ホブゴブリンとミニマリスト③



「いいって、お前ら……魔世界に帰るってことは、存在を維持できないで消えてしまうかもしれないんだろ……?」。

「……心配要らない。未だに沢山のホーボー・ホブゴブリンがいる時点で、何らかの方法はきっとあるはず、艦長」

「……けど……」

「ああもう、何辛気臭い顔しているんだ、比田ッ。……おいッ、退魔師団長ッ。比田の忘却魔法を請け負ってくれるっていうのは本当の本当だろうなッ?」

 ブラウニーのぶしつけな問いに、椎名はもちろん、と余裕の答えをする。

「何言っているんだお前ら、それじゃあ……」

「大丈夫だよ、ご主人様」

 ルンの声は、いつもよりずっと優しかった。

「ルン達は、しもべ妖精ホブゴブリン。必要としてくれる人の元で、その人が必要なことのために仕え、生きる存在。必要とされなくなった時は、また少しホーボーして、必要としてくれる人を探す。……それが、ルン達が作られた目的だから。……それに、少しとはいえ、ご主人様に仕えたおかげで魔力も蓄えられたし、贅沢もさせてもらったし、……だから、全然大丈夫なんだよ?」

「……ルン……」

 ねぇ、ご主人様、とルンが呼びかける。

「……手を、出して?」

 差し出された右手を、ルンはキュッと掴む。そこに、ボーハンとブラウニーも加わった。

「……何、を……?」

「…………」

 ぱっと足元に魔法円が現れ、四人を照らす。何処からか風が生じ、各々の髪を揺らした。

 ルンが目を閉じ、すぅ、と息を吸う。

「……我、ルンフェルスティルスキンの名において、コバロスの君に願い奉る……」

「……ッ、おい、お前……ッ」

 ルンのしようとしていることに気付き、省介が声を荒げる。

 ボーハンが、困ったように首を振り、

「……艦長、きっと、こうするのが一番いい」

「……でもッ」

「もう、仕方ないなぁ、ご主人様は」

 見るとルンが片目を開けて笑っていた。

「……どんな手段でも構わない、って言ってたじゃない。たとえ何を犠牲にしたって、俺は一番大切なものを取り戻してみせるって。……あれは、嘘だったの?」

「……そういうわけじゃないッ、でも……」

「……なら、もう答えは決まってるじゃない。ミニトマトとして」

「……」

 省介は唇を固く結び、押し黙る。

(……そうだ、何をすべきかなんてことは、わかっている。出すべき答えなんてもうとっくに出ているんだ。……けど)

「……そんな顔、しないで?」

 引き寄せられ、ルンの腕が省介の肩にまわされる。床についた省介の膝が、少し傷んだ。

 ルンに抱き寄せられる形になり、そこにボーハン、ブラウニーが加わった。

「……ちょっと、ボーちゃん、ブーちゃん。ここはルンのターンなんだから邪魔しないでよッ」

「……うるさい、この期に及んで抜け駆けしようたって、そうはいかないんだからなッ」

「……艦長、よしよし」

 三人に揉みくちゃにされ、

「……おいッ、いい加減にッ」

 顔を上げた省介の目に、三人の笑顔が映り、ハッとする。

 ……お前ら、もう、受け入れているのか、こんな残酷な選択を。

 自分達はモノだと、この世界には不必要だとさえ言われても、しもべ妖精だから、そんなのは慣れっこだと。

「……お前らは、……いいのか? ……本当にこのまま……」

 言いかけた省介の言葉を、

「……いいの。……だってルンたちはご主人様の、ホブゴブリンなんだから」

 ルンがほほ笑む。ああ、とブラウニーが同調し、ボーハンも無言の頷きを見せる。

 三人の様子を見て、省介は何も言えなくなってしまった。

 ぎり、と歯を食いしばり、絞り出すように言う。

「……わかった……」

 こくり、とルンが頷く。

 たちまち、足元に魔法円が現れた。

「……我、ルンフェルスティルスキンの名において、コバロスの君に願い奉る。……我と彼の者との間に結びし契約を、解消せしことをここに提言する……全ては彼の者の幸福のために。……汝、比田省介は、それを承諾するか?」

 目を閉じたままルンが言う。

 頬を打つ風が強くなり、服の裾が揺れた。

 ぼんやりと、出会った時のことが思い浮かぶ。

 ルンと契約した時のこと。

(あの時、お前は『そう言ってくれると思ってた』と言ったな。……なら、このことも感じ取っていたのか?)

 ルンの長い睫毛が、ゆらゆらと風になびく。

 その様子から目を逸らすように、

 自分へ言い聞かせるように、

 省介は答える。

「……ああ」

 その場が眩い光に包まれ、目を細めた。

 視界の中で、ホブゴブリン達の姿が透明度を増し、色彩が薄くなっていく。

「……ッ!」

 声を上げる省介に、ブラウニーが語り掛ける。

「……驚くこともないだろう、必要とされなくなったから視えなくなるだけだ」

 ふん、と透けた金髪をなびかせ、

「……今まで世話になったな、比田。僕は全然寂しくなんかないけど、もう図書館へ行けないのは残………うう……、ひっく……」

「……ブラウニー、やっぱり泣く」

「な、泣いてないッ。……ただ、その……うぐ、先生と、もう会えなく……ぐす」

 顔を涙でぐしゃぐしゃにして、ブラウニーが喚いた。もう、ほとんど姿が消えかかっていた。

「……僕達のこと、忘れたら……許さない、からッ」

「……ああ」

 ブラウニーの泣きっ面が、消えて見えなくなる。まるで最初からそこに何もなかったような消えっぷりだった。省介の心が痛む。

「……やれやれ」

 ボーハンが肩を竦める。

「……艦長。……自分はブラウニーみたいにツンデレじゃないから、思ったことをそのまま言おうと思う。……童貞。このムッツリ童貞野郎。変態紳士、ロリコン。艦長と過ごす時間は、不快な部分が大半で残念なことが多かった。……でも、……退屈しなかったことだけは確か。……プールに行けなかった件は、来世まで恨むつもりなので、よろしく……」

「……え」

 相変わらずの無表情にジト目をたたえつつ、

「……艦長」

 ボーハンが笑う。初めて見る笑顔だった。

「……さよなら」

 すっと、背景が鮮明になり、遮るものがなくなる。

 残されたのは、ルンと省介の二人。

 繋いだ手のままに、

「……えへへ」

 ルンが微笑む。

「……無理矢理、押しかけちゃってごめんね? 沢山無駄なことして、ごめん。……でもこれからは、ご主人様の大好きなミニトマトを心ゆくまで実践できるよ? 花桐ちゃんのことも、ご主人様ならきっと上手くできるから自信持つんだよ? ……お家のことも、負けちゃだめだからねッ? ご主人様はご主人様なんだから、ちゃんと最後まで戦って自由な生活を手に入れてよね? 絶対、絶対だからねッ? ご主人様は出来るんだからねッ? 他でもないご主人様自身のパンツの匂いが、そう言っているんだからッ? ……あとは、……あとはッ」

 ルンの語尾が震え、身体が透き通っていく。

「……後は、もう、やめとくねッ。またご主人様に無駄だって、怒られちゃいそうだから……」

 繋いだ手が解かれ、ルンの身体が一歩下がる。

 ねぇ、とルンが言った。

「前にも、言ったかもしれないけど、……最後に、もう一度だけ言わせて?」

 色素が限界まで薄くなり、彼女の顔を見失いそうになる。

 思わず手を伸ばしたが、空を切った。

「……ご主人様……」

 たとえもう視えなくても、ルンが笑った気がした。


「見つけてくれて、ありがとう」


 魔法円が消え、取り巻いた風もどこかへ去った。しもべ妖精の影も形もない空間に、省介だけが取り残される。

 省介は、呆然とその場に立ち尽くす。

 気が付くと、椎名が横に立っていた。

「……君の協力に、我々師団は心から感謝する。モノを捨てるのは時々痛みを伴うが、本当に大切なことを優先するために何かを捨てるのは、とても勇気がいることだ。簡単に出来ることじゃない。君はその勇気の持ち主だと確かに証明してくれたよ。……安心して忘却魔法に備えるといい。詳細は美七を通じて連絡させるから、今日はもう休みなさい。家まで送るから……」

 椎名に付き添われ、部屋を出る。

 振り返っても、ホブゴブリン達の影はどこにもなかった。




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