第15話 お神酒と望まぬ再会
興味津々でクロードを上から下まで眺める日菜姉にお茶を出して、私は二人の間の席に収まった。
「すごく前に一度会ったわよね、私は日菜子。よろしくね? それにキヨちゃん、わざわざ服を用意することなかったじゃない、眼帯のせいでちょっとコスプレっぽいけど、いいじゃん、格好よくて人目ひきそう」
いや日菜姉、人目ひく必要ないでしょ。そんな風に心でツッコミながら、私はクロードに日菜姉が同じく亀蔵祖父の長男、真伯父さんの長女で、私の従姉だと説明する。
するとクロードも、日菜姉に改めて頭を下げた。
「クロード、とだけ名乗ることを許してほしい。それと服など、世話になったようで、ありがたい」
浩介さんに頼んで借りたりてあった、男物服一式を見て、察したようだ。
「これくらい気にしないで、祖父の友人だもの、よくしてくれたって聞いてるわ」
「そんなことは……当方こそいつも世話になってばかりで」
そんなやり取りをしているのをぼんやり聞きながら、私はクロードの本当の名前すら知らないのだと、改めて気づく。
彼は元々日本人で、こちらの世界で生を受けて育ったんだから、本名がクロードの訳がない。……いや、キラキラネームとかあるくらいだし、本名である可能性がないわけじゃないけど。
気になって確かめたい衝動にかられる。でも、今更聞きづらい。
「ねえ、そろそろ時間だけど、彼もいっしょに本祭に出るの?」
日菜姉がお茶をすすりながら、壁の古い時計を仰ぎ見る。
「あ、本当。もう出なきゃ。行こう、日菜姉」
慌てて立ち上がる日菜姉。私もコートを着ながら、クロードに家で待つように告げる。
「このあと、本祭に参加するんだけど、クロードは治療してもらったばかりだし、まだ休んでて」
「大したことはしてないから、大丈夫だぞ?」
「ううん、本祭は拝殿のなかで祝詞をあげてもらうのよ、一時間もしたら終わるから。元々、夕方から一緒に出かけるつもりだったの、でも本祭が終わったら屋台で何か買ってお昼にしようと思うんだ。三時から神楽もあるし」
「そうか、わかった。キヨの言う通りにする」
「そこに日菜姉が借りてくれた服あるから、着替えて待ってて。すぐ戻る」
手袋をはめながらそう言うと、クロードはたたんで重ねてあった服を見て頷く。
「節子さんもう行っちゃったみたいよ、ねえはやくー!」
「はーい……じゃあクロード、行ってくるね」
「ああ、気をつけて」
そうして私はクロードを家に残して、坂の上の神社に向かった。
足早に山に向かう坂を上がり、続く鳥居までの階段のせいで、すぐに息があがって温まる。町の人たちもずいぶん集まってきていて、気づけば雪が止み、薄く青空も見え始めていた。
「あ、もう甘酒配りはじめてるよ、ちょっとフライングじゃない? あるなら早めに来たのに、本祭が終わったら無くなってないよね?」
「日菜姉、甘酒そんなに好きだっけ」
「だって寒いもん」
「そう? でも今日の日菜姉、異常に厚着だよね」
こちらの気温に慣れてる日菜姉は、いつもは逆に薄着でアクティブな人だ。なのに今日は珍しく、パンツに厚手のロングセーターを合わせて太腿まで隠していた。珍しいので、家で気になってはいたのだ。外に出るとさらにムートンのロングブーツと、もちろんフードつきのロングダウンコート、更にマフラーと手袋まで。
私の訝しむ目に、少しはにかんだような顔をしてから、私を引き寄せて耳打ちする。
「まだ内緒にしてほしいんだけどね」
「うん、なに?」
続く言葉に、私は驚きのあまり息をのんだ。
「え……あ、あか」
「しーっ!」
はっとして口を噤む。
日菜姉の顔が、とてもいい笑顔で、眩しい。
赤ちゃん……日菜姉に。
私はその言葉を心で何度も反芻する。その回数だけ、胸がほかほかと温かくなる。
離れた日菜姉の耳元に口を寄せて、「おめでとう」とお祝いを言えば、日菜姉は頬を赤らめて「ありがと」と返してきた。
「でも、実はまだ浩介には言ってないんだ」
「ええ?!」
「実は昨日の朝早くに仕事が入っちゃって。ほら、先週、すごく風が強い日があったでしょう? なんでもそのせいで、高圧線近くで倒れそうな高木があって、また来週には低気圧が来るから、応急処置に駆り出されちゃったの。帰りは今日の夕方になりそうって」
「そう、なんだ。大変だね」
「いつものことよ。それに、早く欲しいってのは二人の希望だから、戻ってきたらきっと喜んでくれるわ」
「うん、そうだね。きっと大喜びだね」
でも、拝殿は冷える。このまま参加して大丈夫なのかな。
そんな私の心配を伝えると、日菜姉も一度は止めようかとも思ったそう。
「でも、再来月の結婚式もここの神社さんでしょう、本祭が終わったら宮司さんに一度挨拶する予定だったのよね。それにキヨちゃんと一緒なら、配られるお神酒も飲んでもらえるし」
「酒飲み要員なの、私! 譲るくらいなら断ればいいじゃない、そもそも飲めない人には配ってないから」
「ははは、それもそうだ」
ペロリと舌を出して笑って誤魔化す日菜姉。
そうこうしているうちに、参列の人波に流されるまま社殿に入り、端から座っていく。ちょうど私たちが並んで座った場所の前に、酒屋の節子さんがいて私に手を振る。
「キヨちゃん、よかった間に合ったわね。さっき水嶋先生の奥さんに会って、彼がまた処置を受けたって聞いたから」
「今回は寝込むほどじゃなかったみたいです。ただ……傷は」
「うん、聞いたわ。ほんと、心配ばかりかける子だわね」
節子さんも度重なるクロードの怪我を知る一人だけれど、あまり干渉しないようにと気遣っているように見える。しかし心配をかけているには違いない。
「本人も気落ちして、自棄にならないといいけど」
「そうですね」
節子さんの言う通りだったら、逆に少しは危険から遠ざかるかしら。
いやむしろ自棄になって、養父と一国の王様を殺しにいくとかじゃないといいけど。クロードの言葉を思い出し、私はため息しか出ない。
「傷ってもしかして、あの眼帯のこと?」
事情を知らない日菜姉が、祝詞がはじまる前の町内会長さんの挨拶のときに、小声で聞いて来る。
私は横にいる従姉に分かるくらいに、小さく頷く。
すぐに始まった祝詞に、それ以上は聞いてくることができない日菜姉だったけれど、しばらく気になっているのか私の様子を伺っているようだった。
それから新入居者と年男年女、他にも特別に祈祷を願い出ている人たちが呼ばれ、榊を奉納する。それらが終わると、町の子供が舞いを奉納してくれた。あどけない舞い姿は、人々に柔らかい笑顔をもたらせてくれる。
そうして子供たちが立派に役目を終えて、最後にお神酒が配られた。
小さな白い器に注がれた酒は、奉納されたもののお下がり。どこにでもあるお酒ばかりなのに、祭りの神聖さの雰囲気のせいか、とても美味しく感じるから不思議。
横で日菜姉がほんのひと口ぺろりと皿を舐め、笑いながら残りを私に寄こした。
「一応、おめでたいものだからね、あやかって舐めてみた」
「じゃあこれで、しばらくは禁酒だね」
「そ、そうなるか! しまった、そこまでは考えてなかった。舐めるんじゃなくて一口くらい飲んでおけばよかった!」
その事実には気づいてなかったのか、愕然とする日菜姉。それを見ながら、私は日菜姉がこれ以上誘惑にかられないよう、さっさと残りを煽って飲み干した。
彼女も私と同じく、立派に亀蔵の血を引いてるので、もちろん酒好きだ。
「日菜姉、このまま残るの?」
「うん、そうするよ。社務所で宮司さんに挨拶してから帰る。今日はもう雪が止みそうだしね、また寒い日に出直すのも嫌だし」
「そうなんだ、じゃあ私は一旦戻らないと。今、何時だっけ」
ごそごそと鞄をあさるが、スマホが見当たらない。
「どうした?」
「急いでいたから、家にスマホ忘れてきたみたい。今何時かわかる?」
「ふふ、ドジねえ。待って……あれれ、着信がある。気づかなかったわぁ」
日菜姉がポケットから自分のスマホを取り出すが、どうも真伯父さんからの電話みたい。
「伯父さんにかけ直してあげなよ」
「うーん、まあそうする。社殿を出たらね」
「じゃあ日菜姉、帰りは大丈…………って、なにあれ?」
本祭が終わって社殿を出る人波のすぐ外で、人のざわめきが聞こえた。無意識にそちらに目線を向けると、どうやら外に出ようとする人の波をかきわけて、誰かが強引に入って来ようとしているようだった。
拝殿から出るには、ステップが狭い階段がある。そこでもみ合いになって誰かが怪我をしそうだ。私と日菜姉は、列を外れていったん拝殿の外にある廊下に出て、避けることに。
ちょうどそこで日菜姉のスマホが鳴動した。
「ちょっと出ちゃってもいいかな、廊下だし……あ、父さん? うん、今本祭が終わって……え?」
「じゃあ私、先に行くね」
「うん、気をつけてねキヨちゃん……え、なに? キヨちゃんに?」
自分の名が出て、帰ろうとした足を止める。
どうやら何かあったのか、日菜姉の顔が強張っていく。そして電話に耳を傾けながら私の袖を掴み、引き止めたのだった。
「どうしたの?」
「キヨちゃん、なんかまずいことになってるみたい。今は帰っちゃダメ」
「え? どういう……」
「東京から電話があって、キヨちゃんの方にも電話したんだけど繋がらなくて、上司の人から」
困惑する私を掴まえて、日菜姉が電話片手に説明を始めたところで、青ざめている。
いったい何なのかと、日菜姉の凝視する先、私の後ろを振り向いて私も青ざめる。
「……篠原、さん?」
私の後ろでゆらりと立つ女性は、かつての会社の先輩、篠原だった。
だけどいつも流行の形に綺麗に整えられていた髪は乱れ、顔色も悪く、肩にかけたバッグもお洒落なコートもどこかシワと汚れにまみれていた。それなのに、私を睨む目がぎらぎらと、恐ろしいほどに怒気を帯びている。
「探したわよ、辻さん」
「どうして、ここに……?」
「調べたに決まってるじゃない! あんたのせいで会社をクビになったのに、なんであんたまで辞めて独立してるのよ。それなら私を辞めさせる必要なんて、まったくなかったはずよ!」
その叫びに、外に向かっていた人垣が、一斉にこちらを見た。
「ちょっと、あなた、土足では困ります」
神社の氏子当番をしている、年配のおばさんが見かねて声をかけてきた。
けれどもそのおばさんを、篠原さんは手で大きく振り払ってしまい、その勢いで尻餅をついてしまう。
「なにするの、関係ない人をまきこまないで!」
おばさんにまで威嚇の視線を投げかける様子は、常軌を逸してる気がした。
それは周囲の人の目にも同じだったようで、近くにいた人がおばさんに手を貸すが、篠原さんには近づこうとはしない。
「話があるなら、場所を変えましょう、篠原さん」
「ちょっとキヨちゃん?」
「大丈夫、日菜姉は社務所に部屋を貸してもらえるか聞いてくれる? それと、皆さんすみませんでした、ちょっと行き違いがあったようで、お騒がせしてます」
私がそう告げて氏子のおばさんと、残っていた町内会の人に頭をさげると、少しだけ緊張していた空気が和らいだ。そう感じた矢先だった。
「あんたの、そういうおべっか使うところが、ムカつくんだよ、いつも! いつもいつも! 私のこと、馬鹿にしてたんでしょう!!」
押し黙っていた篠原さんが、急に怒り出して私に掴みかかってきた。
「あぶない、キヨちゃん!」
高い位置に作られた社殿の外廊下、その端にいた私は、篠原さんに押された拍子に、張り出した廊下の板から足を踏み外しそうになる。
だが咄嗟に日菜姉が私の手を引っ張り、引き戻してくれた。
でもその反動で、日菜姉が固い板の上に尻餅をついてしまう。
「日菜姉、大丈夫?!」
「あいたた、大丈夫、それより……キヨちゃん!」
「きゃあ!」
心配して駆け寄った私の髪を、篠原さんが鷲掴みにして後ろへ引っ張ったのだ。私は痛みよりも、これ以上日菜姉に怪我をさせたくなくて、自分から日菜姉の側を離れる。
その勢いで、私と篠原さんは共に、高い廊下から今度こそ足を踏み外した。
ぐらりと視界が回り、地面にたたきつけられると覚悟して身を構えたのだけれど……激痛はやってこない。
目を開けると、私は黒い腕に背中から抱きかかえられている。
「大丈夫か、キヨ?」
「……クロード?」
私を覗き込む眼帯をした顔は、ひどく心配そうに歪んでいた。
「だ、大丈夫……それより、なんでここに」
「吾妻さんから、おまえの忘れていったスマホに電話があって」
私を抱きかかえなおしたクロード。
ひっくり返った視界が戻って周囲を見れば、地面でうずくまっている篠原さんがいた。そうだ、彼女もいっしょに落ちたんだ。
「篠原さん、大丈夫?! なんで彼女も助けてくれなかったの、下ろして」
きっとどこか怪我をしたに違いない。だけどクロードは私のいう事は聞こえないとばかりに、抱きかかえた私を、彼の顔の位置ほどの高さにある、元の廊下に上げたのだ。
「ちょっと、クロード?」
「少しそこにいろ、キヨ」
するとクロードは蹲り、痛みに顔を歪める篠原さんの側に行って、膝を折り話しかけた。
「おまえ、キヨに、何をするつもりだった?」
その低い声に、篠原さんではなく私がひゅっと息を詰めた。
クロードは私に背を向けていて、表情は見えない。けれど、酷く怒っているのだと分かる声。
「私は悪くない! 全部あいつが、あの女がいたから私が!」
取り乱したようにそう叫んだ篠原さんが、一緒に落ちて放り出されてあった自分の鞄を引き寄せた。
そして中に手を入れたところで、クロードがその鞄ごと、彼女の腕を掴んで地面に押し付けた。
「痛い! いたいいたい、助けて!」
「クロード?」
驚いて止めようと身を乗り出せば、なぜか日菜姉が私を後ろから抱きついて引き止める。
「日菜姉?」
「だめ、キヨちゃんはダメ! 電話で聞いたの、あの人、錯乱しておかしくなってるかもしれないから、キヨちゃんを絶対に近づかせないようにって」
その言葉に驚いて篠原さんに視線を戻せば、相変わらずクロードに締め上げられた手から、鞄を手放そうとしない。
「何を出す気だ。それ以上は、後戻りできなくなるって分かってるのか?」
クロードが言うと、篠原さんは驚いたようにクロードを仰ぎ見て、苦悩を滲ませた顔になる。そしてようやく観念したのか、鞄を離した。
そしてクロードは手を押さえたまま、その鞄を放って篠原さんから離す。その拍子に鞄の中から、光る刃物がこぼれ落ちたのだった。
驚いたのは周囲の人間で、一斉に騒然となるなか、一人当事者のクロードがにんまりとこちらを向き、言った。
「キヨ、警察と救急車」
私は慌てて、日菜姉からスマホを奪い取り、電話をしていた。
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