PAGE.186「逃れられぬ哀傷(その2)」
クロを追い返したラチェットは頭を抱えながらリビングのソファーに座り込む。
かなりの時間がたった。落ち着こうと横になっても、一睡すらできない心境。
吐き気がしそうだ。彼女の父親を手にかけた、あの瞬間を思い出してしまいそうで……何度も頭を揺さぶっている。
ラチェットの判断は間違っていない。
だが、どうしても彼は煮え切らない想いに心が蝕まれる。
「おい、ラチェット」
あまりにも様子がおかしいラチェットを見かねてスカルが顔を出す。
何があったのか。いつもよりも元気のない彼を見て、聞かずにはいられなかった。
「お前どうした? 何というか、いつにも増してテンションが低いというか」
「気にするナ……」
フラつきながらもコーヒーメーカーへと向かって行くラチェット。この気分を一杯のコーヒーで誤魔化そうとしている……だが、やはりそう易々と拭いきれるものではない。
腕が震えている。
分量も滅茶苦茶だ。なかなか良い値段をしたコーヒー豆が台無しである。
「……何があった? やっぱり、おかしいぞ」
「何でもないって言ってるだろッ!」
コーヒーを飲む気が失せた。ラチェットはコーヒーメーカーから手を離し、外の空気を吸うためにガレージへと向かって行く。
とてもじゃないがジッとしていられない。というよりも、一人で気持ちの整理をしたいと願っていた。
「おい、ラチェット!」
苛立ちながら外へ逃げようとするラチェットをスカルは追いかける。やはりおかしい。今の彼は何か様子が。
玄関近くの階段を下りていく。今日は休みのためにシャッターを閉めておいた、少し薄暗いガレージへと。
「っ」
ガレージがやけに明るい。シャッターを閉め忘れていたようである。
その眩しさに目が眩んだのかラチェットはガレージに着くなり足を止める。
……ラチェットの視線の先。
「お前」
開けたままだったガレージ。そこで待ちかませていたのは帰ったはずのクロ。
「時間あるか?」
「今日は帰れって言ってるダロ。話すことは何モ」
「頼む……どうしても、話したいことがあるんだ」
クロはいつもの生意気な態度が消えてなくなっている。
いつの増して真剣な眼差しだ。年上相手だろうと平気で小馬鹿にしている目つきではなく、年上の少年に年下としての礼儀を見せたうえで懇願をしている。
……追い返すに追い返せない。
ラチェットは思わず歯がゆい気持ちになってしまう……そして、気が付いたら、足をクロの元へと進めてしまう。
「わか、ったッ」
静かに肯定してしまっていた。
「……じゃあ、外で」
ここで話す内容ではないとクロは口にする。
まさかとラチェットは脳裏を締め付けられる。考えすぎかと思いながらも、ラチェットは彼女と共に街へと出て行った。
「……ダメだ、気になるな」
後から追いついたスカルはラチェットの反応を見て何かを感じている。
クロに関係すること。ラチェットの心には、クロに対しての問題を抱えているのではないかと直感する。
留守番を頼むと一言残し、スカルは彼等を追いかけガレージを後にする。
「……俺達も行くか」
ガレージの外、アクセルとコヨイが待ち構えていた。
「はい、私も気になります」
ラチェットの様子、クロへの対応。帰ったはずの彼女がいきなり戻ってきてラチェットに話がしたいと一点張り。
……気にならないはずがなかった。
「ルノアさんは?」
「私は残る。コーテナちゃんの事も気になるから……」
一心不乱がため、来客がいた事を忘れて飛び出してしまったスカルの後を、学友の二人も急かす様に追いかけて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
見渡せば夕暮れになっていた。
思ったよりも時間が過ぎていた。噴水広場からは既に親子連れが姿を消しており、人影も多くなくなっていた。例の大量殺人や行方不明事件が相次いでいる状況だ。周りが薄暗くなれば、当然誰も外にはいたがらない。これだけの静けさは当然だ。
たった二人。ベンチに腰掛けるラチェットと立ったまま黙り込んでいるクロ。
クロの視線はラチェットから離れようとしない。まるで彫刻の銅像のようにピクリとも動きを見せようとしない不動の少年に。
重い空気。それが1分ほど続いた。
「……お前、俺の親父を止めてくれたらしいな」
その沈黙を破ったのは、クロだった。
「!!」
ラチェットがもしかしたらと抱いていた嫌な予感。
この手でクロの父親を葬った事。何処でその情報を手に入れたのか分からないが、あの事実が本人に耳に届いてしまっていた。
「話は聞いたよ。親父は既に死んでて、どうしようもなくて……取り返しのつかないことになる前に、お前が親父を止めてくれたって……気にするなよ。仕方のない事だったのなら、俺もそれくらいの区別は」
「何とも思わないのカ」
ラチェットも重い口をついに開く。
「本当に何とも思わないのカ……?」
震えている。ラチェットの体は恐怖のあまりに震えあがっている。
彼だけじゃない。
割り切ろうとしているクロの両手も震えている。
「確かにどうしようもなかっタ。あんな結果になっタ……俺は手にかけたんだ……! 俺は、お前の父親を殺したんだッ!!」
ずっと探していたという行方不明の父親。彼女が魔法を勉強する理由の一つであったというのに、その夢をこの手で壊してしまった。自身のことを歪な形でも慕ってくれていた少女の想いを踏みにじったことに怒りを覚えていた。
彼女が父親との再会をどれほど強く願っていたのかも知っている。何とも思わないはずがない。父親が死んでいいだなんて軽い気持ちで彼女が呟くはずがない。
「何か思うだろッ……言いたいことがあるならハッキリいえよッ! 本当にないのか!? そんなことがあるわけッ……!!」
「あるに決まってるだろッ!!」
クロの瞳から涙が伝う。
泣きながら、ベンチの上で座ったまま動こうとしないラチェットの胸倉をつかみ上げる。
「俺のたった一人の親なんだぞッ!? それをようやく見つけたのに、アンタが殺して……でも、それは仕方のないことで……もう、親父は死んでいて……だけどッ! 本当のことを言えば、ワガママだってわかってても、思うに決まってるだろ!!」
たった一人の家族の死にクロは泣いている。
「救ってほしかったって……ッ!!」
本音を言えば救ってほしかった。それがどれだけ我儘であろうと……せめて、最後だけでも、父親に会いたかったと。
父親に会いたい。その希望を少年は微塵も残らず壊してしまった。不本意だったとはいえ、その手で父親を殺してしまった。
「……だけど、お前。俺のこと、気遣ってくれてたんだって」
徐々に少女の腕の力が弱くなっていく。力が抜けていく。
「お前、なんだかんだ言いながら、俺のことを可愛がってくれてて……今回の事も、言い出すかどうかずっと迷って……一人で苦しんでッ……!」
そのまま、クロはラチェットの胸の内に顔をうずめていく。その小さな腕はラチェットの体を抱きしめている。
「そこまでされて……言えるわけないだろ……ッ! そんなお前に……そこまでのワガママは言えない!!」
泣き顔を見られたくないのか徐々に力がまた強くなる。その声はかなり震えていた。年相応の少女らしく、ずっと泣きじゃくっていた。
「ごめんッ……ありがとう……、親父を助けてくれて……ッ!!」
父親を取り返しのつかない犯罪者にしないでくれてありがとう。英雄のまま、娘としての自分の心の中で綺麗な姿のままにしてくれようとしてありがとう。それはきっと、上辺の言葉。
父親にはもう二度と会えない。その悲しみはきっと重く苦しいモノ。まだ十二歳という子供の彼女にその事実は耐え難いもの。
気遣ってくれた。今日という日までずっと可愛がってくれた。まるで兄のように面倒を見てくれていたラチェットを責められない。自身の心を守り続けようとした彼へナイフを突きつける事なんて出来やしない。どうしようもない現実は、クロを締め付けていく。
「……ごめんナ」
ラチェットは泣いているクロに小声でつぶやく。
「本当にッ……ごめんナ……ッ!!」
救いたかった。救えなかった。
粉々に砕けてしまった夢を前に、ラチェットはただ、無念を吐き出す事しか出来なかった。
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