第11話 不穏な足音
会社に着くと、いつものようにゲートの警備員に挨拶して、自分の部署のフロアへと向かう。
直接先輩を訪ねようかとも思ったが、一先ずいつもの様にメールチェックからする事にした。
自分のデスクに座ると、パソコンを引き出しから取り出す。
パソコンは会社支給の備品なので、基本的に社外に持ち出す事は出来ない。支給された備品はそれぞれが保管する事になっていて、各自のロッカーやデスクに管理している。もちろんカギは付いていて、指紋認証式なので本人以外は開ける事が出来ない。
パソコンを起動すると、メールボックスを開く。
……うん、急ぎの案件は入っていない。
急ぎの案件が無い事を確認し、通常タグで届いているメールを開いていく―生産性を上げる為、会社で利用しているメーリングシステムは、メールを送信する際に優先順位度や緊急の有無がタグで設定できる―
「お、鈴屋さんから返信……今度直接謝らないとな」
昨日返信した、”寄付額は例年通りで今年も特に増えません”というメールに対しての返信があったのだ。
内容は――
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株式会社京生貿易
国岡 正巳様
ご返信ありがとうございます。
内容了解しました。
後日何かしら変更が有りましたら、
追ってのご連絡お待ちしています。
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……明らかに怒っている。普段飄々としている分だけ、怒らせると怖いタイプなので、フォローを忘れたらまずい事になる。謝りに行く優先順位高めだな……
他にも届いているメールを確認していく。
どれもこれも通常業務のレベルで問題ない。
「よし、最後に先輩からのメールか……」
先輩にはこれから会いに行こうと思っていたので、敢えて最後に残していた。
内容は――
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企画部
国岡 正巳様
お疲れ様です。
先月のチャリティイベントが企画、運営お疲れ様でした。
さて、本イベントの決算が終わりましたで、ご確認ください。
添付資料:「決算目録」
たて、
2月頃の話で、正巳君と行った旅行が懐かしいです。
下半期に入りましたが、もう少し頑張りましょう!
禄な指導は出来ていませんが、また旅行にでも。
経理部
上原
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……?
急いでいたのかな?
先輩にしては打ち間違いが多い。
それに、メールの書き方が普段と違う……?
しかも、添付資料?確か、決算目録の確認は社内システムを利用して、確認する事になっていたはずだ。その為、送られてくるのは、添付資料では無くIDとパスワードのはずなのだが……
後半の部分も先輩にから貰うメールでは初めての内容だ。
後半。
つまり、私的な内容。
2月?に旅行に行った事と、指導?
確かに、先輩には研修でお世話になったが、基本的に指導は所属している部署の上司が行うもので、他部署の人間が他部署の新人を指導なんてしていたら、部署間の問題になってしまう。
それに、
取り敢えず、直接会って聞いてみよう。
と、その前にいつも持ち歩いている小型記憶端末に先輩からのメール本文と、添付されてきた”決算目録”をコピーする。
……そう言えば、鈴屋さんのメールもコピーしてあるんだっけ。
このコピー癖と云うか、バックアップデータを遺す癖は、大学生時代に身に着いたものだ。……思い出す度辛くなるあの事件。
俺的通称”絶望の珈琲事件”……あれは大学の卒論を書いている時だった、4万文字を超えたあたりで一息つこうと、珈琲を淹れようとした。そして、机にカップを置き、インスタントの珈琲粉をコップに入れた。その後、論文の続きを考えながら眺めている、”パソコンのキーボード”にポットのお湯を注いだ……
当然、パソコンはショートし、データはパー。
もう少しで結論だったのもあって、しばらくぼーっとしていたが、そこからかえって燃えて来て、地獄の卒論作業が始まったのだった。で、結局4万文字と少しで書き上げる筈の論文も、力を入れすぎたせいで3倍以上の分量、小説並みの長さになってしまった。
反省はしているが、後悔はしていない。
ただ、それ以降、データはこまめにバックアップしているし、必要に応じて小型記憶端末にコピーしている……同じ過ちは犯さない。
「よし、行くか」
思ったよりも、コピーに時間がかかったが、完了したのでパソコンを片手に歩き出す。
「経理部行くか」
階段を使って、先輩のデスクのある階まで来る。
「居るといいけど……」
まだ夕方なので、普段通りであればいる筈だ。
先輩に何から聞こうか、何から話そうかと考えながら、部署部屋の扉にあるタッチパネルを操作する。
「先にメールの件で話を聞こうか……いや、もう夕方だし今井さんの所に先輩と行ってからでも……」
ぶつぶつと呟きながら、操作していたタッチパネルに表示された文字を見る。
”外出中”
部屋にはいない、という意味だ。
自分の所属する部署の部屋を出ると、自動的にこの様に表示される。
「カフェにいるのかな……」
経理部にはいないことが分かったので、居そうな場所に検討を付けながら社内を探し回る。
……
……
……
見つからない。
仕方ないので、入り口ゲートの警備員に退社後か確認してもらう。
「上原さんですね、少々お待ちください」
警備室に入って少しして、戻って来た。
「どうでした?」
「はい、上原和一さんはまだ退社していないようです」
……まじか。
退社してないとすると、社内のどこかにいるはずだ。
しかし、建物が大きいので、歩き回って探すわけにもいかない。かと言って、行きそうな場所は全て回ったし……もしかすると、すれ違い、入れ違いになったかもしれない。
もしかすると、戻っているかも知れないので、もう一度経理部を訪ねてみる事にした。
「ありがとうございました」
警備員にお礼を言って歩き出す。
「もう18時か……不味いな」
今井さんと約束していたのは、夕方頃だ。今ならぎりぎり夕方と言えなくもないが、これ以上遅くなれば、”夕方”では無いだろう。
少し急ぎながら経理部の前まで来て、呼び出す前に上がった息を整える。
「おや?君は確か……」
急に声を掛けられた事に驚きながら、声の方を向く。
「岡本財務部長?!……お疲れ様です!」
そこには、財務部の岡本部長が居た。
ふくよかな体格に、細い目、それにネチネチしたしつこい性格から、同期の間では”狐豚”と呼ばれていた。……面倒な人に会ってしまった。
「それで?経理部に何か用かね……?」
咄嗟に、”あなたこそ何か用が?”と言いそうになるが、抑える。
「いえ、先月担当した案件の決済が済んだようなので、確認に伺ったんですが……」
俺の言葉を聞いた狐豚基、岡本部長が眉をひそめる。
「ほう、その案件とは?」
「先月実施したチャリティイベントの件です」
「そうか……チャリティ……ん?確か、上原の担当していた……」
何やら呟いているが、途中で
「はい、上原さんが担当なので、呼び出そうと思ったのですが……岡本部長は経理部に何か用が?」
岡本部長は少し考える仕草をするが、直ぐに口を開く。
「いや、特に用が有ったわけでは無いが、上原君はもう退社した様だよ」
「そうですか……ちなみにいつ頃退社したかご存知ですか?」
何故退社していると知っているのかは分からないが、余計な事は聞かない方が良いだろう。なぜなら、狐豚に一度絡まれるとネチネチ絡まれ、余計な時間を取られる。
「ふむ、もう二時間前には退社していたはずだが」
……?
二時間前?
いやいや、さっき、つい5分くらい前に確認した時はまだ退社していなかったはずだ。
「……確かですか?」
つい、口走ってしまった。
「確か?……それは私に言っているのかね?それとも何だ、疑っているの―」
全て言わせてはいけない。
「――いえ、とんでもないです。ただ、流石に部下を把握していて凄いなと……」
無理があったか?
「そうか、ならいい。とにかく上原君は退社している」
……これ以上岡本部長と話していても意味がない。
「ありがとうございます。明日以降にまた来ることにします」
素早く回れ右して、脱出しようとするが、二歩歩いたところで岡本部長が思い出したかのように声を掛けてくる。
「――そうだ、君」
聞こえなかった事にするには、距離が近すぎる。
仕方ないので、振り返る。
「はい、何でしょう?」
「上原君から何か預かってはいないかい?」
「預かって、ですか?」
探るような眼をしている。
「そう、物でも、データ……メールでも」
「メール……」
思わず、メールなら貰いました、と言いそうになったが抑える。
「……メールも最近貰っていないですね、今回私が担当したイベントの経理担当が上原さんだったので、どうなっているか聞きに、
……嘘をついた。
いや、本当の事を言ってはいけない気がした。
咄嗟ではあったが、嘘には気が付いていないはずだ。
「……そうか、まあ上原君が居ないんじゃ仕方ない、明日また訪ねなさい」
油断できない鋭い視線で見つめてくるが、それに気が付かないふりをして答える。
「そうですね、本当に上原さんには困りましたが、明日出直します!」
狐豚……岡本部長が満足した様子を確認してから、礼を言って歩き出す。
もう一度声を掛けられる前に、早歩きで。
「やばいな、やばい……」
有事の際に備えてメールは社内のサーバーに保存される。一度保存されたデータは、元のデータを消しても、社内のメールサーバーに記録として残る。
その保存されたデータと、やり取りの記録を岡本部長に確認される前に、どうにかしなくてはいけない。先輩からのメールのデータを消し、送信したという記録自体を消す……
「先輩は見つからなかったけど、今井部長に会わないとな……」
唯一そんな事が可能であろう人に会うため、一歩踏み出した。
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