第51話 其々の出発

 ホテルから、一台のハイヤーが出て来た。一瞬、周囲を確認するかのように停止するが、直ぐに、滑るようなタイヤの動きで、走り去っていった。





 ホテルを出発した今井は、ホテルマンの運転する車で空港へと向かっていた。


 運転している男は、白髪の混じり始めた髪をしているが、その、スーツに隠しきれない筋肉の盛り上がりが、只者ではない雰囲気を醸し出している。


「この後のフライトは、何時だったかな?」

「搭乗時刻1時45分、離陸時刻2時と記憶してます」


 以前シンガポールに行ったのも、仕事でだった。


「乗っている時間は、7時間くらいだったかな……」

「はい。搭乗予定時間は7時間15分となっています」


 独り言のつもりだったのだが……


「えっと、君は一緒に来るのかい?」

「はい、警護するように仰せつかっていますので」


 ほんの話題提供程度のつもりだったのだが、どうやら本当に付いて来るらしい。


 自分運転手も行くから、詳しく覚えていたのかも知れない。


「僕は頼んだ記憶無いんだけど……」

「しかし、依頼は既に受託しておりますので……」


 誰が依頼したんだろう……


 まあ、正巳君かマムしかいないか。


「誰の依頼かは……」

「申し訳ありませんが、守秘義務に反しますので、お答えできません」


「でも、僕は依頼主と同じ部屋に泊まっているんだよ?」

「申し訳ありませんが、直接の依頼主以外には、お答えできません」


 ……中々強情だ。しかし、これで安心も出来る。何が有っても、このボディーガードから情報が洩れる事は無いだろう。


「そっか、まあ良いや」

「ハッ!……承知しました」


 一瞬、男が略式の敬礼の動きを取る。


 受け答えと言い、雰囲気と言い、この人は元軍人か傭兵なのだろう。癖なのだろうが、時々今みたいに略式での敬礼をしてくる。


 ……嫌ではないし、頼もしいとも思うが。


「それじゃあ、空港に着いたら起こしてくれるかい?」

「承知しました」


 ……その後、暫く車の中で揺られていたが、特に大きく揺れを感じる事が無かった。マムの運転で数時間を乗った身としては、比べられないくらいに素晴らしい運転と言える。


 ……マムにも安全な、それでいて滑らかな運転技術を吸収して貰わないといけないな、と思いつつ、空港までの間浅い眠りに着いた。


――

 一時間ほど経過したところで、空港に着いた。


「搭乗時刻まで時間がありますが、ラウンジをご利用になられますか?」

「そうだね、そうしようかな……ここから入り口まで行くのかい?」


 今居るのは空港の横で、業務用車両が通るような場所だ。


「いえ、ここから直接ラウンジへと向かわせて頂きます」

「直接? ……まあ良いか、任せる!」


 特別悩むような事でもないので、任せる事にする。


「ハッ! ……承知しました」

「ふふっ……」


 車が滑らかに移動して行き、業務用車両が入る搬入口を通過する。


「……」


 入り口にいる警備員に、軽く頷くと、入り口を入った後にあるゲートも通過する。


 その後、多少の距離……駐車場や倉庫等の中を通過した。


 区間の間には、警備のゲートがあったが、全て顔パスだった。


 その後、上り坂があった。


 多分だが、2階か3階分くらいの高さを上がったと思う。


 坂を上がったところで、車が止まった。


 車が止まったと同時に、運転手がドアから出て、後部席のドアを開く。


「到着しました」

「……何処に?」


 確か、ラウンジに直行すると言っていたはずだが……


「ラウンジへは、こちらの扉を入って頂ければ直ぐです」


 運転手が指す方を見ると、開いたドアから6歩ほどの場所に扉が見えた。


「こんな風にラウンジに行くのは初めてだよ」

「何事にも、初めてが有るかと存じます……」


 運転手の方を見ると、何やらきょろきょろと周囲を見回している。


「……どうしたんだい?」

「あ、いえ、敵影を……」


……敵影ね。


「まあ、良いさ……仕事なんだろう?」

「ハッ! ……はい」


 何となく、このやり取りにも慣れて来た。


「それじゃあ、行こうかな! ……この車はどうするんだい?」


 車の外に出たタイミングで、運転手の男もついて来た。


「っ! ……車は、鍵を渡す事で保管されることになっています」


 今度は、如何にか抑えたようだ。


「なるほど……」


 運転手が開けてくれた扉を入ると、カウンターがあり、女性が立っている。


 全体的に上品な雰囲気の内装で、分かりやすく上品だ。


「ようこそ、ご利用いただきましてありがとうございます」

「ああ、よろしく頼むよ」


 女性の挨拶に軽く返すと、運転手が女性に車のキーを渡した。


「これを頼む」

「はい。承りました」


 運転手から受け取った車のキーを、スッと出て来た男に渡し、手を差し出す。


「こちらへお進みください。ロイヤルラウンジへと、ご案内いたします」


 そう言って、女性が歩き出したので、着いて行く。


――

「ほぉ、これは良いな」


 1分も歩かない内に、ラウンジに着いた。


「お時間まで、ごゆっくりとお寛ぎください」


 そう言って一礼し、女性が戻って行った。


「……さて、暇はしなさそうだね」


 女性に軽く説明して貰っただけでも、ラウンジ内に幾つものサービスがあることが分かった。


「はい。スパや、ネイルなどが人気なようです」

「ん~……取り敢えずスパが良いかな」


 最近徹夜したり、神経を使う事が多かったせいか、心身共に疲れが溜まっている。


「こちらへ」


 運転手がそう言って、案内してくれる。


――

 その後、幾つかのサービスを堪能した。


「そろそろ搭乗の時刻となりますが……」

「うん、そうだね。行こうかな!」


 そう答えると、運転手の後に付いて歩いて行った。


「楽ちんだな~」


 荷物は愚か、チケットすらも持って来ていなかった。


 持って来たものと言えば、ポケットにあるイヤホンとスマフォくらいだろう。


 今までになく軽装だったが、特に気にする様子もなく、今井は運転手の後に付いて搭乗した。


「さて、ぐっすり寝ようかな」


 そんな事を呟くと、片道7時間の道のりを夢の中で過ごし始めたのだった。





 白い靄の中を走っていた。


 時折襲い掛かって来る獣を倒しながら走っていた。


 そして、白い靄を抜けた。


 白い靄を抜けた瞬間、一歩先が崖になている事に気が付いた。


 冷や汗が流れ落ちる。


 ……崖の下、底の方に岩が剣山のようになっているのが見えた。

 ……その剣山の切っ先に、何かあるような気がした。


 何となく、見てはいけない気がした。


 もう二度と戻れないような……


 しかし、見ない訳には行かなかった。


 ”何となく見覚えがあるものが刺さっている”気がしたから。


 ……目を凝らして見た。


 ぼやけた輪郭しか見えない。


 ……もっとよく見ようとした。


 眼に痛みが走る。


 ……それでも、見た。


 それは、背中から剣山に突き刺さった”俺”だった。


「――っつはぁ、はぁ、はぁ……」


 目が覚めると・・・・、朝日を再現したパネルの淡い発光と、横に熱を感じる。


「……サナ、移動して来たのか」


 横には、サナが寝ていた。


 俺が昨日寝る前に確認した時点では、リビングで皆と寝ていたはずなのに。


「……シャワー浴びて来るか」


 部屋の空調とは別に、不自然に掻いた汗を流しに行く。


――

 シャワーを浴び、戻って来ると、サナが起きていた。


「パパ……じゃなくて……おにいちゃ!」

「おいおい、どうした?」


 俺の姿を見つけたサナが、ベットから飛びついて来る。パパと言ったのは、マムの影響だろうか。


「苦しそうにしてたの……」

「俺が? ……あぁ、もう大丈夫だ」


 一瞬、何のことだ?と思ったが、ついさっきまで見ていた夢の最中に、俺は何やら呟いていたのかも知れない。まあ、その夢自体、既にどんな夢だったかを忘れてしまったが。


 ぎゅっと、しがみ付いて来るサナの背中を擦りながら、部屋を抜けて、リビングへと向かう。


「マム?」

「はい、パパ!……パパと呼んで良いのは、マムだけなのです!」


 ……しっかり聞いてたんだな。


「……まあそうだな、それで今何時だ?」

「はい、今の時刻は、8時を回った処です!それと、重要な事なのです!」


 マムが、『自分以外は”パパ”と呼んじゃダメ』と力強く主張している中、これからの流れをおさらいする。


 先ず、この後スーツを受け取る。

 次に、車に乗って取引先へ行く。


 そして最後に、俺のアパートを確認して帰って来る。

 アパート確認しに行くと言っても、遠くから確認するだけだ。


 中に持ち物を取りに行く訳でもない。

 持ち物だったら、トラックに積み込んだモノがある。


 俺が、リビングへと入ると、既に大半の子達が起きていた。

 まだ寝ている子達は、皆小さい子供ばかりだ。


 ……一部を除いて。


「テンは、疲れているか……」

「起こしましょうか?」


 ミンがそう言って、テンの頭の上に手の平を持って行ったので、慌てて止める。


「い、いや、寝る子は育つ……子供は寝るのも仕事だ。そのままで良い」


「寝る子は育つの……?」

「大丈夫、サナは特別なの。焦らなくても大丈夫」


 ……?


 サナとミンが、何やらよく分からない会話をしていたが、女の子は色々あるのかも知れない。


「さて、朝食を食べたら、一先ず昨日話してた事を聞こうか!」


「ハイ」「うん」「分かりました」「{**}? ……アい!」「お兄ちゃんと一緒なの!」


 それぞれが、返事をする。


 一部、ちゃんと話し合ったのか、心配になる声も混ざっていたが……


――

 朝食は、昨夜と同じように、マムを通して注文した。


 流石に、ガッツリ食べられないだろうと思っていたが、育ち盛りのちびっ子達を甘く見ていたらしい。 昨日と同じくらいとは言わないが、通常の朝食の倍近くの量を食べていた。


「……運動させないと、いつの間にか、コロコロとした子達になりそうだな」


 そう呟いたらサナが、不思議そうな顔をしていたので、言っておいた。


「あんまり食べると、豚になっちゃうぞ?」


 ……冗談だったのだが、サナが『!!』と驚いた顔をして、子供達に伝えてしまった。


 その後、一時恐慌状態に陥った子供達だったが、ミンに手伝って貰って、どうにか『運動すれば人間でいられる』と納得させた。


 ……コロコロとした子達も、好きなのだが、健康面に影響を及ぼすのは良くない。


――

 何だかんだと、ワイワイしていたが、落ち着いて来たので、本題に入ることにした。


「さて、みんな、どうする事になった?」


 俺の問いに、ミンが応える。


「はい、15人の子供達が、故郷に帰る事になりました」


 ……正直、思っていたよりも多い。


「良いのか?」


 攫われた子供もいるだろうが、恐らく、売られた子供もいる。


 マムに確認したところ、親が結託して、子供には”攫われたように”見せかけて、売られた子供達もいる。という事だった。その事実は、ミンには伝えてある。


 しかし……


「はい、話し合った結果ですので……それに、私も付いて行きますから!」

「そうか……ミンは、その……皆を故郷に送り届けたらどうするんだ?」


 俺が知っている限り、ミンは外交官だった父と母、それに妹を国に殺されている。


「私は……皆を送り届けたら、戻って来たいです……その、ココに」


 ミンが言う『ココ』と言うのは、位置的な事では無く、”居場所”の事を指しているのは明らかだ。だからこそ……


「……ああ、当然だ。ミンの居場所はここにもある……マム、頼むな」


 ……何となく、最後にマムだよりなのが情けない気がしたが、そんな事も言っていられない。


「はい、パパ!任せて下さい!その時にはきっと、マムの体も……」

「――ありがとうございまズ……」


 ミンが泣き出してしまったので、テンを突いて、別室に連れて行かせた。


 その後、サナに『誰が残って、誰が帰るのか』教えて貰った。


 残ると言ったのは、上から15歳のテン、13歳のコウ、10歳のメイ、8歳のイン、8歳のヨウ、そして5歳のサナとの事だった。


 男の子が、4人。

 女の子が、2人。


 俺と今井さん、それに先輩と傭兵二人、ネコのボス吉、それに子供達6人……全部で11人と一匹だ。今、先輩と傭兵二人、それにボス吉が眠っている。


 子供達15人が帰ると実質8人となって、少し寂しくなる。


「パパ、そろそろ時間ですが……」


「ああ……それじゃあ、俺と今井さんが帰ってきたら皆を故郷に送る。現地まで行く事は出来ないから、今の内に別れを済ませておいてくれ!」


 そう言って、皆の顔を一度見回した後、部屋を出た。


 サナが、途中まで付いて来たので、皆と一緒に居るように言ったのだが……『良くない事がありそうだから』と言って、聞かなかった。


 サナに”付いて来て良いよ”と言っていたのを思い出し、仕方なく、連れて行く事にした。


 イヤホンは俺がマムと会話する為に必要だったので、サナにはスマフォを渡しておいた。


 必要があれば、マムを通して連絡が取れるだろう。


――

 昨日と同じく、カウンターへと行くと女性のホテルマンが立っていた。


「おはよう、スーツの用意できてる?」


 俺がそう話しかけると、一瞬サナへと視線を向け、何事もなかったかのように答えた。


「はい、用意しております。こちらへ」


 そう言って女性が誘導したのは、昨日と反対側にある扉だった。


「どうぞ……中にスーツが有りますので、お着替えください」

「ああ、ありがとう」


 そう答えて、サナにも外にいるように伝える。


 すると、俺とサナの様子を見ていた女性が『お手伝いを致しましょうか?』声を掛けて来たので、丁重にお断りをして、二人には部屋の外にいて貰った。


――

「お待たせしました。さて、行きましょうか……」


 スーツの具合は完璧だった。


 ……本当に合うスーツを着ると、自然と背筋が伸びると初めて知った。


「……こちらへ」


 女性に促され、後へとついて歩き出した。


「お兄ちゃんといしょ~」


 左手にはサナが手を握り、満面の笑みを浮かべている。……きっと、父親になった時の感覚は、こんな感じなのだろう。


 浮かれている心を落ち着かせながら、駐車場に停まっている黒塗りの乗用車に乗り込んだ。

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