PAGE.253「深き闇の星」


 アタリスが笑う。

 何もできず、ただ無意味に足掻くだけの少年を前に嘲笑う。


「……俺を笑いに来たのカ」

 ラチェットは扉から離れるとベッドの上に座り込む。

 その態度はいつにも増して反抗的だった。殺意こそ生まれていないが、この上ない敵意を表情に浮かべている。


「見ない間にかなりやつれたな……いや、やつれていたのは元々か?」

「お前ッ……!!」

 近くにあった花瓶を握りしめる。


 ……あの少女に投げつけてやろうかと考えていた。

 しかし、ラチェットは次第に花瓶から手を離す。自分がやろうとしている事の虚しさに気付いたのか、徐々に拳から力が抜けていく。


「……配慮とは、お前らしくもない」

 受け止める準備をしていたものの、飛んでこなかった花瓶を前に肩を落とす。

 何処か残念そうな表情。つまらなそうな表情で腑抜けになりつつある少年を眺めている。


「いつも通りヤケになったらどうだ? その胸にこみ上げる苛立ちと無念を私にぶちまけろ。少年の我儘くらい、私は受け止めてやるぞ?」

「……やったところでどうにもならナイ」

 ラチェットは瞳を下に落とす。

 そこにいる彼は腑抜けどころの問題ではなくなっていた。


「今までアンタにヤケになれたのも……あの力のおかげだ。アンタに一矢報えたのも精霊のおかげ……俺の力なんかじゃなイ」

 シャレにならない能力を隠し持ったアタリス。並の魔法使いどころか凶悪な魔法使いですらも太刀打ちできない最強の少女。

 そんな彼女の度肝を抜けたのも全てはあの力のおかげ。その力を失った今となっては期待出来るような真似は何一つできないと告げる。


「もう俺に期待すんなヨ。暇なら他所をあたって、」

「ああ、そうだ」

 気が付けばアタリスが目の前にいる。


「その通りだ。人の子よ」


 気が付けば……中学生にも満たない背丈の少女に胸倉をつかまれている。

 

 少女が相手だというのにどうすることも出来ない。文字通り無力であるラチェットは少女の思うがままにベッドに叩きつけられる。

 仰向けで寝かされるラチェット。馬乗りに近い状態でコーテナはラチェットの胸を押さえつけながら、瞳を真っ赤にして凝視している。


「人間風情のお前が私に勝てるわけがない……幼子同然のこの肉体であっても、お前を黙らせるなど赤子の手を捻るように容易い事。今のお前の力など微塵の興味にしか値しない」

 その腕の力は幼子でありながら強靭。幼子でありながらその存在は膨大。

 次第に胸が苦しくなってくる。目の前で真っ赤に染まりつつある瞳も相まって、少年は深い恐怖と絶望に染まっていく。


「……っ!」

 そんな中、ラチェットは睨みつける。

 悔しい。こんな少女相手に何もできない自分が悔しい。


 その悔しさだけは譲れないのか、好き勝手言い散らす少女を睨みつける。


「……そうだ、その目だ」

 アタリスは笑みを浮かべ、少年の眼前にまで顔を近づけ、額同士を擦り付ける。

「私は、“その目が好きだ”」

 さっきまでの失望。退屈は消え去った。

 そこに映ったのは歓喜。ようやく帰ってきたかと言わんばかりの喜び。


「……私はお前達が面白いと思った。コーテナの健気さが好きだ。スカルとやらの剽軽さが好きだ……そして小僧。お前の中にある“強さ”に惚れ込んだ」

 顔を離すと、今度は少年の手を握り、昂りつつある己の胸に押し付ける。

 その鼓動は強く、手に触れただけでも直に伝わってくる。


「精霊皇の力といったか? そんな上塗りの力など、数日も立たずに飽きたわ。そうだ、真に私が気に入ったのは……」

 アタリスは身動き一つ取れないラチェットの胸に人差し指を突き刺す。


「“小僧の心”だ」

 アタリスは堂々と言い放った。


「お前はどの状況であろうと自分の意思を曲げなかった。最後まで自分の意思に正直だった。最後の最後まで、自分の中の決意だけは裏切らなかった」

「それは、あの力があったカラ……」

「ふふっ、小僧。相変わらず分かっておらぬな?」


 赤子をあやす。というよりは孫を可愛がるような素振りだ。

 愉快気に笑うアタリスは胸を突き挿していた人差し指をラチェットの額に押し付ける。


「人間という生き物は思ってる以上に脆弱だ。体は脆いし意思も貧弱。どれだけ強がって覚悟を決めようと、何処かで恐怖と甘えが邪魔をする……お前の過去とやらは知らぬが、魔法という世界が存在しない世界からやってきた小僧のような人間なら、尚更、恐怖には逆らえぬと思うがな」


 馬鹿にするように何度も小突く。

 次第にラチェットはその仕草に何処か懐かしい感情が芽生えてくる。


「……コーテナにスカル、そして学友達とやらも。お前の中の“光”に惹かれたのだろう。どれだけ荒み、どれだけ乱暴でぶっきらぼうであろうと……光り輝いているお前の中身にな」

 

 光。

 少女は胸の中に眠るその意思をそう例えた。


「精霊皇とやらに選ばれたお前だ……世界を救った英雄に選ばれた理由も分かる気がするよ。私はそこまで大層な存在ではないがな」


 幾度なく人差し指をつつく。

 少年の瞳に懐かしい歪みが見えてくる。


「……お前が望めば世界は変わる」


 再び、その顔を近づける。


「お前の望みを言え。私が、お前のワガママを手伝ってやろう」

 改めて問いかける。少年の本当の意思を。


「……小僧が言い出しやすいように、私も正直になってやる」


 少女の赤い瞳がいつもの無邪気な瞳に戻っていく。


「私もコーテナを救いたい。それはスカルも同じ、彼女と関わってきた全ての人間が願っている事だ……お前も、それに気付いていたはずだ」


 あの空気。あの無念。

 罪悪感を抱いてしまったのも、その感情に気付いていたからだ。


「さぁ、言え! いつも通りの、僧の生意気を聞かせろッ!!」


「……ッ」


 人差し指を跳ねのける。跨っていた少女を逆に押し倒す。


「ああッ...!!」

 ラチェットの表情には……いつも通りの苛立ちと素直さに欠けた瞳が戻っている。


「言われなくても……そのつもりダッ!!」

 アタリスにされたことと、同じことをやり返す。

 少年は人差し指を、脅威であるはずの少女の額に押し付けた。


「好き放題言ってるんじゃねぇヨ……本当に腹が立つ」


「……それでよい」


 アタリスはそっと少年の両頬に触れた。


「やはり私は間違っていなかった……お前は、本当に面白い少年だ」


「相変わらずだよ、お前……そうやって、何度も、俺達を、サ」


「ひとまず涙を拭け……その涙は、友を救った喜びの為に、とっておけ」


 ラチェットとアタリスの表情には。

 かつてのような、無邪気な笑顔が戻ってきていた。


「行くぞ。彼女を迎えに」


 涙を拭った少年。

 星はまた、光りだす。

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