第3話 逃避行(トオル視点)

 適度な緊張感がパフォーマンスを向上させるという話を聞いたことがある。けれど、過度な緊張感は身体の動きを鈍らせる。緊張感とは、自分にとってそこまで大切なものなのに、自分が好きなように自分自身で扱うことができない。そう思っていた。実際はそうなのかもしれないし、俺も自分自身で扱えるようになったわけではない。だが、今の俺には過度な緊張感というものが、恐怖と全く同じように思える。他人の視線、重圧、過度な期待などが緊張感を増幅させることは、つまりその要因に恐怖を感じるということだと、俺にはそう思えた。震え、呼吸の乱れ、何も考えられなくなる感覚全てが一致する。俺だけじゃないだろう。教室にいる全員が得体の知れない何かに怯えて、震えて、ずっと何も喋らないままだ。


カイト「こうしててもしょうがない。どの道どこにいても殺されるのを待つだけだ。ここから逃げる方法を考えよう。」


レン「俺もそう思う。1人でも逃げられる方法を考えるべきだ。」


 みんなの前で前向きな発言をすることがどれほど難しいか。震えていても、その言葉は力強かった。


カナ「意味ないよ、そんなの……。あんなのから逃げられると思ってんの?」


 カナはもう目の前の出来事に疲れきっていた。涙が出ることもなく、表情もない。感情の込められていない声でそう答えながら、座り込んでいた。


ケント「じゃあそこで一生そうしてろよ!俺は逃げる方法を必ず探し出してやる。こんなんで死んでたまるかよ!」


 ケントはずっとイライラしている。ケントが今、カナに放った言葉は確かにひどいものだ。こんな状況、強がっているだけとはいえ、カイトやレンの方が異常と言えるだろう。ケントに注意しようとしているレンを、俺は止めた。


「あのままにさせた方がいい。言って聞くようなタイプじゃないだろうけど、変に恐怖を感じさせるより、キレさせといた方がずっとケントのためだ。」


我ながらこんな冷静でいられた自分もかなり異常だと思う。エミはずっと黙っている。ナノはエミの隣に座って心配そうにしている。


カイト「トオルとナノとエミは、動けそう?」


「大丈夫。何もしないで待つより、気が紛れそうだから。」


 ただその恐怖の中何もせずいることが、ここまで怖いことだとは思っていなかった。ナノはエミの様子を1度うかがってから、カイトに頷いた。


カナ「全員行くなら、私も行く」


カナも俺と同じことを思ったんだろう。


ケント「おい!」


急にケントがみんなにそう呼びかけた。


レン「どうした?」


ケントは校内地図を指差して、不思議そうに俺らに言った。


ケント「1階の端から下に線が引かれてる。」


確かにそこには書き加えられたものとは思えない、直線が引かれていた。


カイト「地下室があるということか?」


地下室が書かれていないということは、隠そうとしているということか?


「とりあえず、行ってみよう。」


俺らがたどり着いたのは、ひとつの教室だった。特に階段らしきものは見当たらず、地下室に通じる道は一切ない。


ケント「どーゆーことだよ!」


ケントが近くの机を蹴る。エミが怯え、ナノがケントを睨む。


カイト「やめろよ、トオルの言う通りお前はそのままの方がいいかもしれないが、他の人は巻き込むな。」


ケントが舌打ちをしたが、それだけで済んだ。危うく放置を決め込んだ俺が率先してケントを止めるとこだった。


ナノ「トオル……、あれ……何……?」


ナノが指差したのは本棚だった。が、少しおかしい。その本棚は下の方が少し埋まっていた。俺はカイトを呼んで、一緒に本棚を持ち上げてもらおうとしたが、全く動かない。


カイト「多分、並べられている本が重すぎるんだと思う。」


ケント「そんなの全部ばら撒いちまえよ。」


ケントが本に手を掛けようとしたときだった。カナの足首に、黒い手とも言いがたい何かが掴んでいたのか、巻き付いていたのかわからないような状態で添えられていた。そして途端に、リョウタと同じように廊下へ引きずられていく。


カイト「カナ!」


カイトが追いかけるように廊下へ走り出す。


「カイト!」


俺はカナを追ったカイトを追いかけた。


ケント「くそ!」


そう言って、ケントは急いで本棚の本を下に捨てて、レンと共に本棚を引き抜き、レンはエミとナノを地下室に避難させた。

 カイトは俺の目の前でカナに飛び込んだ。何とかしてカナの手を掴んだようだ。途端に悲鳴が無くなった。は?途端に?あれ?廊下ってこんなに暗かったか?

 そして、目の前にカイトがようやく見えるところまで来たとき、カイトは寝転んでいるカナに力強く呼びかけていた。


カイト「おい!カナ!しっかりしろ!」


先程まで暗かった廊下が、最初来たときと同じような薄暗さを取り戻していた。だからこそはっきりしたことがある。


「カイト……、カナはもう……。」


カイトは確かにカナの手を掴んだ。助けようとしていた。が、そんなことは許されないとでも言いたいのだろうか。目の前にいるカナには、上半身だけが残されていた……。


「行こう……。サクラやリョウタ、カナのためにも……。」


カイトは涙を拭いて、俺と共に地下室にいるみんなと合流した。最後に一言カナに、ありがとうと口にして……。

1度狙われたら助けることも許されない。どうして、そいつは徐々に俺らを殺していくのだろうか。逃げることは許されないのに、なぜ恐怖を感じないまま死ぬことも許さないのだろう。もう何時間経ったのだろう。俺らは地下室で最初に入った教室の中で死んだように眠りについた。

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