それでも一色咲夜は夏服を着ない。

ぴろ式

第1話

 結論から言えば、それは避けようの無い事故だった。


 この一色咲夜いっしきさくやという少女は、周りの注目をよく集める人間だ。

 え? もっと分かりやすく教えろ?──我が儘だな、良いだろう。


 一言で言えば『可愛い』。二言で言えば『とても可愛い』。どうだ、大分分かりやすくなっただろう。しかし彼女と俺に縁は無い。敢えて言うならクラスが同じという事くらいだ。


 そうだ、それだけだ。だからこれは事故だ。

 一色咲夜が今、なんて現状は。

 事故でなければおかしいんだ。



 話は数週間ほど前に遡る。

 その日は例年より少し前倒しになった夏服解禁日だった。

 男子は半袖から細いブレスレットを覗かせ、女子の方からは微かなシーブリーズの匂いがしていた。

 俺は他の男子のようにはしなかったが、それでも席に鞄を置いてすぐに夏服の第2ボタンを外すくらいはした。その日はそれぐらい暑かった。


 教室の空気が変わったのは、予鈴ももうすぐ鳴るかという頃だった。

 教室の扉が開き、例の一色咲夜が教室に入ってくる。それはいつもの事だが──その日彼女は別の理由で俺達の視線を釘付けにする。

 

 彼女は──を着ていたのだ。


 

 何度も言う。季節は夏だ。さらに言えば今日は立派な猛暑日だ。

 なのに彼女は、白い長袖を着用して悠々と教室に入ってきた。

 初めはただ普通に「あっ、一色が来た」くらいにしか考えていなかったであろうクラスメイト達も、次第にその違和感の正体が分かったようだ。クラスの面々がぞろぞろと一色を取り囲む。


「え、長袖着てきたの?」とか「今日から夏服だよ。間違えた?」などと質問しているのが聞こえてくるが、そんな事聞いたって意味は無いと俺は考える。

 こんな「暑い」と口に出そうとしたらファストフードのポテトよろしく『クソ』と『バカ』がセットで文頭に付いてくる日なのに、彼女はそれでも長袖を着てきた。何か俺達には理解の出来ない、大事な理由があるはずだ。


 例えば、宗教上の理由で素肌を見せるのは駄目とか──あ、スカート丈短いな、却下。

 長袖を着ないと人質の家族が殺されてしまうとか──誰得だ。これも却下。


 真面目に考えるなら、冷え性だからとか……? 疑問は沸くが、やはり俺には分からない。それは俺が一色咲夜ではないからだろうか?

 なんて考えてると、教室に担任教師が入ってきた。それに伴い、教室入り口で一色を取り囲んでいたクラスメイトも散り散りになっていった。


 担任は一色をチラリと見たが、長袖については何も言わなかった。生徒の服装など興味が無いようにもとれる。



 まぁいい。ひょっとすれば誰かが言ったように夏服解禁日を間違えたのかもしれない。一色はいつもと変わらないが、内心では顔を赤くしているかもしれない。

 明日になったら、多分彼女も夏服になっているだろう。



 ──しかし、俺のこの時の予想は外れた。

 彼女はその後も長袖を着続け、教室でいつものように過ごしていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る