僕が死神になった理由

僕が生きた証

第1話 きっかけはいつも些細なこと

 ねぇ、今の君は「幼い頃描いていた君」になっている? 僕は、「希望があったかもしれない未来」を数えきれないほど捨てて―――今を生きている。


 人はいつも「選択」を迫られる。その度に何かを選んで、何かを捨てて進まないといけない。

 だから、選ばれなかった「未来たち」は、今どこで何をしているのだろうと思うことがある。


 自分が悩んで迷って「選択」してきた「未来」が「今」を作っているのだから、後悔だけはせず胸を張って生きていきたい。


――そう、思っていた。


 でも、現実は違っていた。

 気づいたときには、今まで眩しいくらいに満ち溢れていた「希望」が重たく感じ始め、いろんなことを諦めて捨てていった。


 ねぇ、僕の話を聞いている君に、聞きたいことがあるんだ。 「死にたい」って思ったことある? 


――僕はあるよ。


 それは、突然じゃなくて、多分色んなことが徐々に徐々に積み重なって、自分の中で色んな感情が抑え込められなくなったからだろう。


――そして潰れた。


「ここから飛び降りれば楽になれるかな」

「明日なんて来なければいいのに」

「夜寝て次の日に目が覚めなければいいのに」

「全部消えてしまえばいいのに」

 なんて事を考えてしまう。


 きっかけは、いつも些細なことだ。


 自分は大丈夫と思っている人も、次の瞬間何が起こるかなんてわからない。

 今日は楽しかったけど、明日も同じように楽しい日が来るかなんて、誰にもわからない。

 誰でも転がる石なんだよ。どこに転がるかなんてわからない。


――だから、忠告をしたいんだ。

「君がまだ、人間でいるなら」

「君がまだ、『人間でいたい』と思っているなら」


 そう、何もかも嫌になったあの日、死のうと思ったあの日、アイツと出会った。


「ヌハハハハッ! オッケー! オッケー!」


――変な笑い方の死神に。


 僕の名前は「一之瀬 心(いちのせしん)」30歳の平凡なサラリーマンだ。

 結婚もしていて、5歳になる娘もいる。周りから見れば、ごく普通の家庭で、ごく普通の生活を送っているごく普通の人間だ。

 平凡だけど幸せな生活を送っている僕にも、悩みがあった。

 仕事、人間関係、家族との将来などだ……。

 一番大きな悩みと言えば、「仕事」だった。

 僕の勤めている会社は、俗に言う「ブラック企業」というやつだ。


「行ってきます」

 今日も、仕事へ向かうため玄関を出ようとする。

「お父さんいってらっしゃい。お仕事頑張ってね」

 とすかさず娘の声。

「あなたいってらっしゃい。今日は早く帰れる? 無理はしないでね」

 と妻の声。

 

 いつも通りの朝、いつも通りの家族。

 二人の言葉に元気をもらい、笑顔で玄関を出る。


 しかし、玄関を出たとたん、仕事に行く足取りが重たくなる。

「はぁ~。ふぅ~。よしっ!」

 大きなため息と深呼吸をした後、気合を入れて会社へ向かう。 これが僕の朝だった。


 なぜ、今の会社に勤めるようになったかというと、就活中になかなか仕事が決まらず、何でもいいから仕事に就かないといけない、という思いだけで面接を受けまくってやっと合格した会社だった。

 特にこの仕事をやりたいってわけではなかったが、就職できたことにホッとしていた。


 働き始めた時は、就職できたことに満足して、ガムシャラに働いていた。

 少しでも良い成績を残すため、少しでも周の人より前に出るため――頑張った。

 その結果、疲れはててガス欠状態に……。

 ガス欠の僕が、ふと立ち止まって周りを見渡すと、会社の方針への疑問、上司の部下に対する厳しい言動、社員の疲れ切った顔が目に入ってきた。


「有給なんて取らないのが当たり前だ。うちの会社に有給などない」という上司がいる。

 有給が無い? 明らかに労働基準法違反だろ。みんな死にそうな顔で働いているのに……。


「残業なんて当たり前。過労死ラインなんて無視」

 世間では過労自殺などが問題になり、超勤縮減や働き方を見直そうと言っているのに逆行しすぎている。そもそも、残業しないと仕事が回らないのに「時間外手当は予算が無いから出せない」とか意味がわからない。人を増やすか仕事の削減をしてほしいものだ。


「元気に頑張っていたら、どんどん仕事を振られる」

 人に仕事が付いてくるのか、仕事に人が付いてくるのかよくわからなくなった。


「同じ給料をもらっても、メンタルを患っている社員は仕事が軽減され、心配もされる」

 心情的には同じ会社の仲間として心配するが、どうしてもそれだけでは割り切れない部分が出てきてしまう。余裕が無くなって筋違いの恨みを持ってしまうこともある。

 誰かを救うために、誰かが犠牲になることは仕方がないのかな……。


「少しのミスでも許さない上司。みんなの前で必要以上に叱責を受ける」

 今までは、自分の出来の悪さ不甲斐なさを責めていたが、必要以上にやられるとパワハラだよ。


「仕事に追われ家族との時間も減った」

 もっと家族との時間を大切にしたい。でも、仕事から帰ったときに、疲れからか妻や娘に素っ気ない態度を取ってしまい、少しのことで腹を立て八つ当たりをしてしまう自分がいる。

 その度に、妻や娘に悲しい顔をさせてしまい、その度に僕は自己嫌悪に陥った。


 しかし、辛い時いつも思い出すのは家族の笑顔だ。妻や娘がいることに、何度救われただろうか。何度「生きていよう」と思わせてもらったことか。


――でも、もう。

――何のために生きているかわからなくなった。


「生きるために働いているのか?」

「働くために生きているのか?」


そんな思いを抱えながら、虚ろな目をして歩いていた。


――そして。

 

 気が付いたら、20階建てのビルの屋上にいた。

 ここから、あと一歩足を踏み出せば楽になれる。

 頭にチラつくのは家族や大切な人たちの顔。

 それよりも今は、一刻も早く楽になりたい。


――それなのになんで、涙が出るのだろう?


 ここから飛び降りれば、僕の人生は終わる「選ばれなかった未来」、いや「選ばなかった未来」と共に。


 少しずつ足を前に動かし、屋上から身を乗り出す。追い風が僕の背中を押しているようにも感じる。

 ふと空を見上げてみた。


「星ってこんなにきれいだったかな」

 でも、今はそんなこと、どうでもよかった……。

 右足を大きく前に出し、飛び降りようとした瞬間。


「……おい」


 突然、変な声とともに目の前に黒い壁のようなものが立ちはだかった。


――ここは、20階建てのビルの屋上。


僕は今から飛び降りて死のうとしていた。


……はずだった。


そう――何でもきっかけはいつも些細なことだ。

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