蛮地に咲く花

春瀬由衣

回し矢の蛮地

 大陸から長靴のように突き出た半島の先にあるミタ=ヴァ―レ人の王国サンクロリアでは、半島の南東にある奇妙な島を「回し矢の蛮地」と呼んだ。ミタ=ヴァ―レ人と長きにわたり領土闘争に明け暮れているカタル族を蔑んだ言い方である。

 ミタ=ヴァ―レ人の神話に、このようなくだりがある。すなわち、頭上に尾を垂らしし妖は聖なる十字軍の侵攻にあたり矢を放って応戦したが、その矢は曲がった瓜のような形であり、放った妖のもとに返ってたちまち彼らは自滅した、と。しかしこの神話は数多くの学者によってその信憑性と成立時期が怪しまれている。

 彼らの言う妖はカタル族のことであり、回し矢は彼らが鳥類を狩るときに用いる狩猟具である。彼らは原始的な風俗で集落を築き生活しているが、馬鹿ではない。自分が用いる狩猟具の特性などわかっているだろうし、そもそも歴史学者の調査によると、回し矢は神話が成立したと考えられている千年前のカタル族の暮らす地区の地層からは出てこない。

 しかしその神話は、十字軍で活躍した伝説の騎士が創始した現在の王家の存在理由を問うものであり、学者とて声高にそれを主張できるわけではなかった。

 カタル族は辮髪(べんぱつ)と呼ばれる髪型をしている。頭頂部はきれいに髪が剃られ、一か所の伸ばされた髪だけが美しく編まれているのだ。彼らは王国の東部に主に居住し、一部では領域国家を為す一派もいた。そんなカタル族のなかでも、最も同族から蔑まれ辺境の島に追いやられた一派がいた。彼らを俗に「カタル=サクナ」といい、ミタ=ヴァ―レ人が屈辱的な名で呼ぶ「回し矢の蛮地」ことメラン島に住んでいた。

 互いに憎悪も尽きない両者であったが、千年たてば同化も進んだ。旅芸人や商人から同化は進んだが、貨幣経済の発展していないカタル族では銭を稼ぎ生きる者は自立していない者と見なされ、ただでさえ差別に晒されており、ましてや混血児は裏切り者(サクナ)と呼ばれカタル族の社会から断絶された。彼らは身を寄せ合い、海を渡り、敵国の神話に一族を辱める目的で作られた逸話にでてくる回し矢に似た、曲がった瓜のような島に移住したのだ。

 彼ら――カタル=サクナはカタル族のような容姿をしている者もいれば、ミタ=ヴァ―レ人のようななりをした者もいた。彼らの見た目や職業も様々であったが、彼ら同士ではなぜか同じコミュニティに属する人間かそうでないかを嗅ぎ分ける能力があった。

 つまり、彼らはスパイに適した人材になっていたのである。

 メラン島に移り住んだカタル族は自治組織を構成した。未開の土地を切り開き開墾し、作物の栽培に適さない土地を懸命に耕しては土を肥やし、他方他国との商いにも力を入れた。今や彼らは自治兵も持つ強大な勢力になった。本流のカタル族は今更ながらその裏切り者の勢力拡大に警戒心をあらわにした。カタル=サクナ側に軍備の放棄と税制導入、自治権放棄を飲ませようとしたのである。まさに、他人が獲った獲物を横取りする荒野のハイエナという動物に等しい行いであった。

 自治政府側は本国に対しこう返答した。

「裏切り者である我らが皆さまのお手を汚す訳には参りません」

 自治政府総帥の親書を手にカタル族酋長に見(まみ)えた使者は、白い装束で多数の近代的な警備をつけていた。白い布を織る技術がなく、また銃一つ目にしたこともないカタル族はその行列に恐怖し、それはやがて憎悪となって、徹底抗戦の機運が増した。

あやつに取って代わってやる――行列を見る雑多な群衆の中からそんな声がした。使者は目に、一瞬侮蔑の色を浮かべたが、悟られることはなかった。

所詮取って代わったところで自分は使者に過ぎないからである。

徹底抗戦の機運高まるカタル族に、ハナから戦う気でいたカタル=サクナ。ここに、カタル=サクナの独立がかかった戦争が始まった。

その戦争のただ中で、カタル=サクナ側の兵として戦う青年兵がいた。名をクロリアといい、ミタ=ヴァ―レ人の母とカタル族の旅芸人の父を持つ少年は十歳にして自治軍に志願し、二十歳の今に至るまで古今東西の戦術書を読み漁った。彼は百人を束ねる隊を率い、カタル族の主力軍を殲滅する作戦に加わっていた。

「クロリア」

 彼は自分を呼ぶ愛しい人の声を聞く。捕縛した敵兵の扱いにほとほと頭を悩ませていたが、その声に振り向くときには穏やかな笑みを見せていた。

「どうした?」

 リアというこの女性は生粋のカタル族であり本来独立軍の敵だったが、独立軍に内通しカタル族側の機密情報を独立軍側に提供していた。

「今夜、決起軍と称した特攻が夜襲を仕掛けてくるわ」

「ほう……まだ無駄死を増やしたいのか?」

 クロリアは呆れるように肩をすくめてみせた。奴らは戦術を知らなさすぎると悪態をつく。彼にとって部下の命を預かる者は戦死者を出さずに目的を達成するのが最善であり、そのための努力を惜しみ馬鹿の一つ覚えのように特攻を繰り返す政府軍のやり方を許せずにいた。

「そもそも奴らは我々の出現に慌てて他国の真似事をし始めた幼子ではないか。思い上がりも甚だしい」

 カタル族の「政府」のことである。緩やかな族長たちの連合に過ぎなかったカタル族が急ごしらえで組織した政府とやらは行軍の意思決定一つできない無能ぶりを内外に晒している。

「――すまん」

「いいえ。ご武運をお祈りしています」

 サクナ(裏切り者)と呼ばれることの苦しさはカタル=サクナの魂を持つ者としてよくわかっているつもりである。それなのに我々に内通してくれたリアに故国を罵る真似をするのは配慮が足りなかったとクロリアは謝ってみせる。

「気にしてはおりません。私にとっては同胞の独立を認めない彼らが悪なのです」

 と言いながら視線を逸らすリアを、クロリアは抱きしめる。リアの本当の名をクロリアは知らない。この戦争が終わったら離れ離れになることがクロリアの心を苦しめた。いくら功績を上げようとも、スパイに褒美が与えられることはない。強い監視のもとに自由の利かぬ余生を送らなければならないのだ――この若い身で。

 一方リアは顔を赤らめていた。この人のために命を捧げてもよいと念じたのだ。だからこそ、自分の運命を受け入れられる。

「――クロリア様」

 部下の困ったような声にクロリアは我に返る。リアはそっと身体を離し、一礼して部屋を出る。

「クロリア様。あまりあの女に心を開かれぬよう」

「――わかっている」

 歯を噛みしめて答える。女で身を滅ぼした歴史上の人物のこともクロリアはよく知っている。戦術を学ぶことは歴史を学ぶことに等しいからだ。

「して、どうした?」

「女の言う夜襲ですが、東の森を焼いた今西の山から仕掛けてくるでしょうか」

「そうだろうな」

 クロリアは頷く。鉄砲隊を展開しておくと言う部下にそうしてくれと頼む彼は部下の退出を見送るとふうと息を吐いた。熱っぽいのは女に浮かれているわけではなく、どうも連日の過労が祟ったらしい。

 山のように積みあがる捕虜の扱いに意思決定を求める書類を一瞥し、やれやれと言って仮設のベッドに腰を掛ける。

「すまないが仮眠を取らせてもらうぞ。何かあったら遠慮なく起こせ」

「――はっ」

 警備兵の返答を待つまでもなく、クロリアは眠りに落ちていた。


 鉄砲隊の一斉発砲と思われる音でクロリアは目覚めた。今日も大量の捕虜が捕縛されるのだろう。

「クロリア様ッ」

 切迫した声にクロリアの眠気は一気に吹き飛ぶ。

「捕虜の一部が逃げ出しました」

「――そうか」

「追いますか?」

「いや、やめておけ」

 クロリアは痛む頭を押さえる。

「どうなさいました?」

「気にするな。――上からのお叱りがあるだろうと思ってな」

 捕虜は全員死刑にしろとうるさい上官や大本営はクロリアのやり方を常々生ぬるいと批判している。上司の心労を察して敬礼した部下を見送り、クロリアはベッドに横になる。

「先ほどはああ言ったが、この痛みは初めてだ」

 吐き気も伴う頭痛にクロリアは顔を顰める。

「ええい、仕方ない。捕虜は安楽死にでもしよう」

 捕虜を養えるだけの国土が我らにあるわけではない。消耗戦になればこちらの分が悪くなる。我らの目的は独立ただ一つ、そのためには早く戦争を終わらせなければならない。

 そう自分に言い聞かせることで、捕虜の内応を恐れる上官の命に従う自分を正当化した。しかし、元はといえば同じ血を分かち合う同族に死を宣告するのは気持ちのいいことではなかった。

 安楽死には薄めた毒を用いる。血管に注入することで心拍が直ちに低下し、一刻もすれば死に至るが、痛みは少なくて済む。

「ミーシャ!」

「はっ」

「残った捕虜に安楽死を申し付けよ」

「かしこまりました」

 捕虜を扱う部署の長に命を下し、クロリアは朝まで久しぶりの深い睡眠を得た。

 

 朝日が瞼をくすぐるのにクロリアは目覚めた。捕虜は死を確認したのちに大穴に埋めていると報告を受け、クロリアはそれを部下の引き留めるのも聞かずに視察しに出掛けた。

 久々に外に出たような気分だった。すがすがしいまでの晴れ空で、その下で死体を埋める兵卒にクロリアはたまらず声をかける。

「私も手伝おう」

「クロリア様、どうか無理をなさらず」

 身体を労わるようなそぶりをみせた兵士を見て、クロリアは後ろを振り返る。

「君、上官の体調を言いふらすのは軍規違反だぞ」

「申し訳ありません!」

「――まあいい。このような良き日に“こんなこと”をさせてすまないな。どうか手伝わせてもらえないか」

 上官の言葉に兵士たちは感激したようで、できるだけ死体を見ずに済む役目をクロリアに依頼した。兵士たちは部下を思い遣る上官に感動したようだが、クロリアの本心は複雑だった。

 彼ら、すなわちこの死体たちを殺したのは自分の言葉一つなのである。それを埋めるのを手伝ったところで自分の罪が消えるわけではない。しかしそれでもやらねば気が済まなかった。これは自分の贖罪に過ぎないのである。

 天才戦術家との呼び声高いクロリアの隊に入れられた者はそれを誇りに思い、クロリアより年上の兵士さえクロリアを「さま」付けで呼ぶ。ちょっと外に出ただけで有り難がられ、自分のエゴすら拡大解釈されて褒めたたえられる。そのことは嬉しくもあり、悲しくもあった。

 優しいことは軍人にとっては致命傷だと言われた。しかしクロリアは自分のことを優しいとは思っていない。残酷な死神に過ぎないのだ。――この和気あいあいとした構成員百人に過ぎない隊は、五倍の兵力の敵を滅ぼす戦功を多数挙げている。

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