PAGE.184「孕む不穏」
『ん、んん……?』
今日はいつにも増して不気味な目覚め。
目覚まし時計の音も聞こえてこなければ、夜明けを祝う小鳥たちのさえずりも聞こえてこない。夏場には当たり前のセミの鳴き声も、窓を程よく叩く風の音も。
無音だ。何に対しても無音。
しかし、ラチェットは”何かに叩き起こされた”ような感覚を味わった。
何より彼にとって、一番不気味に思えたのは、目が醒めた時には”自身は立ったまま”だったことである。立ったまま眠ったような記憶がないし、第一そんな器用な真似が出来る事もない。寝相でこんな姿勢になったのかと思ってもみるが、そんなことがあり得るのだろうか。
『ここハ……?』
何より、彼には覚えがない。
目の前に広がるのは人間の建造物一つ見当たることはない広大な草原。彼はこんなファンタジックな風景の中で眠りについた覚えは一度もない。
ここは何処なのか。一体何なのか。
ラチェットは身動き一つとれない。その風景と同化したように、ただ佇むだけ。
「おとうさ~ん!」
声が聞こえる。
猫の耳のようなクセ毛、嫌というほど耳にしたトーンだが今よりは幼い声。
分かる。目を向けた方向には想像した人物像と比べると全く違う人物がそこにいるが、ラチェットは感覚でその人物が何者なのかを理解する。
”クロ”だ。しかも幼い頃の彼女。
写真で見たこともある。どうして、幼い彼女がここにいるのだろうか。
「待て、クロ」
そして、もう一人。
少女に付き添う人影が。
『なっ……!』
それは、ラチェットにとって、その存在はあり得ない人物。
その場から逃げ出したい。その場から早く動いて謝りに行きたい。でも、それを体が許そうとしない。
”クロの父親・レイヴン”が幼い彼女と共に遊んでいる。
親子仲睦まじい風景。本来であれば、見ているだけで心がやすらぐような映像。
『なんで、これハ……』
そうだ、目の前の風景はあり得ない事。
親子の絆は……永遠に引き裂かれたのだ。
『おとうさん?』
レイヴンの体に黒い紋章が浮かび上がっていく。
次第にその体は風船のように大きく広がっていく。
『おとうさ、』
クロが一言吐こうとした矢先に、レイヴンだったなにかは大きく爆発する。
宇宙を創生したビッグバンのように、その世界全てを包み込み、その風景全てをブラックホールのように飲み込んでいく。あたり一面が漆黒になる。クロもレイヴンも、その場から消えていなくなる。
『あ、あぁああ……ッ!!』
暗闇の世界の中でただ一人、生き残っているラチェットは震え始める。
跪くことも逃げ出すことも出来ない。震える体を押さえつけることも出来ず、胸から込み上げる罪悪感へ成すすべもなく打ちのめされていく。
「君が、壊したのさ」
後ろから声が聞こえる。
黒い泥をかぶった謎の人物。大人っぽい身長に尖った眼鏡。影そのものが立体化したような何かが後ろから囁くように呟いて来る。
「君が、引き裂いた」
『違う、俺は……俺は、何も……ただっ、助けたくて、俺ハ……ッ!』
黒い泥がラチェットに張り付いて来る。
体のあちこちから生えてくる触手がラチェットの体を飲み込んでいく。悪魔の囁きは次第にやまびこのようにトーンとなって頭に響き始め、心の中は罪で支配される。目の前の世界も真っ暗になりはじめ、耳元も言葉しか聞こえない。
「君が、潰した」
少女の夢を、可能性を。
「君が、奪った」
親子の絆を、再会を。
”君が 殺した のさ”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「うわぁああッ!?」
昼前。太陽も真上へと移動した時間頃。ラチェットは目を覚ます。
今までと比べて一番最悪な目覚め。耳は痛く、目は虚ろで視界を歪ませ、胸に残る嫌なざわめきや締め付ける何か。
心臓が跳ねている。起きてすぐの彼はその感情を理解することが出来やしない。
「……っ」
目を覚ましたラチェットは起き上がる。
=魔法世界歴 1998. 9/22=
事件の一端を終えた彼はまだ、不穏を胸中に孕んでいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ノァスロの自爆、そして全ての殺戮人形の爆死。王都に蔓延る一つの脅威が去った後の後日の昼間。何でも屋スカルの事務所では陰鬱とした空気が流れていた。
コーテナはノァスロの自爆によるダメージを直に浴びてしまった。アクセルの指示が早かったために即死レベルのダメージは避けれたものの、現在は意識不明の重体となって、自室のベッドに横たわっている。
呼吸はしている。命に別状はないとのことだそうだ。
「チクショウ……事情が事情とはいえ、説教しがたいぜ」
今日は何でも屋スカルの事務所のシャッターは閉めている。とてもじゃないが仕事を行える状況じゃない。
シャッターの閉まったガレージは魔導書ランプ一つで照らされているため少しばかり薄暗い。その空間にてスカルは一杯のコーヒーを口にする。
事情は全てラチェットから聞いた。
ルノアが人質にされていたことも、周りにそれを話せる状況ではなかったことも。勝手に飛び出した理由もそうであるが、今の二人の様子も考えて、とてもじゃないが説教を出来る状況ではなかった。
「ごめんなさい……私がもっと、気を付けていれば」
人質にされた本人であるルノアも事務所に駆けつけていた。
コーテナを医療施設に運び出している途中、アクセルに担がれていたルノアもその場で目を覚ましたのである。最初こそパニックになっており、事情を聞いた後には更にパニックになるという面倒ぶり。
事情を把握し落ち着いたルノアは、一段落したところで彼女の見舞いにやってきたのである。
「そうですね。寝てる間でも敵を察知出来るようにならなければ、首の一つは二つ」
「無茶言うな! 完全感覚派の馬鹿剣士!」
同じく見舞いに来ていたコヨイの頭にアクセルのチョップが炸裂する。
「今回は仕方ねーだろ。牙が自分にかかるなんて想像も出来ないさ、普通」
アクセルのフォローが入る。
自分の身に何が起こるかなんて予想しづらいし、世界を騒がす出来事にまさか自分が巻き込まれるなんて漠然としすぎてて想像も出来ない。
それに寝起きを襲われたもんじゃ、たまったものではない。
「……ラチェットの奴、まだ部屋に残ってるのか」
意識のないコーテナの事をずっと付きっ切りで看病しているラチェット。もうかれこれ、二時間以上は部屋から動いていないようだ。
「コーヒーの一杯でも持って行ってやるか? 流石に疲れてるだろうに」
コーヒー片手にスカルは天井を見上げていた。
静かな空気。
葬式ムードの雰囲気の中で全員は溜息を吐くのを耐えている。この重い空気で籠ってしまう不気味な空気で生じる重荷に。
「……ん?」
コヨイが何かに気付く。
「誰か来てませんか?」
彼女の指摘で全員が耳を澄ませる。
シャッターを叩く音が聞こえる。しかもその音は最初こそ小さかったが、徐々に音量の段階を上げているようにも見える。
「休みって貼り紙が見えねーのか?」
頭を掻きながら、スカルは面倒気にシャッターを開く。
「おい、今日は休みだって書いてあって……」
シャッターを開けた先。
しかしそこには誰の人影も映っていない。
「あれ、誰もいない……」
「こっちだよ、おっさん!」
少し生意気な子供の声が、スカルの足元から聞こえてきた。
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