


「だけどナ……お前を助けたいという意志。どう踏ん張りつけても諦めきれなかったこの意志だけは……紛れもない“俺の力”のつもりだッ……!」


 体の震えを、少しずつ、振りほどいていく。

 

「こんな俺を頼ってくれた……生きる理由も生き甲斐も、取り柄も自慢できることも何もなかった俺の事を“友達”だと言ってくれたッ……胸を貸せる相棒だと言ってくれたッ!!」


 今一度、蝕まれていく体に鞭を打ち、奮い立つ。


「……嬉しかった」


 いつもは口にしない。絶対に口にはしない言葉。

 プライドも高く照れくさい。そんな彼が絶対に口にすることはないであろう本当の言葉。


「こんな空っぽな俺に……こんなにも暖かい繋がりが出来たッ……!!」


 彼女は彼の力を見て頼ることを選んだのか。それとも、彼の人柄に触れてついていく事を決めたのか……それはきっと分からない。

 少なくとも、彼女が決断できたのは精霊の力を見たことが関わっていないとは言い切れない。ラチェットはずっと思ってきた。


 ___例え“自分の中の力”を頼っていたのだとしても。

 ___二度と出来ることはないであろう友達が出来た事がとても嬉しかった。


 ___頼ってくれたことが、認めてくれたことが何よりも嬉しかった。


 ___友達だと……仲間だと言ってくれたことが、本当に嬉しかった。



「俺は……お前を救う」

 ラチェットは魔導書をそっと地面に置く。

「“俺の意志”で、お前を救う……ッ!」

 仮面に手を当て、そっとその場に身を伏せる。


「……聞こえるカヨ、精霊皇」

 語り掛ける。体の中で眠っている救世主に語り掛ける。


「お前、世界を救わせるために俺を呼んだんだよナ……ああ、イイヨ。救ってやル。お前の頼みを聞いてヤル……だが、それだけの大仕事やらせるってんナラ、俺の頼みくらいも聞いてくれるヨナ……!!」


 魔力が溢れてくる。

 少年の体に、無尽蔵にも近い魔力がこみ上げてくる。


 少年は口にする。

 



「世界を救う前に、俺の“友達”を救わせろッ……!!」



 世界を掃う極黒の炎。

 それに対する白い光。眩い閃光がラチェットの体を包み込む。


 魔導書がラチェットの体に入っていく。

 仮面に描かれていた文字が消えていく。



 ラチェットの背には……精霊皇と同じ、天使の翼が具現する。


 その姿は魔王を討ち果たす世界の光。


 かつて世界を救ってみせた精霊皇そのものの姿となったラチェットが現れる。


「コーテナ」

 精霊皇の魔力が支配しているラチェットの体。 

「お前を必ず、闇から引っ張り出すッ……!!」

 だが、そこにいたのは精霊皇に体を預けた器の少年ではない。




 “精霊皇の力を、自らの意思で操ってみせる”ラチェットの姿であった。

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