第114話 ユミル [襲撃]

 秘密の部屋で会食をした後で、綾香とユミルは弘瀬龍児が所有する秘密の家で生活する事になった。


 このまま弘瀬組本家である"実家"で生活するのは、危険であると判断した為だ。


 そして、出来る限り学校にも通い続ける事が決まった。……元々、龍児は父親として"普通の女子高校生"を体験して貰いたかったらしい。


 ただ、その条件として、ユミルが常に綾香の身を守る事となった。問題なのは、その手段であった。……当初、ユミルを"女子高生"として編入させる案が出た。


 しかし、ユミルは『"学生"をした事が無く、更に年齢的な面でも難しい』と、却下した。……結局、学校に"臨時職員"として在籍する事となった。


 ただ、ユミルには高校の教養は愚か、中学の教養も無い。……一部の知識においては、大学の教授並みの知識は有るが……結局、無難な所で"保健の教師補助"として在籍する事となった。


 ――どうやら、綾香が通っているのは私学であり、父親である龍児が多額の寄付をしているらしい。その為、ある程度の融通が利いた。……株式会社の株主みたいなモノだろう。


 それらの事が決まった後、ゲンがユミルに対して質問をしていた。ゲンの質問は専ら『訓練方法』や『有事の際の対処』等だった。


 中には『車両に関する事』の質問も有ったが、それらに対してユミルは『基本は同じで……』や『車両に関しては、貰い物なので……』等と、当たり障りのない回答をしていた。


 時間としては一時間と数十分足らずであったが、会食を終えていた。


 龍児とゲンと別れた二人は、教えられた"秘密の家"へ向かった。


 到着した家は、普通の家だった。


 正に、"普通の家"……特に広くも無く、狭くも無く。


 二階建て、3LDKの家だった。


 ……二人で住むには少し広い気がしたが、街に溶け込むには良い家だった。


 その日は、配達業者を装った者達から、生活に必要なモノを受け取った。綾香は明日から学校という事だったので、その日は風呂に入って早めに休む事にした。


 ――綾香が『風呂に入っている時に襲撃が有ったらどうするのですか?』と言って聞かなかったので、仕方なく一緒に風呂に入った。しかし流石に、大人の女性が一緒に入るには少々小さかったようで、窮屈に感じた。


 そんなユミルだったが、ふと"孤児院での風呂"を思い出していた。あの時は、大きなコンクリートの浴槽に水が張られただけだった。それが、この風呂には"温かいお湯"が張られている。


 昔を懐かしんでいたら、綾香がくっ付いて来た。ユミルにくっ付いた綾香は、そのまま暫く"ギュッ"として、離れなかった。


 くっ付いている綾香は、ユミルの短く切り揃えられたブロンドの髪を触りながら、『綺麗な髪よね』と呟いている。長かった髪は、半年前ホテルから出発した後で短くしたのだ。……それ以来、ずっと短い長さを保っている。


 しかし、相変わらず距離が近い。


 距離は近いが、何と言うか、嫌な感じはしなかった。


 『……胸の奥から温かいモノが込み上げて来るのは、お湯が温かいせいだろうか?』と、不思議に思っていたのだが、大した問題ではないと思い直した。


 ……今は、この綾香むすめを守らなくてはいけない。


 感が外れていなければ、近い内に残りの『伍一会』メンバーを始末するタイミングがあるだろう。その時まで、この娘を守るのだ。





 ―― 一か月と二週間後。


 綾香と二人で近くのスーパーマーケットに寄った帰りだった。


 『今日の夕飯は、カレーライスですね!』『またなの? ……まあ、ユミのカレーは美味しいから良いけど!』そんな会話をしていた時だった。


 不意に走って来た黒い大型のバンが、道を塞ぐようにして停車し、中から三人の男達が出て来たのだ。男達は、三人共めざし帽をかぶり、ラバー製の手袋を付け、長袖長ズボンだった。


 ただ、ユミルが撃退した際、アジアの国の言葉で『"おい、話か違うじゃねぇか!"』『"知らねぇよ!"』『"時間オーバーだ、戻るぞ!"』等と話していた。


 ユミルは、幼い頃から言語教育を受けていた為、主要な国の言葉16か国語を話せる。……当然、まさかユミルが言葉を分かるとは思ってもいない様で、思わぬ情報を得る事が出来た。


 どうやら、襲撃の目的は『綾香の拉致』だったみたいだ。それに、ユミルの情報は伝わっていなかったらしい。


 ……龍児の元を訪れた際の事が、外に漏れている可能性を考えていたが、どうやら側近達は流石に統率が取れているようだ。


 そして、もう一つ……『訓練を受けた人間である事』これが、今回得た中で一番大きな情報だろう。想像していたのは、『精々が烏合の衆』、『付け焼刃的な訓練を受けた集団』だった。しかし、完全に統率が取れていた。


 恐らく、『伍一会』の"金主"が関わっているのだろう。……反社会的な組織を子飼いしている存在。思い浮かぶのは、政治家、資産家、ある国家……


 取り敢えず、龍児に報告を入れたが、どうやら弘瀬組本家でも何度か襲撃に合っている様だった。龍児も驚いている様子で『急に動きが活発になっている』という話だった。


 ……準備が出来たという事なのか、それとも『伍一会』内部で何かあったのだろうか。何はともあれ、気を抜けない日々が続きそうだった。





 ――二週間後。


 結局、一度襲撃が有って以降は一度も襲撃は無かった。ただ、時折視線を感じる事が有ったので、気を抜く事も出来なかったが。


 今日は、朝から健康診断の日だった。


 そう、一応"臨時職員"として席を置いているユミルは、健康診断の補佐をする事になっていた。毎年、学園が契約している医師が派遣されて来る。


 綾香と登校したユミルは、いつも通りに綾香と同じ教室の後ろで立っていた。――綾香に急性の腫瘍があると云う話にして、ユミルが常に一緒に居られる様にしていたのだ。


 綾香は、クラス内では『お姉さま』と呼ばれていた。持ち前の面倒見の良い性格で、困っている生徒を見かける度に手を差し伸べていたらしい。


 綾香とユミルはと言えば、其々『お嬢様』『ユミ』と呼び合っていた。……最初の頃、綾香がユミルの事を『ユミ様』と呼んでいたら、色々と在らぬ噂が立っていたのだ。


 その為、ユミルが『ユミで良いです……その方が距離を近く感じますし』と言った。その言葉を聞いた綾香は『距離が……分かりました!』と答えていたのであった。


 そんな事を思い出していたら、朝の会が終わり、一時限目の『健康診断』の準備が始まった。……準備と言っても、制服の下に体操着を着るだけだ。


 『健康診断』は、制服のまま行われる。これは、派遣される医師が男性の場合が有るからの措置なのだが、今日派遣されるはずの医師も確か男性だったはずだ。


 当然、前もって情報は把握している。

 ……50代後半の、中肉中背のバツイチ。子供は無く、両親は既に他界している。交友関係が広く、研究論文の発表で海外に行く事も少なくない。頭皮は中央部が額から後頭部にかけて不毛地帯に――剥げている。



 ――10分後、着替え終えた一同は、一階にある保健室前に並んでいた。


 順番に名前が呼ばれて、中へと入って行く。

 生徒が一人ずつ交代で検診を受ける形式のようだ。


 今まで、丁寧に一人ずつ検診を受けた事など無かったユミルにとっては、新鮮だった。


日木寄ヒキヨセ綾香さん」


 綾香が呼ばれた。


 ……学校では、弘瀬ではなく"日木寄ヒキヨセ"という母の名字を使っているのだ。


 『はい!』と返事をした綾香が、保健室の中に入って行く。


 綾香が中に入ってから数秒して、ふと気になった。


「ちょっと良いかしら? ……この検診は、前からこの形式だったの?」


 綾香の次の番であった女生徒に聞いた。


 すると、『きゃぁ、話しかけられちゃったわ』とか『私がお話し、しましょうか?』とか『何言っているの、私がお話をするに決まっているじゃない!』等と、こそこそと話していた後で、向き直った女生徒が答えた。


「実は、今年から一人ずつ入室になったみたいですの。以前は、室内待機で呼ばれたら仕切りの中に行く形でしたのに……」


 明るい髪色のクルクルとカールした髪型の少女が答えた。

 ……恐らく、ハーフだろう。鼻筋が通っている。


「そうですか……」


 『ありがとうございます』と答えてから数秒後、微妙に感じていた違和感にうなじが逆立った。


「っつ! お嬢様、そこに居らっしゃいますか?」


 ……返事がない。


「入ります!」


 そう言って、ドアを引くが。


「……」


 開かない。

 恐らくカギを掛けたのだろうが――


「せあっつ!」


 その場で上半身を半回転させながら、体のひねりを足に伝えて……ドアを蹴り抜く。


 『"バゴンッ!"』


 ドアが、ユミルに蹴られた衝撃で外れた。


 外れたのを確認して中に入るが……


 既に綾香の姿は無かった。

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