六の月

第29話 命がけの奸計と空の玉座

 六月の満月の日がやってきた。

 例年より早く訪れた梅雨のなか、私は章吾さん夫妻の酒屋に顔を出していた。ご近所さんから梅をたくさんいただいたので、梅酒を作るためのホワイトリカーを買いにきたのだ。そのついでに、実家から送られてきたさくらんぼをお裾分けする。渡すだけなのに、ついつい世間話に花を咲かせてしまうのは、いつものことで。


「あ、そうそう。キヨちゃんアスパラガス持っていきなさいよ、うちの人が配達のついでに二か所からもらってきてたくさんあるの」


 そう言ってしばらくすると、どっさりアスパラガスが入った袋を、手に戻ってくる節子さん。

 さすがに食べきれないので、必要な分だけを中から取り出すと。


「またそろそろクロードさんが来る頃でしょ、彼も好きだからもっと持っていきなさいよ」


 そう言って、最初に手にした倍の量を持たされてしまう。

 いつも貰っているお裾分けのお礼に、さくらんぼを持ってきたのに、このまま長居したら渡した以上の物になって返ってきそう。なので、雑談はそこで切り上げることに。


「……そうか、アスパラガスも好物なんだ」


 とりあえず、美味しい料理方法を検索してみる。

 元々は酒を美味しくいただくための料理ならするけれど、あとは適当な人間である。そうそうレパートリーがあるわけでもなく、そのつど調べて作ることが多い。そのせいか、一度作って忘れ去ることもある。

 とりあえず選んだのは、肉巻きにして串カツ風、それから茹でてごま酢あえにしてみた。……うん、結局は酒の肴になりそう。

 まあいいか。せっかく油を用意したので、他にも揚げる準備もしたし、きっとご飯がすすむに違いない。

 そう納得させたところに、いつもの大きな振動と音が聞こえた。

 すっかり慣れたとはいえ、この古い家が大丈夫だろうかと、少し心配になる。


「……クロード?」


 押し入れのある部屋に向かえば、すぐに開いた襖の向こうから、見たこともないきらびやかな刺繍が、これでもかと施された布が垂れてきて、何事かと固まる。

 するとその布を手で払いながら、クロードが現れた。

 私の目の前に立つ彼は、いつもとは違う映画から出て来た王様のようだった。最初に目に入った刺繍のある大きな布はマントだった。それだけでなく彼が身につけている赤を基調とした衣装にも、同じような文様の刺繍がこれでもかと縫われている。

 対して私は、いつものTシャツにGパン、そしてタータン柄のエプロン姿。

 クロードはその格好に相応しい厳しい顔を崩さずに、私を見下ろしている。


「……何から話せばいいのか」


 クロードの様子から、楽しい仮装パーティーをしていたわけではないようだ。


「王様にでもなったみたいね」


 私がそう言えば、クロードは本当に嫌そうな顔で眉間に皺を寄せて、大きなため息をついた。


「嵌められた」

「……どういう、こと?」


 クロードは肩についている金具を外し、重そうなマントを外して、部屋の隅に放り投げた。そして次々に絢爛豪華な衣装を脱ぎ捨ててから、「養父に嵌められた」ともう一度言った。


「はなから俺を王に据えるために、小国の王を騙し圧制を敷かせ、俺との結婚を強制させるふりをして姫を逃がし、兵をあげさせたんだ。リコを殺し、その復讐に燃える俺に自分を討たせることで、俺を玉座に縛ろうだなど……全てが養父あいつの掌の上だったんだ」

「まさか……討たせるって」

「ああそうだ。攻め入った城には、すでに姫の父親である王は、養父に殺されていた。わざと養父は全ての罪状を負い、姫の最も近い片腕となった俺に討たれて、死ぬまでが計画だった。命が尽きる前に、笑いながらそう告げられた」


 クロードは装飾を外し、簡素な白いシャツ姿になり、隣の部屋の仏壇の前に胡坐をかいた。そして握りしめていた拳を広げ、その手をじっと見つめている。

 笑顔の祖父の写真に、まるで顔向けできないと言いたげに、クロードはうつむいたままだ。


「何を考えているんだと、思った。そんなことのために、リコを殺したのか、民衆を飢えと暴力に導いたのかと、怒りでどうにかなりそうだった」

「養父は、どうなったの?」


 そう問いかけながら、私もクロードの隣に座り、彼に代わって蝋燭に火を灯して線香をあげる。


「死んだ。満足そうに笑いながら。俺がその首を切って晒した……」


 私は言葉を失う。

 まさかクロードがそこまでするとは思わなかった。すべてが片付けば、自分は雲隠れしたい。そう考えるほど権力に執着しなかったのだろうし、養父との決別だって、躊躇するほどやさしい人だ。あれが偽りだったなら、彼は隻眼になどなっていない。


「でも、どんなに功績があっても、あなたは王族じゃないでしょ。どうして王になれると養父は考えたの」

「そう、難しいはずだった。主犯が養父であると流布しそれを俺が討ち、民衆が求める救世主であるかのように、あっという間に広まってしまった。おそらくそれも準備されていたのだと思う。それに加えて姫の若さ……ただでさえ身重で討伐に加わっていないところに、伴侶が死んだことでその穴を埋める者が望まれた。すべてが巧妙に仕組まれていて、まるで蟻地獄にはまったように、気づいたら身動きができなくなっていた。どんなに拒んでも、俺が進める道が、玉座しか残されていなかった」


 クロードは、隣に座った私に目を向けず、手を取り強く握る。彼から痛みが伝わってくるかのようだった。


「どうしてクロードを? そこまでするなら自分ではダメだったの?」

「サーウィスの名を継ぐ者を、玉座に就けたいと。幻の国を現実にする、それが異界から来た俺の役目だと……そんなのは妄執以外のなにものでもない!」


 吐き捨てるように言ったクロード。


「もう、断れないの?」

「姫に、土下座されたんだ」

「お姫様が、あなたに?」


 すごく、嫌な予感がした。


「ああ……五年、いや三年でいい。国を立て直すまで、生まれた子が乳飲み子を脱するまで、仮初の夫となってくれと」


 私はその言葉を、どこか遠いところで聞いているような気がした。

 あの日桜と神様に誓った言葉を、見たこともないお姫様にも彼は言うのだろうか。

 苦し気に、私を見つめるクロード。

 彼がどんな決意をしたのか、聞かなくてもわかる気がした。

 彼は、リコの忘れ形見を見捨てるなんて、できないだろう。たくさんの人に背を向けて、自分勝手にいなくなることなんて、できない。わかっているからこそ、私の元に逃げたいと、途方もない夢を語ったのだから。

 それでも私は、分かりきった答えを求めて、彼に問う。


「……それを、受けたの?」

「条件を、つけて受けた。決して本当の夫婦にはならない、子の父親を必ずリコと認めて偽らないこと。この二つを約束させた」


 クロードは、そして右目を伏せて言う。


「すまない、いくら仮初とはいえ、これほどの裏切りはないと思っている」


 いいよ、仕方ないよ。

 そう言って、笑うべきなんだと思う。彼をここに引き留めるすべを持たない私に、それ以外の選択肢があるのか。

 けれども、言葉は口から出すことができず、涙があふれた。


「キヨ」


 クロードが切ない声で名を呼び、抱きしめられるのと同時に、声にならない嗚咽がもれた。

 どうしていつも、クロードばかり重荷を背負わなくてはならないのか。

 離さないで欲しいのに、なぜ私たちの手はいつまでたっても届かないのか。

 いっそ私が持っている月鏡の石をもう一度神様に差し出して、彼を私のもとに引き留めたい。

 だけど、それをしたら、彼は一生後悔し続けるだろう。

 いま私を慰めるように背を撫で、額にキスを降らせるクロードは、確かにここにいるのに。

 

「キヨ、俺を許すな。だけど信じて欲しい、キヨにだけは嘘はつかない、俺が妻にしたいのはキヨだけだ。だから今日という日を、戴冠の日にしたんだ」

「今日……満月ってこと?」

「そう、仰々しい式をこなして役目は務めた。その玉座を空にして、おまえの元にきた」


 それじゃ、向こうでは騒ぎになってない?

 そう聞けば、クロードは鼻で小さく笑い「それくらいの我儘は言わせてもらう。何とかするだろう」と。

 私は再びあふれる涙をこらえながら、クロードの首に両腕を回すと、彼は「好きだ」と応える。


「そんなに言うなら、証をちょうだい。誓いだけじゃなくて、本当の妻にしてよ」


 クロードが私の願いに驚いたのが、寄せた体で分かった。

 けれどもすぐに彼の腕が私の背中に回り、「いいのか?」と声が続く。私がひとつ頷くと、抱き上げられる。

 隣の部屋に連れていかれ、私たちはそこで体を重ねた。

 途方もなく遠い私たちの距離が、これで埋まるわけではない。でも心だけじゃない、互いが唯一無二である証が欲しかった。


 

 いつの間にか眠りにおちていたのか、ふと目覚めると部屋の中は薄暗い。

 あたたかい布団にくるまれたままで、柱時計に目を向けると、時刻は五時。夕方にしては暗い……。

 私ははっとして起き上がると、布団の中で何かが動いた。

 ぎょっとして見ると、裸のクロードが横たわっている。そしてそんな私もまた裸だ。慌てて毛布をひったくって体に巻き付けると、クロードが目を瞬かせて起きた。


「キヨ?」

「ねえ、いま夕方? 朝?」

「そりゃ、昨夜はずっとしてたから朝じゃ……」


 クロードが目をかっと開いて起き上がった。

 驚いた顔をして時計の針を確認して、窓の外を見る。そして自分の裸の胸に手を当てて言った。


「……感覚が、消えてる」


 最初は彼が何を言っているのか分からなかった。


「体の奥で引っ張られるようなあの感覚が、しないんだ」

「どういうこと? もしかして、もうあちらに戻らなくて済むってこと?」


 そう尋ねると、クロードはしばし考え込む。


「そうかもしれないが、前にも少し感覚が狂ったこともあるし、なんとも言えない。だが、こんなに何も感じないことは初めてで」


 私よりも、クロードの方がよほど動揺しているみたいだった。


「何にしろ、長くいられるのは嬉しいね」


 素直にそう言うと、クロードはどこか納得したように、布団にくるまった私を抱き寄せた。


「キヨの言う通りだ。どうなるか分からないが、とりあえず俺も嬉しい」


 そのまま勢いで布団ごと押し倒されそうになる。


「ちょっと、なにするのよ朝っぱらから」

「なにって、続きを」

「冗談はやめて。昨夜はご飯だって食べてないんですからね!」


 文句ありげなクロードの下からはい出て、洗面所に逃げ込む。そしてシャワーを浴びて身支度を整えてから、朝食を作った。

 作りおいてあったアスパラ料理を温め直しておかずに出すと、クロードは幸せそうだった。

 お腹を充分満たしたところで、作戦会議を始めることとする。

 そう宣言したものの、私はクロードにまずは告げなければならないことがある。


「怒らないで聞いてほしいんだけど」


 座卓を挟んで座るクロードが苦笑する。


「そういう聞き方だと、身に覚えがあるって告白してるのも同然だろうに。いいよ、怒らないから」

「本当? 実は……」


 そうして智晴さんと何度か会って、神社に伝わる古い古文書の解読を手伝ってもらったことを話すと。


「は? もう会うなって約束しただろう、キヨ」


 怒らないって言ったのに、不機嫌だ。

 けれども、彼と話したことで得た情報は、クロードにとっても大事なことだ。宮司さんの協力も無駄にしたくはない。

 だから不機嫌なクロードに、智晴さんが今はとても後悔していて、クロードが戻ってこられるように、仕事が忙しいにもかかわらず、協力してくれていることを話す。すると渋々ながらも、会ったことについては、仕方がないと納得してくれた。


「それで、クロードに確かめたいことがあるの」

「なにを?」

「最初に向こうの世界に行ってすぐ、何かを飲まされたって言ったよね? それってこんな石じゃなかった?」


 神社の目録にあった月鏡の石の写し絵を、スマホのデータから開いて見せた。


「あれは半分意識がぶっとんでた時だから、どんな物かはよく見てないんだ。石みたいな固さだったのは覚えているが……なんだこれ?」


 本当に見たことがない様子だった。


「じゃあ、飲んだ後って、どうなったの?」

「たぶん体に吸収されたんだろうな。養父は、あれが一族に伝わる幸運の元だと信じていた。だからこそ俺にこだわったのだとも」


 それを聞いて、眩暈をがする。


「吸収って、じゃあ取り出せないの? あとから排泄してお守りみたいに持ってるとかは?」


 焦るあまり私がとんでもない事を口にすると、クロードは渋い顔をして「おいおい、やめてくれよ」と嫌そうな顔だ。


「どうしたんだよキヨ。正直に言ってくれ、は何なんだ?」


 青ざめる私に、クロードは焦れたようにスマホの写真を指差して問う。


「……月鏡の石。これが伝承で言われている、月鏡なの」


 そう言いながらも、私は残酷な現実に打ちのめされていた。

 もし智晴さんたちと導き出した仮説が正しいとするなら。クロードが欠片と同化している限り、永遠にあちらの世界から彼は解放されず、行き来し続けねばならないということになる。

 そして彼に私の持つ月鏡の石を渡したなら……

 そう考えただけでも、背筋にヒヤリとしたものが伝った。

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