キメラだって恋したい~伴侶が欲しいキャリーちゃん~

棚尾

前編

「キャリー。出てきなさい」


 私の名前を呼ぶ声がします。キャリーとは私のことで、呼んでいるのはこの研究所の博士であるフランさんでしょう。憂鬱です。出ていきたくはありません。

 私はいわゆるキメラと呼ばれる生き物です。身体の中にはヒトだけでなく、ブタの腸にウシの胃、ラットのすい臓など様々な生き物を由来とする臓器を抱えています。割合としてはヒトのものが一番多いでしょうか。だいたい半分くらいはヒトです。

 フランさんの必要に応じて、臓器を取り出されたり、新しく移植されたりします。おかげで私の身体は傷だらけの包帯まみれです。

 私は博士の実験動物という立場にあります。生まれたときからずっとそんな扱いですから、慣れたと言えば慣れたのですが、嫌なものは嫌です。けれども拒否権はありません。悲しいことに。


「キャリー、こんなところにいたのね。さあ、こっちに来なさい」


 フランさんは中々奇抜な見た目の女性です。艶やかな長い黒髪に、眼窩と同じよどんだ茶色い瞳、何より目立つのは顔を横断する一筋の大きな継ぎ目でしょう。一度見ると忘れられない顔です。

 フランさんにほいほい付いていくとひどい目に合うのは分かっているので、せめてもの抵抗に部屋の隅っこに退避します。

 それでも無理やり引っ張り出されるのがいつものことです。フランさんは頑固者で、一度決めたことは譲りません。小柄な身体に似合わず腕っぷしも強いです。何か特別な処置でも施しているのでしょうか。

 ところが、今日は様子が少し違いました。端っこに逃げた私の側に近づくとその場に座りこんだのです。そして悩まし気な顔で、ため息をひとつ付きました。

 いったい、どうしたのでしょう。私は何があったのか尋ねてみることにしました。


「ヴィクターと喧嘩してしまったわ。どうしたらいいかしら。気晴らしにキャリーをいじろうと思ったけど、何だか集中できそうにないわね」


 ヴィクターさんはフランさんの側にいつもいるヒトです。二人は幼馴染という間柄で、とにかくフランさんにとって大切なヒトのようです。珍しく仲違いをしたようですが、その代償に私をいじくり回すと決めたみたいでした。人でなしも良いところですね。


「でも仕方ないじゃない。ヴィクターが心配し過ぎなのよ。私だって一人で出かけたい時だってあるわ」


 ひとり言のようにつぶやきます。そんなにショックなことなのでしょうか。私にはそんな特別なヒトなんていませんから、イマイチ理解できません。


「フラン。そこにいるのか」


 ヴィクターさんが顔を出しました。身体の全長は三十センチメートルほどで、紫色の皮膚に申し訳程度に手足が生えています。頭は他と比べれば大きくて、目玉がひとつついています。

 これでもヒトみたいです。詳細は知りませんが、ヒトとしての肉体を失って、フランさんに今の身体に再生してもらったと聞いたことがあります。


「その、何だ。さっきはきつく言って悪かったな。けれどフランが心配だったんだ。俺たちは普通じゃないから、外に出たらどんな目に合うかわからないだろ」

「いいのよ。私も悪かったわ。ヴィクター、リビングでお茶でも飲みましょう。あなたとお話がしたいわ」


 フランさんの、顔が晴れやかになります。頬も心なしか上気しているようで、ヴィクターさんにぞっこんのようです。趣味が悪いとしか言いようがありませんね。

 フランさんがヴィクターさんに近づいて抱え上げます。そして、頭をなでています。露骨に嬉しそうです。ヴィクターさんも嫌がっているようには見えません。

 この二人は、相思相愛なのでしょう。傍からみても、そう伝わってきます。

 フランさんは、私に対する関心を失ったのか、そのまま部屋を出ていってしまいました。


 私には、この研究所では親しいヒトはいません。実験動物という扱いですから仕方がないことですが、それでも寂しいという気持ちにはなります。ツラい気持ちを抱え込んで、どうしようもなく泣き叫ぶときもあります。

 あの二人のように、互いに想いあえるヒトがいたならば、この気持ちは楽になるのでしょうか。フランさんにお願いしたら、そういう存在を創っていただけるのでしょうか。


 そう、いわゆる人生の伴侶となる存在を創ってもらうのです。


 ただ、フランさんに頼んでも、どのようなヒトが出されるかはわかりません。彼女はヴィクターさんのことを考えると特殊な性癖の持ち主だと思われます。それに、私にも好みがあります。具体的にはどういうヒトが良いのか、思いつかないですが。

 だから、私はフランさんに頼む前に、自分の好みをハッキリさせることにしました。この研究所を訪れるヒト達を観察して、自分の好みを分析するのです。

 そうと決まれば行動開始です。ここで管を巻いている必要はありません。研究所の中は自由に歩くことが許されていますので、まずは玄関の前で待機してることに決めました。




 この研究所は山奥に建てられています。ふもとに小さな村はありますが、基本的にはヒトの世界と隔絶したところにあります。それでも、訪れるヒトが全くいないわけではありません。

 玄関に陣取って二日目に最初の訪問者が現れました。

 フランさんの知り合いの研究者のようです。

 精悍な顔立ちとギラギラした目つきは悪くないです。綺麗に整えられた髭もダンディズムを醸し出しています。年齢は四十歳前後というところでしょうか。

 しかし、服装と装飾品のセンスがよろしくありません。

 ふわふわの毛皮でできた上等な上掛けに、指にも黄金の指輪が5本ずつこれ見よがしに、しっかり嵌っています。

 お金回りが良いのははっきりとわかりますが、強欲をかたちにしたような格好です。


「ケモノが目ざわりな。どこかへ行け」


 しかも、私を侮蔑するようにチラリと見下ろして、フランさんと去っていきました。

 どうみたって独身でしょう。尊大な態度が全身から滲みでています。明らかに思いやりがありません。私をヒト扱いしていないのが露骨です。

 私はお互いに想いあい尊重しあう対等な関係が良いのです。あんな偉そうなのは、こちらから願い下げです。次にいきましょう。




 それから、さらに二日が経ちました。

 次の訪問者は女性でした。

 栗色の髪に澄んだ青い瞳、優し気に目尻が下がり、第一印象ではフランさんの対極にいるような、朗らかで太陽のような温かさが感じられる女性です。

 その女性は私の姿を認めると、笑いかけてくれました。


「フランさん。彼女の名前はなんて言うんですか」


 その女性は自らかがみこんで、私の手を取ってくれました。何だか気恥ずかしくなり、声を出すことはできませんでした。そもそも、こんなあからさまな好意をぶつけられるのが初めてでどうして良いかわかりません。


「キャリーよ。名前は気まぐれにつけてみただけなんだけどね」

「キャリーと言うのね。私はフランさんのお友達なの。よろしくね」


 そして、なんと抱きしめてくれました。傷だらけの包帯だらけの肉体に一切の嫌悪を抱いている様子はありません。胸の奥にじわっと暖かなものが広がります。脳から、セロトニンやらオキシトシンやらが分泌されているのでしょう。気持ち良すぎておかしくなりそうです。この研究所で暮らしてから、初めての感覚でした。ヒトと触れ合うことはこんなにも気持ちの良いものなのかと、目から鱗がこぼれ落ちます。

 私は思わず後ずさりして、その女性から離れます。ちょっと刺激が強すぎました。頭がくらくらします。丁度良い距離感が大切だと思いました。


「あら、嫌われちゃったかしら」


 女性は残念そうに口をへの字に曲げました。ころころ表情が変わり、その様子は愛らしく魅力的です。

 しかし、あまりにも、自分が持っているものとかけ離れています。落ち着かないばかりか、みじめな気分になりそうです。

 こういう方と、たまに触れ合うのは良いでしょう。しかし、人生を共に歩むにはツラいです。次にいきましょう。




 またまた二日ほど経過したころです。

 そのヒトは寡黙でした。白髪交じりの長髪を後ろでくくり、目つきは鋭く何を考えているかは、よくわかりません。身長はフランさんの倍くらいあるしょうか。ともかく、大きく、まるで巨人のようで、私からは見上げるばかりでした。しゃべっているところを見たことがありません。

 彼はふもとの村の猟師らしく、研究所のある山の動物を狩って生活をしているようでした。そして度々ここへ来て、獲物のおすそ分けをしてくれるのです。


「いつもすまないわね。何か困ったことがあったら協力するから言ってちょうだい」


 フランさんの言葉に、彼は小さくうなずきました。そして、彼の視線が動いて、玄関の隅にいる私を捉えました。

 まるで、何かに心臓を射抜かれたような気がしました。背筋がゾクッとして、全身の肌が粟立ちます。彼の目は狩りの獲物を見るようでした。私はその場で動けなくなってしまいました。視線を外せません。

 彼が静かに近づいてきます。余計な音を立てない狩人の動きでした。

 彼が屈みこんで、大きい手のひらで私の頭をなでました。ごつごつとした手のひらでした。けれども無遠慮ではありません。こちらを気遣うような優しい手つきでした。

 それでも、私の緊張は解けません。先日の女性のときとは違った、ドキドキとした感覚が、身体を支配します。

 この感覚を、何と言い表せば良いのでしょうか。それは決して不快なものではありませんでした。それどころか、このヒトになら、全てを委ねても良いとさえ思ってしまいそうでした。

 彼が私の頭を撫でていた手を放し立ち上がります。名残惜しさを感じてしまいます。もっと触れていたいとさえ思いました。

 そのまま、彼はフランさんに会釈をして、去っていきました。




 その日の夜、毛布の中に身を沈めて考えます。彼に見られて、触れられたときの言葉にできない圧倒的な感覚は何だったのでしょうか。

 優しく包み込んでくれそうな包容力がありました。抵抗をせず、全てを委ねても良いと思えるような、圧倒的な力強さも感じました。

 人生をともに歩むのなら、彼のように頼れそうなヒトが良いのかもしれないと思います。 

 しかし一方で、私は彼の何を知っているでしょうか。ただひと目見て、一瞬の間触れたに過ぎません。彼の素性は知っていますが、どういう人物で、私のことをどう思っているのかもわかりません。

 彼にもう一度会いたいと考えるようになりました。彼のことをもっと深く知りたいのです。この感情はもしかしたら、恋でしょうか。ヒトが伴侶を決める前に、気になるヒトに対して抱く感情かもしれません。

 未知の感情に戸惑いつつも、それは確かに胸のうちにありました。

 私は思い切って研究所の外に出ることに決めました。私は外の世界を知りません。これは大冒険です。けれども、この燃える感情を遮るものなどありません。

 今なら何でもできるのではないか。そんなことさえ思えるのです。



 

 フランさんにばれないように、朝早く静かに研究所の外に出ます。彼はもう、この山のどこかにいるのでしょうか。それともまだ、ふもとの村にいるのかもしれません。

 猟師である彼の素性から、朝は山にいるのではないかと当たりをつけて出てきたのですが、確信がある訳ではありません。

 程よいタイミングで戻ることも考えなくてはいけません。フランさんに生殺与奪の権利を握られている身ですから、もし見つかったらどんな扱いを受けるかわかりません。最悪処分されてしまうでしょう。

 ふもとの村に続くと思われる開けた山道を、周りの音に耳を澄ましながら進みます。彼は猟師ですから、人が通る普通の山道にはいない可能性が高いでしょう。ケモノはヒトの気配を嫌います。それを捕えようと狙うなら、猟師である彼もまた、ケモノ道を追っているのではないかと予測できます。

 しかし、無知な私が安易にケモノ道に踏み込んでも迷うばかりか、最悪彼の仕掛けた罠に掛かってしまいます。

 それで彼に助けられるのも良いかもしれませんが、うかつな行動は本意ではありません。彼の邪魔をするなど、もってのほかです。

 一時間ほど歩いていくと、小さな小屋が見えました。窓から中を覗き込んでみますが、ヒトの姿はありません。壁際に猟銃と思われるモノが立て掛けられています。

 彼の家でしょうか。いいえ、おそらく山を歩くときに、一時休憩に利用する山小屋でしょう。もしかしたら近くにいるのかもしれません。

 私はこの場で、少し待っていることにしました。うかつに歩き回っても徒労に終わるだけです。それに、ここまでくるのに体力を使ってしまいました。

 小屋の軒下の日陰になるところで身体を休めます。今日の天気は晴れです。風もよく通り、過ごしやすいと言えるでしょう。

 それから、どれくらい時間がたったでしょうか。気が付いたら太陽は真上を通り過ぎ、西日が差しています。

 つい、うとうとと眠ってしまったようです。昨晩は中々眠れず夜更かしをしてしまったので、その影響でしょう。流石にもう研究所に戻らないといけません。


 立ち上がり、帰る前にもう一度小屋を窓から、覗き込みます。


 彼が、そこにいました。長袖のシャツをまくり、たくましい腕が覗いています。昨日、あの手で頭を撫でられたことを思い出して、頭がぼうっと熱くなります。

 今日捕獲した獲物でしょうか、天井から吊るされたイノシシに、彼は向き合っていました。昨日と変わらず無表情に見えますが、いくらか真剣な雰囲気が伝わってきます。手にはナイフが握られていました。

 イノシシはというと、落とされ頭が床に置かれていました。吊るされている身体のほうは皮もすでに剥かれているようで、うっすらとピンク色をした肉があらわになっています。まさに解体作業の途中といったところでしょう。

 イノシシの下腹部にお腹側からナイフが入り、前が完全に切り開かれます。そこから、鮮やかなピンク色をした腸が引き出され、ついで濃い赤褐色の肝臓が取り出されました。そして彼の手のひらに、つい先ほどまで鼓動を刻んでいただろう心臓が握られました。

 作業の一部始終から目が離せませんでした。ひとつひとつ、丁寧に彼の手つきは素早く適格に、生命を解体していきます。そこに雑な要素は一切ありませんでした。

 猟師の彼にとって、その行為は祈りに近いのでしょうか。日々の恵みに、世界に感謝し、それに真剣に向き合う行為。まるで、神聖な儀式のように私は感じました。

 つい、身を乗り出してしまいました。鼻先が窓ガラスに触れて、ミシっと音が鳴ります。

 彼がこちらを振り向きました。背筋がゾクッとして、全身の肌が粟立ちました。初めて目が合ったときと同じ衝撃です。

 私は思わず駆け出してしまいました。彼の神聖な行為を邪魔してしまったという罪悪感と、羞恥の心もありましたが、それ以上の強い衝動が身体を動かしたのです。

 山道を一気に駆け上がります。彼は後を追ってきているでしょうか。確認するのも恐くて、振り向くことが出来ません。

 息を切らし、研究所の扉を体当たりで開き中に飛び込みました。


 これで、ひと安心です。


 はて、恋をしているかもしれない相手から離れて安堵をするとは、どういう状況でしょうか。少しばかり違和感を覚えますが、彼を意識し過ぎているからこそ、こんな気持ちになるのでしょう。気にはなるけども、近すぎても落ち着かないという感覚かもしれません。

 しかし、あの一瞬で彼は、私のことに気づいたのでしょうか。もし気づかれていたのであれば全く良い印象を持たれていないでしょう。ただでさえ正面を切ってまともに向き合えていないのに、顔を合わせることが気まずくなってしまいました。

 それでも、また会いたいと思ってしまいます。やはり、この感情は恋なのでしょうか。少なくとも、今まで抱いたことのない感情であることは確かです。そして、この出会いとそれに伴う感情の起伏は、とても刺激的です。

 例えこの先どうなろうとも、この思いのまま行動するのも悪くはありません。ただの実験動物として、静かに一生を迎えるより、よっぽど意味があることでしょう。

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