第115話 ユミル [計略]

 保健室のドアを壊して中に入ったが、そこには既に綾香の姿は無かった。


 ……作業台には、空になった注射器が転がっており、その向こうの窓が、開いたままになっている。どうやら窓から連れ去ったらしい。


 急いで後を追いかけた。


 外へと出ると、後者の端に、三人の人影が見える。


 ――三人の内二人が、何やら抱えている様に見える。足を踏み込んで走り出した。途中、男達は裏門側へと向かったが――


 見るとそこには、黒いバンと男達の間を塞いだ装甲車の姿が見えた。

 どうやら、ナビが車体で妨害してくれていたらしい。


「止まれ! もう逃げられない!」


 ユミルがそう言うと、記憶にあるのと同じ顔……医師の男が『だまれぇ! 俺は、この娘を連れて行かなくては殺されるんだぁ!』と叫び返して来た。


 ……どうやら、精神的に危ない状態にあるらしい。


 目が血走っていて、肌寒い季節にもかかわらず大量の汗をかいている。


 男に言葉を返す事なく踏み込んだ。


 ――綾香は、腕と足だけでなく口もテープで縛られている。


 踏み入って来るユミルに対して、めざし帽を付けた二人の男達は担いでいた綾香を放り投げた。――手足を拘束されている綾香は、禄に受け身を取る事が出来ないだろう。このままでは、体を打ち付ける事になる。


 咄嗟に、ユミルはダイブした。


 ギリギリ、地面に当たる前に確保できたが、片腕なので肩から受け止めなくては支えられなかった。その為、肩を地面に強く打ち付ける事となり……腕の感覚が無くなっていた。


 自分の事は横において綾香の拘束を解こうとするが――ユミルの足を、鋭い痛みが突き抜けた。


 ……目を向けると、ユミルの足にボールペンが突き刺さっている。


 横で喚いている男が、刺したのだろう。


「っつ!」


 男が蹴って来たので、下半身を捻って避ける。避けた所で、綾香が体をくねらせてユミルの腕の上から移動した。しかし、遅かった。


 目の前には、鈍器を振り下ろそうとしている二人の男が見えた。


 男達の持つ鈍器が当たろうかという瞬間、男達は横に吹っ飛んでいた。


 見ると、そこには車両が有った。


「グ、クハァア!」


 気合を入れて、地面に転がっている綾香を持ち上げて車両に入れる。


 そして……


「ハァア!」


 後ろから近寄っていた医師の男の顎を蹴り抜いた。


 ……ボールペンで刺された足を軸にしていた為、側頭部から顎へと狙いがズレたが、十分な打撃だったらしい。男の顎が外れている。


 医師である男は、自分の状況を把握したのだろう。

 更にもごもごと喚いている。


 ともかく、ユミルも車両のドアから乗り込んだ。


 ……男達が乗り込もうとしていたバンの中から、人の気配がする。


 恐らく、逃走時のドライバー要員なのだろう。


 ユミルが乗り込むと、ナビがドアを閉め、車両が走り始めた。


 車両が走り始めたので、ユミルは綾香の拘束を解き始めた。


 ……手の拘束が解けると、綾香は自分で足、口の拘束を解いた。


 そんな綾香の様子を横目に、ユミルは自分の足に刺さったボールペンを抜いた。


 ……どうやら、異物が傷口から挿入されてはいない様だ。


 自分の傷の様子を確認していたら、綾香がズリ寄って来た。


「ユミ! 大丈夫なの?!」


 不安気な綾香に対して、ユミルは答えた。


「ええ、大丈夫です。それより、後ろを……追手は?」


 実は、学園の裏門を抜けた時点で、複数台のバンが追い始めていたのだ。本来、綾香を攫った後、追手を撒く為に用意していたのだろう。


 ユミルの言葉にハッとした綾香が、慌てて後ろを確認した。


 後部の窓は、台形の形をしている。この形にも意味が有るのだが……その窓から見える車両は、次第に小さくなって見えた。その様子を確認した綾香は、ホッとして答えた。


「引き離しています……本当に、この"車"は優秀ですね」


 その後、車両に常備されていた治療キットで止血した。


 安心したのか、綾香は車に寄りかかって、眠り始めた。

 恐らく、保健室で睡眠作用のある鎮静剤を、注射されたのであろう。


 綾香の横顔を眺めながら、これ迄の事を思い出し、呟いていた。


「かえって、良かったのかも知れませんね……」


 ここ二ヶ月程、安全の為とはいえ、慣れ親しんだ家を離れていた。本人は『何だかお泊り会みたいで楽しいです』と言ってはいたが、知らないところで疲れが溜まっていた筈だ。


 ……何度か寝られなくて、夜に起き出していた事も知っている。


 不測の事態とは言え、ここで強制的に睡眠を取れば、多少は疲れが取れるだろう。


 そんな事を考えていたら、不意に声がした。


「さて、今夜は"隠れ家"に戻ります」

「えっ……ナビさん?」


 ナビから声を掛けられたユミルは、驚いて聞き返した。


 『協力はしない』と言われていた筈のナビから声を掛けられたのだ。


 驚いているユミルに対して、ナビは少し複雑そうな様子で言った。


「……事情が変わりました」

「事情が変わった?」


「色々とありましてね……取り敢えず私に従って下さい」

「分かりました」


 正直、困っていたので、このタイミングで手を差し伸べられると云うのは有難い。……"ナビ"は合理的なシステムだと思っていたが、"情け"などの"感情"が有るのだろうか?


 ……いやに人間味が強い気もする。


 一瞬聞いてみようかとも思ったが、答えるはずが無いのが分かり切っていたので、控える事にした。……つまらない事で、折角戻って来た"協力"を失っても面白くない。


 その後、腕に感じる綾香の温もりと、心地よい振動を感じながら"家"に着くのを待った。通常の道のりで言うと、十数分で家に着くはずだったのだが、既に倍以上の時間が経過していた。


 ユミルは(ナビが尾行を入念に撒いているのだろう)と思っていた。

 しかし、まさかその真逆の事をしている等とは、夢にも思わなかった。


 ……そもそも、最初の時点で追手は撒いていたのだ。それなのに、"協力"を取り付けた後、ナビの操作で"わざわざ"車両を発見させたのには、ナビの思惑があった。





 ――車両を確認した追手達は、突然目に入って来た車両を見失わないように、尾行を再開した。尾行していたのは、バイクにまたがった20代後半から30代前半の男達3人であった。


 男達は『尾行途中で見失ったと報告したら、どんな目に合うか分からない』と、戦々恐々としていた。――そんな中、目的の車両が目に入ったのだ。


 気合の入り方が違った。


 決して悟られぬように。

 決して振り切られぬように。


 三台で連携して尾行した。


 ……確かに、三台の連携は完璧だった。


 しかし、まさか"町中の監視カメラ"や"携帯電話"、果ては男達の持っている"無線連絡装置"に至るまで、全ての機器がある存在に情報を提供しているとは、知る由も無かった。





 次々に入ってくる情報を整理しながら、ユミルから"ナビ"と呼ばれている存在――"マム"は、半年ほど前に、吸い上げた研究データをベースに生み出した空間、"電脳特異領域グリムス・エリア"で満足そうにしていた。


 この領域は、"より人間に近い思考回路"を形成したマムが設計した領域で、人間で言う『直感的操作』を実現する為につくり出した。


 勿論、言葉通りの"直感操作"ではない。


 より、マムが力を行使し易いように最適化カスタマイズされたのだ。


 マムの場合、人間的思考設計がされている。


 よって、最適化された結果を表現するのであれば――


『これ迄"CUI"だったのが"GUI"に変わった』


 と言うのが相応しいだろう。


 マムは、自分の電脳領域に漂いながら、独り呟いていた。


『計画通りですね。 ……パパに頑張って貰って、私が失敗するなど許されませんからね。それに、パパが向こう・・・で壊滅させた組織とも繋がりが深いようですし、紙ベースで保管しているであろう"内部情報"に期待したいですね』


 そう呟いた後、暫くデータを洗い直していたマムだったが――『"ビービービー"』という信号アラームと共に"ある信号"を受け取った。


 マムは、自分で行っていた状況解析作業を別の意識(同一の存在なのだが、便宜上マムは意識と呼んでいる)に担当させ、自分は新たに信号のもたらした情報の確認を始めた。


『――パパも、どうにか間に合いそうですね』


 電脳空間に浮いたパネルには、最近中東からアジアの過激派を中心に『ブラック』と恐れられている機体が、離陸する様子が映し出されていた。


 "信号"は、機体が離陸した事を知らせていたのだ。


 離陸して行く機体を確認しながら、渡航計画プログラムを確認した。



 ――

 途中に存在する拠点の一つを、襲撃する予定となっている。


 現在時刻を確認する――日本時刻で [ 09:50 ] を指している。


 拠点を制圧し、帰国する事を含めると――時間的にはギリギリだが、重要な場面には間に合うだろう。何より、半年前とは移動速度が桁違いなのだ。

 ――



 マムは、ここ半年の間で"人間的価値観"を学んでいた。それに照らし合わせると、ある"タイミング"に大幅に遅れると取り返しがつかなくなる。


 ……下手をすると、ユミルも綾香も精神が壊れる。


 その引き金となる筈の男は、排除対象の一人で、『伍一会』のボスだ。

 この男に関しては、既に思考パターンの解析が終わっている。


 余程のイレギュラーが無い限り、予想通りの行動をするだろう。

 だからこそ、制限時間のラインを引いた。


 このラインを超える前に、間に合わせる必要がある。

 そう考えて・・・再度、自動運転システムを確認し始めた。


 この自動運転システムは、自動車を運転するシステムではない。

 その対象は、正巳の乗るステルス戦闘機だ。

 このステルス機自体は、旧型を譲り受けた。


 ……まあ、『旧型』と言っても『新型』は存在しない。


 所謂いわゆる"全翼機"で、一般的には爆撃機として使用されるが、その特殊な形状の為にコントロールが非常に難しい。


 現状で運用されているのは、アメリカのみだ。


 裏ではロシアや中国等の超大国でも極秘裏に運用が開始されているらしいが……


 何にしても、個人で運用できる機体が手に入ったのは大きい。……本来、購入できるような代物では無いが、ある国の"依頼"の見返りに譲って貰ったのだ。


 どうやら、譲った国の担当官は『操縦できるパイロットが居るはずが無いだろうから、展示でもするのだろう』と考えていたらしい。通常のパイロットでは操作が難しい。とても繊細なバランス操作が必要とされるのだ。


 しかし、マムが確認スキャンしたところ使用可能なことが分かった。バランスなどの微調整は、それこそマムの得意とするところだ。


 ただ、長期的に運用するには、一度分解して整備する必要も有った。当然、そんな時間的余裕は無かったので、整備などに関しては『戻ったら今井さんに任せる!』と云う事になっていた。


 そんな事を整理しながら、電脳領域 ――"グリムス"―― で他の者達の様子も確認していた。


 ……どうやら、ハク爺達は一足先にホテルに付いているようだ。

 今井と上原は、最終確認をしているが、今夜の内にホテルに戻るだろう。


 やはり、最後になるのは正巳達になりそうだ。


 『主役は最後に搭乗するのが相応しい』と本で読んだ。あの本の主人公のカッコ良さはイマイチよく分からなかった。しかし、あの主人公に正巳を当てはめれば……確かに、カッコ良い。


 『今度、パパをモデリングして、電脳世界にアバターを……それで、マムとパパが……マスターはお母さんで……まあ、仕方ないからサナも一緒にしてあげようかな……』


 他には何者も存在しない領域で、マムは一人"計画"を練るのだった。


 ――やがて、電脳特異領域グリムスは、一つの"バーチャルワールド"の元となるのだが……それ・・の始まりは"創造主マム"の何でもない戯れだった。

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