vsツーバイ・ボールホーム

 一日目、正午。

 『円なる湖』クリスタルレイク。


「どこだ、ここ……?」


 目が覚めたら異世界だった。が、そんなことを知るべくもなく、想像にすら及ばない青年はぼんやりと空を見上げた。晴天、とは呼べるものの太陽が燦々と降り注いでいるまでではない。

 ヒーローコード、緋色。

 かつて少年だった男は真ん丸な湖に目を奪われていた。世界中の紛争地域を巡り、それなり以上に地理が詳しいつもりである彼にも、ここがどこなのか皆目検討もつかなかった。これだけの大きさ、大小の無人島、水際の巨木。これだけの特徴がありながら、彼の知る世界地図にはどこにも該当しない。


『メーデーメーデー、こちらディスクこちらディスク。緋色無事か、オーヴァー』


 右手首のベルから聞きなれた声の通信が届いて、緋色が跳ね上がった。見覚えのない装備だ。取り外そうと思ったがびくともしない。操作方法が分からないので、取り敢えず口元を近づけた。


「こちら緋色こちら緋色。損傷なし、現在地不明。そっちは何かあったか、オーヴァー」


 メーデー。それは救難信号である。状況不明に頼れる相棒バディと連絡が取れたのは幸いだが、安堵できる状況でもなさそうだ。


『損傷なし現在地不明。VIPルームに監禁されてる。荒事は避けてるけど、そっちが危機なら暴れるよ』

「状況不明だが危機度軽微。通信が取れるなら楽観しよう」

『了解』


 ずずず、とジュースをすすり上げる音がした。慌てふためいてもしょうがないが、バナナジュースを一服できるほど悠長な状況ではないだろう。


『あ、写った』

「は?」

『そっちの状況が映像で確認できるみたい。綺麗な湖だね。おっきい木。右前方距離800、バナナ型小島。やはりバナナは完全食』

「了解。その映像は真だ」


 緋色が確認している景色と一致している。こちらからは相方の姿が見えないが、あちらはそうではないみたいだ。


「……本当に安全か?」

分析完了アナライズ。こっちは九割九分安全っぽい。色々資料が置いてあって、私に何かさせたいみたい』


 利用価値がある内は泳がせるだろう。状況が分かるまでは大人しく乗せられる。方針を決めたらどしんと構える心強さ。現地で緋色が右往左往する分、自分が落ち着くべきことを彼女は理解していた。


「……それ、残りの一分を引くのがお約束じゃないか?」

『それは言わないお約束』


 悪戯っぽく笑う彼女が目に浮かぶ。


『とにかく、水場付近は危険が大きいからほどよく離れて。その湖の水質なら飲み水にも持ってこい。食料調達は調査中。まずは拠点を作らなきゃだね』

「了解」







 全く身に覚えがないが、緋色はそこそこの物資を持ち込んでいた。

 日本製のレーションにペットボトルの飲み水、着替え。ライター、サバイバルナイフ、はたまた何故か木刀まで(「洞爺湖」と書かれている)。背嚢一つにこれでもかと色々詰め込まれていた。


(詰め込み方が、俺っぽいなぁ……)


 自分が取り出しやすいと感じるような配置である。ちょっと偶然と断じるには無理がある。極めつけに、拠点すら準備されていた。


『うわぁ、立派なおうち』

「……住んでいる形跡はない。空き家か、これ」


 テントはなかったので物凄く助かる。軽く見回しても、ここ数年人が住んでいたようには思えない。勝手に使っても問題はないと判断する。

 二階建て一戸建て。白い壁に赤い屋根。緋色は二つあるドアの片方を無造作に開ける。


『ダメだよ、緋色。乱暴しちゃ』


 若干声がはしゃいでいる相棒バディに眉をひそめながらも、緋色は中に入った。基礎部分の鉄骨が剥き出しになっていたが、彼女の目には入らなかったらしい。


『あ、ほんとすごい……一軒家だぁ!』


 間取りは広い。リビング、大所、風呂、トイレ、押し入れ、さすがに家具はなかったが、確認したら電気ガスも通っていた。警戒度が少し高まる。が、良質な水場が近くにあるこの場所では、この条件の拠点は破格なものだった。

 正直、物凄く心強い。


「俺たちに、ここで何かさせようとして、そのために用意した。そんなところか?」

『粗方そんな方針でいいと思う。何を、はこちらで探るね』

「できるか?」

『それっぽい文書を見つけた。暗号化されているから解読にちょっと時間がかかるけど』


 伊達に情報のスペシャリストではない。そちらは任せることにして、緋色は家の中を検分し始める。ディスクも中の状態は確認したいらしく、暗号文に目を通しながらもこちらに意識を傾けていた。


『わぁ、将来こんなおうちに住みたいねー。庭とかついていたら最高なんだけどなぁ』

「言ってる場合か」

『緋色、子どもは何人ほしい?』

「…………………………三人」

『♪』


 間取りやら窓の配置やら階段のセンスやら二階の雰囲気やら。やたらべた褒めするくらい気に入っているようだ。何なら強行突破でこちらに来かねない。

 と、緋色は妙な染みに気がついた。赤い、これは血か。肉片がこびりついているような跡も。


『人が死んでるね。一人や二人じゃないよ。家主が引っ越した、というより殺されたのかも』

「……やっぱ何かがこの付近にいるのか」

『お掃除しないとだね。チャームポイントがたくさんなおうちなんだから、事故物件のまま放置はかわいそう』


 それに、死んだ家主も報われない。

 そう続けようとした通信が、途切れた。いや、違う。ぐらりと家が揺れて声を聞き逃しただけだ。まるで褒められて照れたような反応。緋色は地震を疑うが、ディスクは否定する。


「……ちょっと不気味だな」

『心霊スポットになっちゃってるのかも』


 緋色が大黒柱をぺしりと叩く。ちょうどその位置には人の形に見える染みがあった。そして。そこにガムテープで雑に貼り付けられているものは。

 いつの間に緋色の右手首に装着されていた、あのベル。


「なぁ、ショート。これは――――……っ」


 不穏な電子音が通信先から響いた。内容までは聞き取れなかったが、ディスクの呑気な声が切り替わった。


『オーダー、緋色。一度外に出て』

「了解」


 一階まで駆け降りる。何かあったのだろうか。疑問よりも先に身体を動かす。


「あれ、開かない」


 立て付けが悪いのか脱出に四苦八苦する緋色。ディスクが何か言おうとして、がくん、と大きな音がした。家が揺れる。緋色が廊下の奥に投げ出された。



「『ぁ』」


/|

|/ __

ヽ| l l│<ハァイ!

 ┷┷┷







「え、なに、どうなってんの」

『分析不能、カオスカオス』


 家のあちらこちらの木材が緋色をねじ伏せようと襲いかかってきた。身のこなしで回避し続ける。敵は超能力者か、姿を消して入り込んでいるのか。ディスクの分析も要領を得ない。

 まさに異常事態だった。


『とにかく外へ!』

「ドア開かねえぞ!?」

『ぶち破って』


 ダン、と緋色が力強く踏み込んだ。入り口に走ってきた勢いそのままを地面に縫い付ける。土踏まずから弾力的に返ってきたエネルギーが脚部に渦巻く。腰から肩、腕、そして拳。伝え抜いて練り上げた力学的エネルギーを、掌底が打ち放つ。

 心筋に勁を発する、発勁の呼吸。


「龍王掌波っ!!」


 ズドン、とドアそのものが震えた。波打つような衝撃が、巨大な板をボロボロと木片に変えていく。ドアそのものを綺麗にくり貫いた格好だ。

 とにかく、脱出。


「ハァイ!」

「だから、さっきから何の声だっ!?」

『ひ、緋色、後ろ…………っ』


 言われて振り返る。。剥き出しの鉄筋がうねうねと動いて、今にも襲いかかろうという雰囲気。「ハァイ!」その姿から目を離さずにバックステップを踏む緋色。ベルに向かって口を近付ける。


「状況、不良……っ!」

『さっき、どこかの陣営とデュエルが成立したって音声が流れた! その敵の名前が――――』


 ツー「ハァイ!」ールホーム。


『まさかと思うけど、やっぱりこの名前――!』

「ハァイ!」

「情報は!」

「ハァイ!」

『多分この見取り図がさっきの間取り……うわっ、なんでこれも暗号化されてんのっ!?』

「ハァイ!」

『とにかく距離を取って!』

「ハァイ!」


『(うるさいなぁ、緋色……)』

「了解っ(さっきからうるせぇ……)」



 逃げればもちろん追ってくる。奇想天外な二世帯住宅がうねうねと緋色を追ってくる。

 しかも。


「なんか飛んできたぞ!」

『屋根投げてる……? 痛くないの?』

「何言ってんだ」

『いや、アレ一応生き物みたい』


 飛来してくる木材を器用に回避しながら、緋色が渋い顔をする。どんな現地人だと誤解を生みながら、緋色はヴィランに向き直った。


「……左手、これ、『英雄の運命ヒーローギア』か……」

『こっちには『円盤ザクセン・ネブラ』もあるよ』

「今はそれより……」

『そだね。緋色のそのベル、多分それがキーだよ』

「ハァイ!」


 お墨付きも頂いた。

 あの大黒柱に雑に貼り付けられたベル。あれを回収できれば状況は変わるはずだ。

 視点を変えて足がもつれたか。飛来する木片が、足の止まった緋色に叩きつけられる。


「返す、ぜ――っ!!」


 その鋭さは、しかし防刃グローブを通さない。その重量は、しかし強靭な脚力を潰せない。後は腕力に任せて強引にぶん投げる。


「ハァ゙ァ゙イ!!」


 バギ、と鈍い音がしてヘーベルくんの足が止まった。投げつけた前傾姿勢そのままに緋色が大地を蹴る。うねる筋肉が加速度を増加させ、開きっぱなしの入り口にスライディングで飛び込んだ。


『右!』


 起き上がって前を見る前に、跳ぶ。床が跳ね上がるが、緋色は既に通り過ぎた後。手を前に伸ばす緋色の目には、ガムテープで貼り付けられたベルが写っていた。

 ドシン、と一軒家が揺れた。最後の抵抗。


「『ぁ』」

「ハァイ……>(´・ω・`)」


 バランスを崩した緋色の手が、反射的に拳を作り、ベルを粉砕していた。

 通信先から電子音声。


『……あれ、なんかこっちの勝ちみたい』

「ベル、破壊されたら負けなんだな……」


 終わりは呆気ない。庭付きの立派な家になる、という夢が破れて落ち込む時間も僅か。二世帯住宅がグラリと揺れる。


「まだやる気か……ぶっ壊すしかないか」

『待って緋色! だからその子生きているんだって!』


 緋色が渋い顔をする。家鳴りが止まらない。踏ん張る緋色は、オペレーターに無言の間を。


『お願い止まって! もうこんなことはしなくていいんだっ!』


 ぴたり、と揺れが止まった。唐突な無音に、少女の声が響く。


『立派なおうちだもん。これ以上傷付けたらダメ』

「ハァイ!」

『えへ、解決だね』


 そんなやり取りを、緋色は冷めた目で見ていた。字面だけはほっこりするような様子。その実、寂しい男が女にいいように扱われている現場だった。

 緋色には、分かってしまった。


『緋色緋色、いい拠点が見つかったね』

「……ああ、そだな」


 この相棒バディ、魔性である。







『Dレポート』

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