第2話

【思春期2】


(やはり彼女は俺を許してくれない)


明日謝ろう。彼女を泣かせてしまった日。怖くなって逃げ出してしまい、俺は帰った後でそう決心した。

結果はと言えば、やはり結局言えなかった。面と向かうだけで顔は熱くなるし、恥ずかしいし、緊張するし。で、また、懲りずに俺は彼女に暴言を吐いてしまった。

それがトリガーになったのか、その日からいじめの対象になった。

すぐに謝りさえすれば、いじめに遭わずに済んだかもしれない。

まあ、今となっては後の祭りだが。

そして、妹に相談した翌日。少し遅めに登校したので昇降口には誰もいない。なぜ、こんな時間に登校するのか。疑問に思う方もいるはずなので説明しよう。大体、俺は下駄箱に上履きというものを入れてない。ほかのものが山のように入るからだ。……みんなからの愛。ラブレターって奴かな?

なんてくだらねえ冗談交えつつ開くと、今日もそんなもんはなく、代わりにゴミ(愛)を詰められていた。

中を近くにあるゴミ箱に移すと、綺麗にしてからリュックサックを開き、無地の黒色の巾着袋を取り出す。中には上履きが入ってる。上履きを履いて外履きを巾着袋の中にしまうと、教室に向かう。

今ではこれが俺の下駄箱である。俺の元・下駄箱ってのは多分、今ではゴミ箱にジョブチェンジしたんじゃないかな?下駄箱の名前のところに『ゴミ箱』って書いてあったし。あいつは良い奴だったよ。

とぼとぼと教室まで歩いてくと、一時間目が始まってるからか教師の声だけで、ガヤガヤといった五月蝿さはない。

教室に入ったら先生は俺を腫れ物を見るかのように嫌そうな顔をし、生徒は生徒で楽しんでやってるやつがニヤついた顔をして、他のやつは合わせるように笑う。

楽しんでやってるのはごく一部だが、そういう奴に限ってクラスの中心人物だったりするわけなので、他の奴ら八割くらいは多分流れでいじめてるんだと思う。

俺が前はその中心人物って奴だった。

落ちぶれ貴族的な立ち位置を獲得した俺は、いつも通りに落書きされてる席に腰掛ける。

全くそろそろほかの文字でやってほしいものだ。こんな小学生が言いそうな文字列ばかりだと飽きちゃうよ。

そして、一限目。後ろからのゴミクズ投げ大会や笑い声には目を瞑りじっと耐え、チャンスを伺う。

謝りたい。そう。それだけなのだ。

長い長い一時間目が終わり、10分休みになる。まあ、大体俺はこの前に帰るか居たとしても保健室に逃げるかトイレに逃げるかしていたが、今日は違う。

俺がいじめてしまったあの子に謝ろうと、席を立った。

「おーい。みんな!あの暴言厨が席から立ったぞ!」

皆に聞こえるようにそう言うと、耳元で「早く帰れよ」と、つぶやくように言った。

昔、つい三ヶ月くらい前まで仲良くしていた雄也(ゆうや)が、俺の背中を押して廊下に出そうとする。

雄也はそこまで体格は良くないし、俺より頭一個分ほど背も低い。力だって俺の方がある。飛ばそうと思えばすぐに飛ばせるが、ここで反抗してしまうのは違う。

何もしないでいると、それに便乗してほかのクラスメイトも集まってきた。

「帰れ!帰れ!帰れ!」

耳が痛くなるほどの大合唱。俺の目からは涙がこぼれそうだったが、必死で堪えて皆に向き直ると、知り合い達の笑ってるような貶してるような目に晒される。怖い。怖くて死にそう。

でも、逃げるちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……

どこかのパイロットのように決心し、深呼吸を一つしてから大きく声を上げる。

「俺は謝りたいだけなんだ!」

久しぶりに声を出した訳では無いが、朝から何一つとして喋ってなかったからか、声が裏返る。

「……嫌そんなの許さないから」

奥の方から透き通る怒りや悲しみに満ちた声が聞こえてきた。久しぶりに彼女の声を聞いた気がする。

「綾瀬!ごめんなさい!」

声だけなら届く。このモブ共が邪魔で顔すら見えないとしても、声だけなら、いや、この想いなら届くはずだ。さっきの声の裏返りなんて気にもとめずに、必死に叫んだ。周りのヤツらなんか気にしてられない。出来る限りの精一杯で叫んだ。

「…………」

少しの間、教室全体が静まり返り、その沈黙を破ったのは一人の少女の嗚咽だった。

「……ひぐ……うぅ……」

これを前に俺は聞いたことがある。忘れもしない綾瀬を泣かせてしまった日。

「あー!また泣かせた!最低!大丈夫?綾瀬ちゃん?」

誰かが奥の方で崩れ落ちて、それを囲うように陣ができた。

「……お、俺はそんなつもりじゃ……」

「お前ほんと最低だな」

あらゆる声が俺の悪口を言ってる。最低だとか、死ねばいいとか。そんな声が耳から入って心にダイレクトアタックをしかけてくる。

やめて!俺のHPはゼロよ!

なんというボケひとつ出てこずに、後ろのドアから逃げ出した。

ひたすらに走った。どこに行けばいいのかもわからぬまま、ただ漠然と走った。

そうしたら、いつの間にか俺は学校の外にある近くの公園までやってきていた。

足に目をやると上履きのままだった。

「はぁ……」

学校で溜まった毒ガスを抜くかのように俺はため息を吐くと、ブランコに腰掛けた。まだ朝の十時頃。よくわからない運動してるオジサンは居るが、子供や社会人っぽい人はいない。

「謝った。よな?」

自問自答を投げかけ、さっきの記憶を掘り起こす。確かにこの口が動いて謝った。それは記憶してるし……でも、彼女は泣いていた。しっかり見た訳では無いけど、奥で崩れ落ちたのが多分綾瀬だ。

ぽた。っと、足に水滴が落ちた。空を見上げると曇り空ではあるが、雨が降りそうな訳では無い。その筈なのに、なんでか視界がぼやける。袖で拭うがそれは洪水のように溢れてくる。止まらない。

「おかしいな……なんで……」

雨が降ってれば誤魔化しも効く。でも、自分で自分を偽って誤魔化してきたけど、今回のはちょつとダメみたい。

俺の心の奥でポキッと枝が折れるような変な音がした。それからダムの放水のごとく、ワンワンと泣きじゃくった。声を荒らげて一人で。

「なんで俺がこんな目に……」

ここまで来てやっと。ようやくわかった。彼女は今の俺と同じ気持ちだったんだと。

彼女がやめてと言った時、やめてあげれば良かった。彼女が嫌と言った時、ごめんと素直に謝れば……

後悔だけが今になって嵐のように押し寄せてきて、涙が止まらない。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


……どのくらい経ったのだろう?暫く、ひたすら泣き続け、やっと脳の回路が戻ってきた。人前でこうならなくてよかったけど。

公園のしみったれた手洗いで、顔を洗う。こんな顔じゃどこにも行けないしな。

そうして、第二ラウンドを開戦しに俺は学校というリングに戻るのであった。

学校につき、外の時計で時間を確認すると、十一時前だった。

俺はあそこで1時間も泣いてたのか。みっともねえなぁ。なんて思いつつ、クラスに向かうと、ちょうど体育だったらしく誰一人居なかった。

帰るには丁度いいタイミングではあるが、もう逃げない。そう決めたんだ。

荷物を全部もって校庭に出ると、クラスの顔馴染みが男女分かれてサッカーしていた。

幸い女の子の方に近くて助かった。でも、それはすぐに崩れる。都合悪くパスを外したのかこっちにボールが飛んできてしまった。

サッカーでボールほど注目されるものはないだろう。だから、一途に俺に注目が集まる。

でも、引かない。そう決めた。__が、さっきの恐怖が蘇り、足が震え全く言うことを聞かない。

なんだよ畜生!

足を思いっきりぶつと、無理やり動かして、綾瀬!と、叫ぶ。

さすがに競技中だったからか、いつもの知らんモブの囲いはなかった。三ヶ月ぶりくらいに顔を見ることが出来た。黒髪を後ろ一つでまとめあげたポニーテールを揺らしながら、童顔な顔をキョトンとして、大きなブラウンの眼孔がこちらを捉えた。手足も長くモデル体型と言っても過言ではないが、痩せすぎてもない至って健康的な丸みを帯びた女の子特有の体躯が目に眩しい。部活のせいか日に焼け、褐色に染まった肌が上は白、下は紺の半袖短パン体操服によく映える。

正直エロスを感じるね。と、思っても仕方ないよね。だって人間だもの。はやと。

「本当に反省してるんだ!ごめんなさい!」

深々と体を九十度折りたたんで、頭を下げた。サラリーマンが営業で謝ってる感じですかね。ちょっと早めの職場体験して大人の階段登っとこう。

……ひとつも面白くなかったが、少しボケてないと俺の精神が壊れちゃうの!許して!

こんなの全校生徒の前で告白するよりも恥ずかしいじゃねえか!ま、告白すらしたことないけど!

顔を見ることもなく、ひたすらに頭を下げ続けると、キーンコーンカーンコーンと、予鈴がなった。

「はい。みんなやめー。片付けはいいから、クラスに戻って」

……体育の教師もほかの教師に倣えでこれだ。俺は空気のように扱われる。遠回しに死ねって言ってるのかな……あはは。

やっぱり俺なんて必要ないんだよな。もういいんだ。こんなに苦しいならもう……俺なんて。

「……先生。それはどうなんですか?」

久しぶりに聞いた綾瀬の声。クールな感じで耳に心地よい落ち着くようなトーンだが、その声は震えていた。

「ん?何がだ?綾瀬」

「先生、私が彼の状況だった時も同じでしたよね。確かに彼は許されないことをした。でも、いじめは何も生まないんです。なぜ教師らがそれをわからない!」

その瞬間、俺の中から何かがこみ上げてきた。それは涙となって溢れる。一度泣いちゃうと緩むのかこれ。

確かに教師らもいじめに加担していると言えるだろう。見て見ぬふりをするのもいじめですって、まだ俺がこっち側にいなかったときにあの先生が全校集会かなにかの場面で言っていた気がする。それは自分らにも罪があると言ってるようなものじゃないか。

「みんなもだよ!いじめて楽しい?いや、聞く必要も無いか。やられたことないやつには何もわからないんだから」

綾瀬の声が、切り捨てるようにきっぱりと言い切る。そして、地面に蹲る俺の方へと走ってくる足音がひとつ。ほかは全くと言っていいほど動きが見られない。

「私は貴方を許さないけど、いじめは良くないわ。正直、貴方がいじめられて嬉しかった。でも、そんなのは一日二日くらいだった。そこからは苦でしかなかった」

泣き顔なんて見られたくないので、そのまま頭を下げっぱなしでいたけれど、やっと同じ立場になれたんだと、そんな安心感からか涙がどんどん出てくる。さっき公園で全部吐き出したと思ったけど、あれだけじゃなかったんだ。これで多分全部、これまで抑えてきた分の涙なのだろう。

「だから、私もごめんなさい」

「……なんで。なんでお前が謝るんだよ。お前は悪くない。俺が……俺が全部悪いんだ。あんなことしなければ……」

俺の中のリミッターがガリガリと音を立ててぶっ壊れた。まるで子供のように嗚咽混じりに泣きじゃくり、みっともなく地面に膝をつくと、頭を擦り付けて謝る。

もう、俺にプライドとかそういう類の羞恥の心はなかった。自分のした過ちをしっかり詫びれない方がよっぽど恥だ。

そして、いじめていた時よりも近くに彼女を感じられた。同じというか、戦友というかうまく言葉に出来ないけれど、友達とはまた違う同盟に近いものを彼女と結べた気がした。

「まあ、それもそうね」

と、彼女はニコッと笑った。

「……ごめんね。綾瀬」

「何度も言わせないで。嫌、絶対に許さないから」

声のトーンが急に落ち、即答だった。なんだよ!いいムードだったじゃないか!このままキスまでもつれるところじゃないの?

やはり俺は彼女に許してもらえないらしい。

でも、距離は縮まった気がするし、よかったはよかったか。

あ、それで、ついでに俺をいじめる人も居なくなり、教師が手のひらを返して『君にはわるいことをしたね』『ごめんなさい』

と、口を揃えていう始末。教師らは自分に罪が来るのが怖いのだろう。俺に何か言われると困るのだ。

俺が一言PTAという場所に言うだけで、彼らの人生おじゃんに出来るが、まあ、面倒だから許してあげよう。

かくして俺は実に三ヶ月の時を得て、いじめられなくなった。

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