1-1 アイム・イン・パニック①
----というわけで皆様方、ようこそ異世界へ。
作業姿の彼が困り果てる姿を、もうしばらくの間、慈悲深い暖かな目で見守っていただけると幸いです----
「いや~……マジで何処なんだヨォ……ココはさぁ、何処なんだァ~……?」
何が何だかわからなかった。
状況を整理しようにもパニックが極まるばかりで混乱は募りに募り続ける。
「……とにかく歩けばいいか」
ラチェットレンチの少年は広く長い草原を歩きながら叫び出す。
「さっきから頬をつねっても目が覚めないし、岩に頭ブツけても何にもないしヨォ~……なぁあ!! 此処は何処なのか!! 誰か親切な人が教えてくれないもんですかねェ~っとォオ!!」
この風景にはミスマッチの薄汚れた作業着姿で堂々と歩き続ける。
「あぁあ、マズい!絶対キレられるぅ~!!このままじゃ減給だぁあ……いや、そこを俺は気にしないんだけど!! それよりもだ!! どうやったら戻れるんだコレ!!」
この心地よい風景の中でリラックス休暇を楽しみたいところだがそうはいかない。マズい、とにかく非常にマズい。本当にマズいのだ、今の彼の現状は。
「ええと思い出せ~……俺はどこで何がどうなってココにいる?」
彼は何故このような状況になったのかを思い出そうとする。
ラチェットレンチの少年は真夏日に労働している。
世は夏休みだが彼には休みはない。彼はまだ18歳だった。
アルバイトという形で自動車整備の仕事に就いた彼は今日も懸命に働いて、休憩中に栄養ドリンクを一本飲んだ後、休憩時間が終わるまでガレージで昼寝した。
「だぁあッ分からんッ!! 最近覚えたミュージシャンのヒットソングを聞きながら良い夢見れたと思ってたらコレだっ! こんな状況初めてだッ!」
----んでもって、瞳を開けたらコレであるッ!!!
涼しい風!綺麗な緑の草原!透き通るような青い空!
幻想的な風景に見惚れてこそいたがその内心では大パニック。壊れた自動車顔負けの熱暴走を彼は脳内で起こしかけていた。
「まさか? 実はこれは現実で? 眠ってる間に誰かに誘拐された? それで何処かもわからない国のド真ん中に放り捨てられたって流れ……いや、ないないない」
休憩所には監視カメラもあるし、第一こんな大地ど真ん中に拉致してから放置とか意味も分からない。生き物の生態観察ビデオかと言いたくなる。
「俺を攫ったところでェ? 身代金なんて一円も手にはいねェ~んだしィ〜?無意味無意味ぃ~……はい、メンタルリセット」
ポンッと優しく両手を合わせ叩く。
それでもって休憩所どころか仕事場から外へ出ていった記憶もない。昼寝をして起きたらココにいた。それ以上もそれ以下もない。
「これは現実なのか夢なのか。多分夢だと思うわけでございますが?」
ココは本当に夢の世界なのか。
それとも現実逃避の末に見てしまっている
どうであれ先に進めば答えはわかる。
歩いていれば何か見つけたりするだろう。今はそれを信じて進むばかりだ。
「……ん?」
脆い。妙に足元が脆い。
彼は足元に妙な違和感を覚える。
「……んんんんんッ!?」
-----途端に彼の視界が真っ黒に反転する。
「あぁもうぅうーーッ!! 何が何なんだよッ!! いやぁああーーーッ!!」
青い空が彩る綺麗な夏景色が一気にブラックアウト。
茶色い薄暗い光景と共にやってくるのは肥料臭い匂いとフワッと浮いた体の感覚。
「あいたぁああっ!?」
ラチェットレンチの少年の体が勢いよく固い地面に尻もちを付く。
「いつつっ……?」
作業着姿のため衝撃は若干和らいでこそいたが高さがありすぎた。
鈍痛が尻から腰へ。腰に至っては骨が砕けてるのか電流が迸る。ねっとりと張り付く痛みがジワジワとラチェットレンチの少年の尻に絡みつく。
「……やっぱり痛い。痛みがリアルだ。夢って感じは微塵もしねェ」
夢の中で痛みを感じることはなくはない。おかしいことではないと思う。
「現実じゃんよぉ~……あぁもうやだァアア……!!」
しかし、夢にしてはハッキリとした痛みにハッキリとした意識。
真っ暗な景色の中で次第に嫌な予感が再び募り始める。
「前が見えネェ……参ったなァ。タバコなんて吸わねぇからライターなんてないし。懐中電灯も工具箱の中だ。持ってきてねぇヨ~、チクショウめ~……」
起き上がった少年は真上に視線を向ける。
巨大な穴がポッカリと空いている。青い空と真っ赤な太陽がのぞき込むようにコチラを嘲笑っている。
考え込みながら歩いていたせいとはいえ、こんなにもバカでかい穴に気付かず落ちるなんて何とも間抜けな事か。
「おっと……いやっ。コイツがあるか」
携帯電話。もといスマートフォンを開くと画面の光量をマックスにしてから明かり代わりに使用する。近場の状況を確認する程度には使えるはずである。
「……うーん。ザ・洞窟って感じだナ」
土と固い岩で固められた壁。
洞窟だ。彼は洞窟に落っこちてしまったようだ。
「はぁああ、まじかヨォ……トレジャーハンターなんてバチあたりな墓荒らしの泥棒に転職した覚えはないんだぞォ、コッチはさァ~……!」」
頭を掻きむしる。今度は探検家も唸りそうなダンジョン風の洞窟へと迷い込んでしまったわけである。これは困ったとラチェットレンチの少年は溜息を吐く。
「おい、お前!」
そんな溜息も即座に止まってしまうような瞬間。
「ひぃいっ!?」
少年は不意に後ろから何者かに声をかけられた。
「……ッ?」
恐る恐る声のした方向へと顔を向ける。直後、自身の顔面を両手で隠す。
今のは間違いなく人間の声だった。こんなところをウロついている人間となれば洞窟探検家か考古学者とかだろうか。いや、この洞窟が文化遺産とかなら警備員である可能性が。
(やっべ……牢獄行きはちょっと勘弁したいというか……)
怪しい人間ではないことを告げなくてはならない。
ラチェットレンチの少年はまずは慌てることなく落ち着いて冷静に会話をしようと取り繕う。
「……なんだ、お前は?」
目の前にいたのは洞窟探検家でも警備員でも何でもない。
「ん~?」
----それどころか人ですらない?
褐色の肌をしたゴッツイ体系の兄ちゃんたちが揃いも揃って完全武装で少年を警戒している。見た目は人型ではあるものの……少年の知ってる人間とはあまりにもかけ離れているような気がする。
----なんかファンタジーゲームに出てくる種族のような感じが。
動物の耳とか、熊みたいな腕とか。人間らしさからかけ離れている見た目だった。
(なんだコイツら……!? 見たことない場所だったり、人っぽい何かが現れるわで今日は何なんだッ!?)
「見慣れない服装だ。お前は一体?」
褐色の男の一人が声をかけてくる。
「いや俺はァ、あのォ、そのですねェ~」
「もしや!!」
ゴツイ体系の兄ちゃんの一人が思いついたかのようにポンと手を叩く。
「こんな遺跡の中一人で人間が歩いているわけがない! こいつはもしや……古代人が作った人形か何かの可能性があるぞ! 何かの拍子で動いたのかもしれない! これだけ完璧な形で動く自動人形なら高値で売りさばけるぞ!」
「売る?」
-----自分を売る?
ラチェットレンチの少年は男たちの話を理解できていない。
「「ぐへへへ……」」
「いいねぇ。こりゃあ十年は遊べる金になるぞォオ~……」
金になる。古代人の遺産。
その単語を聞いた途端、数人の完全武装謎種族軍団が笑みを浮かべながら近づいて来る。
「ひっ……!!」
その姿に恐怖し、ラチェットレンチの少年は思わず後ずさり。
「おい逃げるんじゃない~! 大丈夫怖くないよォオ~~~……!!」
すると向こうは招き猫のように猫なで声を出しながら優しく手を引こうとする。全員足並み揃えて、それこそ人形のように。
「……退散ッだッ!! 退散に決まってるだろッ! 誰が近づいてやるものかヨッ! バァアアーーーーーカッ!!」
身の危険を感じた少年はもう冷静を装うのは限界だった。
「しかも言葉をハッキリと喋ってくる!! 凄いぞ、コレ!?」
「いや待って。なんか人形じゃなくて普通に人のような気もしてきたけど……まぁいいぜッ! 捕まえれば分かることだ! 見たことない衣服にヘンテコな道具を持ってるんだ! 何かしら意味のある人物であることに違いはねぇえーーーッ!!」
肝が痛い。
体が震える。
気持ちの悪い汗が止まらない。
「お前らに渡すものなんか何もねェエエンだッ! あっかんべぇえーーッ!!」
このままでは売られて金にされてしまう。
こんなゴッツイ兄ちゃんたちにどうされるかたまったモノではないと、即座にその場から携帯片手に離脱する。
「何が見たことない衣服だ! ニッポンはコレが普通じゃねーのかッ! コッチからすればお前たちの方が見慣れないんだよッ!!」
ラチェットレンチの男はとにかく全力で走る。全力疾走で洞窟の中を駆けまわる。
「ちぃいいいっ!」
逃げる途中、何か扉を見つけた。
逃げ足は速いのか男たちとは距離を取っていた。気づかれる前にとその扉の中に飛び込み、男たちが何処かへ行くのを待つことにする。
「どこ行きやがった……!」「探せ!」
「アレを見つけ出せば! 俺たちに何か良い恵みになるかもしれねぇ!!」
部屋の外から男達の声が聞こえる。一攫千金のチャンスを目の前にして、血眼になって探しているようだ。大金への欲望は恐ろしい。
「何なんだヨ、一体……何の騒ぎなんだよッ……!!」
予想もできない事態の連続に頭を掻きむしる。心地よかったリラックス空間から一転、自分の身を死に物狂いで守るためのサバイバルステージへと成り果てた。
----とんだ
ラチェットレンチの少年はとにかく頭を掻きむしる。
「あァ?」
彼は自身の手に絡みついた抜け毛に目が入る。
真っ白。四本くらい抜け毛が引っ付いていたがどれも真っ白だった。
「おい、そんな歳でもねーダロ……」
最悪だった。いつの間にか白髪が生えるようになったのか。
それくらいストレスを抱いているという事か。まあ今の出来事に関しては言葉にできないくらいのストレスを感じているわけであるが。
「ん?」
たまたま入った部屋。ラチェットレンチの少年は携帯電話の明かりで周りを確認。
「ココは……書斎ってヤツかァ?」
部屋は綺麗に片付けられており、本棚と机、そしてクローゼットの棚まで置かれている。壁のハンガーには見慣れない雰囲気の衣装が引っ掛けられている。
間違っても日本文化の衣装ではないことは分かる。
ローブだ。フードつきの大きなローブに顔の上半分を覆い隠す仮面。仮面にはヒエログリフに刻まれている文字のような何かが瞳の部分に埋め込まれている。
例えるならファンシーグッズのショップに置いてあるような趣味の悪いアイマスクみたいなもの。ハッキリ言って趣味が良いとは思えない。
「……ちょっと着替えてみるカ?」
ラチェットレンチの少年は今着ていた作業着だけを脱ぎ捨てる。
作業着の下の黒い無地Tシャツとダメージジーンズくらいは残しておいてもいいだろう。ローブの下が全裸とか、新手の変態と勘違いされてしまう。
「少なくともこの服よりは状況はマシになるはずだっ」
その可能性に全てをかけて、彼はラチェットレンチと携帯電話をローブのポケットの中に突っ込み、袖に手を通す。フードで顔を隠し、その仮面もつけた。
「ふぃーーー。サイズ気になったけど、スッポリいったもんだナ」
埃被っていたがカビも生えてる様子はないし、錆臭い匂いも一切しない。問題なく切れるようだった。
「これでどうにかなると信じるカ……おっと? 声は聞こえなくなったナ?よっしゃ、ひとまず外に出てみよう!そ~れでダメだったら、もう一度全力疾走でその場からトンズラを----」
「失礼しまーす!!」
----しかしその瞬間。
ラチェットレンチの男が隠れた部屋の扉が突然開かれる。
その場全体を綺麗に灯す松明。部屋の中が一気に明るくなる。
「あっ……」
ラチェットレンチの少年は声を上げる。
「えっ?」
お互いに目があう。部屋に入ってきた人物と目が合う。
----猫の耳? いや、あれはどちらかというと小型の犬の耳か?
動物の耳が生えた癖毛だらけの黒い長髪の少女。
これまた人間離れした人型の何者かが不思議そうな目をしている。
「「……」」
獣耳の生えた少女は仮面をつけた少年をじっと見つめていた。
----災難は、まだまだ続く。
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