3
アパートの前で、亮介は二人を見つけると笑った。
いや、笑ったと言うより、笑ってくれた。
亮介はフード付きのトレーナーの上にグリーンのカーディガンを着て、デニムのショートパンツをはいていた。背中には、大家さんが買ってくれたという真新しいリュックを背負っている。真っ白のソックスが眩しかった。
「元気でな」
芹沢が言った。白いTシャツにデニムジャケット、ジーンズと、彼にしてはかなり着崩したスタイルだった。
「うん」亮介は大きく頷いた。「刑事さんもね」
「岡山には、親戚の方が?」
鍋島が亮介の隣の小林に訊いた。ブルーの長袖シャツをTシャツの上から羽織り、膝の破れたジーンズにスニーカーというお馴染みの格好で、くしゃくしゃの洗い髪をMBLのキャップで隠していた。
「ええ。杏子さんの伯母さんが一人で暮らしておられるそうですよ。実は、杏子さんと菜帆ちゃんのお葬式も、その方が出してくださったとかで」
「そうですか」鍋島は小さく頷いた。
芹沢が左手にはめた時計を外しながら亮介に近づいて差し出した。
「ほら、これやるよ」
亮介は両手でその時計を受け取って、じっと眺めた。それからゆっくりと顔を上げて芹沢を見た。
「……ほんまに、くれるの?」
「ああ。たいしたもんじゃねえけど、俺のお気に入りさ」
「ありがとう」
亮介は嬉しそうににっこりと笑い、芹沢の時計を大事そうに両手の中に包んだ。
「ほな、俺はこれをやるよ」
鍋島が帽子を脱いで、亮介に被せた。そしてその姿を見てちょっと肩をすくめた。
「おまえにはまだ大きいけど、そのうちぴったりくるやろ」
「うん」
亮介は誇らしげに顔を上げた。しかし鍋島の言うとおり、帽子はまだ彼には大きく、顔を上げても逆にずり落ちて目を隠してしまった。亮介はつばを持ち上げて、今度は淋しそうな眼差しで二人を見た。
「僕には……刑事さんたちにあげるもの、何もないよ」
「構わねえよ、そんなの」
芹沢は言うと俯き、ひとりごちた。「もう充分もらってるさ」
「でも──」
「ええから気にすんな」鍋島が付け加える。「それより、岡山の伯母さんの言うことよう聞いて、頑張るんやぞ。お母ちゃんと菜帆の分まで」
「うん……」
母親と妹のことを思い出したのか、亮介は俯いた。しかし思い直したようにすぐに顔を上げて、少し目を潤ませてしっかりと鍋島を見て言った。
「僕、頑張るよ。夜になったら星を探して、それ見て頑張る」
「……ああ」
砂埃の中をタクシーが現れた。ゆっくりとスピードを落とし、四人のいる場所から少し離れたところで停まった。運転席の窓から、陽に灼けた運転手が顔を出した。
「ええっと、小林さん?」
「はい、そうです」小林が前に出た。
「新大阪までですね?」
「ええ、お願いします」
そして小林は亮介に振り返った。「じゃあ亮介くん、行こうか」
亮介は黙って頷くと、鍋島と芹沢を交互に見上げた。みるみるうちに涙が溢れて、今にもその瞳からこぼれ落ちそうだった。
「……何だよ、泣くなよ」
芹沢はいてもたってもいられないとでも言うように忙しく腕を組み、下を向いた。
「早よ行かな、新幹線に乗り遅れるぞ。初めてなんやろ?」
鍋島も顔を逸らせた。
「……さよなら」亮介は涙声だった。
「ああ、さよなら」
「元気でな」
亮介は足を引きずるようにして歩き出した。そしてこちらを向いて待っている小林の前まで行くと、そこでもう一度二人に振り返った。とうとう、涙が頬を濡らしていた。
「ぼく……ぼくのこと、忘れんといてね」
亮介はしゃくり上げながら言った。二人は何も答えられず、ただ小さく頷いて亮介を見つめるだけだった。
「さあ、亮介くん」
小林は後ろから亮介の両肩に手を置き、前屈みになって優しく話しかけた。
「行こうね」
それから小林は二人に深く頭を下げ、俯いて涙を拭う亮介を促してタクシーに乗り込んだ。
タクシーの後部座席で亮介は後ろ向きになって座り、窓に両手をつけてすがるような眼差しで二人を見た。やがて車が動き出すと激しく手を振り、口をぱくぱくと動かして必死で何かを叫んでいた。どうやら「さよなら」と言っているらしかった。
タクシーは来たときと同じように砂の中に消え、再び姿を現したときはずっと小さくなっていた。表通りへと続く角を左に折れ、完全に見えなくなった。
「……行っちまったな」芹沢がぽつりと言った。
「ああ」
「またあいつに助けられたよ」
「うん」
「だからって、俺たちは忘れちゃいけねえんだ。てめえらのやったこと」
芹沢は振り返った。「どうすりゃいいか、今はまるで分かんねえけどよ」
「そうやな」
鍋島は目を細めて、だんだんと遠くなり始めた秋空を見上げた。
「その答えは、きっと出ぇへんやろな。それでも、これからずっと問い続けて行かなあかんのや」
「そうだな」
芹沢も諦めたように溜め息をつき、鍋島を見ると自棄気味に言った。
「さ、だったら職安にでも行くか」
「ああ、せやな」
四枚の羽根を鏡のように輝かせてトンボが足下低く飛ぶ中を、二人はだらだらと歩き出した。
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