PAGE.278「天使は酷に蔑み、悪魔は含み笑う。(その1)」


 本当の姿を露にしたィユー。

 巨大な狼。自身のペットであった番犬よりも一サイズ大きいその姿。人間一人であれば丸のみは余裕で叶う獣。


 ロアド達の目の前に立ちはだかったのはそれだ。

 巨大な怪物に歯向かえたのはドラゴンがいたからだ。そのドラゴンが今となっては致命傷を受け続け、一切の行動が困難な状況に。


 動けるのは主人のロアドだけだ。

 しかし、どうしたものかとロアドは拳片手に考える。

 

 ロアドが使える魔法は肉体強化ただ一つ。魔衝に至っては動物との念会話でしか使用できない為に何の意味も持たない。

 念会話はその会話相手が受け入れないと成り立たない。コミュニティをシャットされていれば、その念会話は何の役にも立たないのだ。


 つまり、あのような怪物の姿となったィユーの思考を読み上げることは出来ない。


 この肉体強化のみでどうにかなる相手なのだろうか。

 あれだけの大型のサイズ。仕留めるのであれば、一撃でカタをつけなければならないが……それだけの威力の攻撃をこの瞬間に出来るのだろうか。


 狙うのならば頭蓋骨。

 そこを叩き割られて平気な魔物は今まで一体としていなかった。飛び込んできたところに最大火力の拳を突き入れて気を失わせるしかない。


「やってやろうじゃないのよッ!!」


 残されたほんの一瞬の時間。

 制服の内側に隠しておいた魔導書を密かに発動。肉体強化により、一発のパンチの威力を今出せる最大火力にまで跳ね上げる。


『___!!!!』


 大狼・ィユーは雄たけびを上げる。

 食い殺す。ここまで癇に障らせたド畜生どもを一瞬で餌にしてやる。人間は勿論、その人間に魂を売ったクソ魔物も含めて。


 人間の言葉を発せなくなっているというのに、その感情だけがダイレクトに伝わってくる。それだけの殺意をこの狼は浮かべている。


 牙を立て、人間を丸のみにしようと突っ込む。

 何度でもすり潰してやる。その悲鳴が肉をこね上げるエゲつない音に変わるまで、生きることを後悔させてやるまでと、その衝動のままに突っ込んだ。


「一発勝負……!」

 足に力を入れる。

 口を開く前、その寸前の距離に近寄られる前にロアドは自分からィユーの目の前にまで突っ込んでいく。


 自らが弾丸となる。相手が視認できないレベルの速さにまで加速する。

 近寄れた。口を開く前に大狼・ィユーへと近寄ることが出来た。


「くたばれっ!!」

 頭に一撃を入れた。岩盤一つヒビを入れることは余裕の破壊力。

 ィユーの動きがピタリと止まる。その反動を前に瞳を閉じて唸っているようにも見える。



「!!」

 しかし、この感覚。

 拳に伝わる妙な歯ごたえ。そして、体全体が後ろへ押し戻されるような波。

(ダメだ、やっぱり浅い……!!)

 動きを止めることは出来ても致命傷になっていない。

 地面を踏ん張り攻撃を耐える事を選んだ狼。そうすれば当然力の差でロアドが勝てるわけもなく押し返されるだけである。


 容易く押し出されてしまったロアドは無力なまま地面を転がる。

 拳の先端が痛む。今も一撃で頭蓋骨を割ってやると考えてしまった矢先、拳の骨をやってしまったのは攻撃を仕掛けたロアドの方であった。


(まずいっ……!)

 地面を転がり無防備なその姿。

 そのチャンスを狼は絶対に見逃しはしない。


 寄ってくる。狼が今度は逃がさないと牙を立てて寄ってくる。

 あれだけの大きなサイズの口。想像以上にも大きかった口がブラックホールのようにロアドの体に迫ってくる。


「___!!!」

 その牙。その風景が真っ暗な何かに覆われる。


 グラムだ。ロアドのドラゴンであるグラムであった。

 ボロボロの体であっても主人を守ろうとする健気な姿。『死ぬな』と言わんばかりの鳴き声を上げ、グラムは少女の体を覆い隠す。


「グラム! 無茶だよ!?」

 次にあの牙をくい込まれたものなら、致命傷どころの問題ではない。どれだけスタミナに自信があるドラゴンであろうと絶命する。


 あの牙が心臓をとらえたら……助かる保証は何一つない。


「やめてグラム! そんなことをしたら……!」

 何度もグラムのお腹を叩くがどこうとしない。

 てこを使っても動かないだろう。主人に死んでほしくないと願うグラムは死ぬ覚悟を持って少女の鎧となる道を選んだ。


 迫る牙。

 ィユーはその鬱憤を牙に込め、さらに距離を詰めた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 森林地帯では精霊騎士団のイベルと雷の闘士マックスの戦いは続いている。

 その最中に告げられた真実を前に、少女は何を思うのか。


 固まっている。

 巨大な猪の姿となったイベルは固まってしまっている。


「……助けたところでどうしようもない。彼女に未来は残っていない」

 仮にこの一件から彼女を救ったとしても、彼女は魔王の力を一生背負って追われる身。騎士団に保護されたとしても処刑される未来しか待っていない。


「私はあの娘の未来がそんなものでは困るのでな……精霊騎士団、すまないが邪魔をしないでいただこう」

 マックスの姿がその場から消える。


 雷の闘士。その異名通り、彼自身がイナズマのようなものだ。

 電流のようにその身を捻じ曲げ、気づいた時にはイナズマと共にその場へ姿を現す。


 あたり一面を駆け巡るイナズマのような姿。古代人の残した壁画の記録にも残されている……“魔王の側近”とまで謳われた、闘士の中でも名高い存在の一人。


 人間の手では確実に負えない相手。地獄の門の中にも彼に追いつく魔族がいるかどうか疑問とされていた最強の魔族。


 イナズマの迸る拳を巨猪の頬にぶつける。

 猪の姿になったイベルは彼よりも五倍近くの大きさになっていたはずだった。それだけの体格差があるにしてもこのパワー。


 イベルの体は数本の大樹をなぎ倒し、吹っ飛ばされていく。

 そして体中に走る電流。臓器の数個が電流によって麻痺を起こし、呼吸困難に神経麻痺、数多くの症状を体に生じさせる。


 たった一撃。たった一撃で本領発揮を見せた精霊騎士団を追い詰める。


「……呆気ないな。今の騎士団はその程度か」

 数千年に渡る戦いを生き抜き、そして戦いの終わったこの数百年もの間、身を潜め続けてきた闘士との戦闘能力の差は歴然だった。


 違いすぎる。実力も経験もその数値に決定的な差がありすぎる。


 騎士団に入って歴の浅いイベルが到底勝てる相手ではない。

 

「……む?」

 マックスは転がるイベルに視線を向ける。




 イベルの体が肥大化していく。


 まだだ。彼女の身体はより凶暴な獣の姿へと変わっていく。


 体の大きさは元の大きさなんかとは比べ物にならない、さっきのサイズよりも二倍以上の大きさ。筋肉や皮膚の膨張も繰り返し、体の活性化によって神経麻痺や呼吸困難などによる肉体の疲労もはねのける。


 その姿は本来の愛らしい姿を一片も見せない姿。

 エーデルワイスから禁じられたその真の姿を、より鮮明に現していく。


「……タフだな。うら若き乙女にしては根性も精神もタフだ。さすがは騎士団に属するだけの事はある」

 マックスは認識を改める。


「いいだろう。それだけの意地、相手をする価値は充分にある……!! こい、現代の精霊騎士団。この雷の闘士マックスが相手をする。その身を捨てるつもりで、かかってこい」


 地獄のイナズマが精霊騎士団イベルへと襲い掛かる。

 



 迫りくる閃光を前に、イベルは大地をも揺るがす遠吠えを上げた。

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