彼の日常、ミニマル生活③

 日が落ちた街はすっかり暗くなり、街灯が点々と道を照らしている。

 幾度となく通ってきた道を、いつもの倍くらい時間をかけて歩いた。それでも、あっという間に見慣れたアパートに辿り着いてしまった。

 省介は点滅している常夜灯の下、力ない手でドアノブをひねる。

「もう、待ちくたびれたよ、ご主人様ッ」

 間髪入れずに発せられた言葉から、省介は今朝の妖精の存在をすっかり忘れていたことに気付く。

(……コイツ、まだいたのか)

 ルンはご立腹の様子だった。どこから調達したのか、ノースリーブのフレンチメイド型メイド服に身を包み、背丈ほどあるピンク色の箒を手にしている。

 ……いろいろとツッコミどころ満載だが、今は相手にするのも馬鹿らしい、無視しよう。

 省介はため息をついて、ルンの傍らを横切る。

「ちょっと? ご主人様―ッ」

 早々と押し入れから寝袋を取り出し、省介は就寝準備を始める。

「あのー? ご主人様―? え、無視しないでー?」

 省介は返事をしない。

 着々と寝る体制を整えていく。

 そんな様子に「むー」と業を煮やしたルンは、「もーうッ」と大きな声を出して両手を広げ、省介の前に立ちはだかった。

「無視しないで、って言ってるでしょーッ! 朝の話はまだ終わってないんだよッ? 人間に仕えることは、ルンにとって死活問題だって説明したのにッ、……ひどいよ、ご主人様の鬼畜ッ!」

「……なぁ、ちょっと黙……」

「ふーんだ、ルンは怒ってるんだからねッ。……あんな提案初めてだったのに。ご主人様が困ってること何もないって言うからそれなら、って、勇気振り絞って言ったのにッ。――一体なんなの、あの対応はッ! ルンは一人の女の子として、深く傷つきましたッ」

 ほっぺたをぷくーっと膨らませ、ルンが抗議する。

 その時、不意に今朝の会話が浮かび上がった。


『……、ご主人様に何かあったら……』

『不吉なこと言うなッ! 何もねーよ!』

『うーん、そうだったらいいんだけど……』


 ん?


 ――いいんだけど?

 ……けど、ってなんだ?


「……なぁ」

「何? 今さら謝っても遅いよッ?」

 ジト目で睨んでくるルンに、省介は構わず、

「――お前、今日のこと、知ってたのか?」

 え、と目を丸くしたルンが、

「……やっぱり、何か起こったの?」

 途端に、省介はルンの両脇を掴み上げた。

「ひゃああん、痛い痛い痛い、何するの、離してぇ―――ッ」

 脚をジタバタさせてルンが抵抗する。

 が、省介にひるむ様子はない。

「……やっぱり知ってたんだなこの野郎ッ。さてはお前、契約を手に入れるための自作自演かッ? なんて野郎だ、人の青春を台無しにしやがってッ」

「……何の話ッ? 知ってたっていうのは語弊があるし、濡れ衣もいいとこだよッ、……もう、離してセクハラッ」

 ルンに振り払われ、省介は手を離す。

「……じゃあ、一体どういうことなんだ?」

 省介の問いに、

「セクハラする人にもう話すことはないもんッ。ベーッ」

 ルンは舌を出して応酬する。

 その様子に省介は自身の煮えたぎる感情をどうにか抑え、

「……わかった。わかったよ。俺が悪かったよ、すまない。……だからせめて何がどうなってるのか、俺にも教えてくれないか……?」

「フン、ご主人様のミニトマトは完成してるんじゃなかったの?」

 機嫌を損ねたままのルンへ省介は俯き、

「……頼む」

 頭を下げたまま答えを待つ。

 少しの間の後、ルンの小さなため息が聞こえた。

「……わかったよぅ。……ご主人様、しもべ妖精ホブゴブリンについては、朝少し説明したよね?」

「……ああ。たしか……人に仕えるための存在、だっけか」

「そう。……それでね、そのホブゴブリンの特性に、誰かに必要とされなければ、その存在を維持できない、ってのがあってね。それに付随する事項として、契約をしていない状態のホブゴブリンは、誰かに必要とされないと、視認することすらできないってのがあって……ここまでも話してたっけ?」

「いや、初耳だ……」

「……それで、ルンは今、まだ誰とも契約を結んでいない『ホーボー』なわけでしょ? でも朝、ご主人様にはルンが見えた。これがどういうことを意味するのか、わかる?」

「……わからん」

 あまりの即答ぶりにルンが咳払いをする。

「……それはね、潜在的にルンを必要とする可能性を、無意識下で感じてたからなんだよ。……他の誰でもない、ご主人様自身が」

「……俺、が?」

 省介は意表をつかれ、言葉を失う。

(……自分自身で、感じ取っていたというのか? あんなひどい出来事のことを?)

「まぁ、ギャルゲーのフラグみたいなもんだよねー。……そんなフラグの立ったご主人様だからこそ、ルンを見つけることが出来た。必ずどこかしらにルンを必要とするような要素を持っているはずだったの。……でも、ご主人様ったら『俺のミニトマトライフは完璧』とか言って、何もなさそうだったでしょ? ……ならこれから起こるのかも、って推測してたんだけど……」

 意気消沈した省介を見て、ルンは苦笑いをした。

「――やっぱ、起こっちゃったみたいだね。……ごめんなさい」

 申し訳なさそうな顔でルンが言い、まぁでも、と続ける。

「大丈夫、ルンに任せておけば、なんとかなるよッ。なんてったってルンは、困った時のお助け妖精、一家に一台、ホブゴブリンなんだから!!」

 自信ありげにビシッとピースサインをし、ルンが笑った。

「……なんとかなるって、それは何を根拠に?」

 そりゃあもちろん、とルンは胸を張る。

「パンツの匂いですッ!」

 どこからか取り出したのは、省介のトランクス。

「なんかわかるんだよねー、今回は何かと乗り越えられる展開だってことがー」

「……ごめん、ちょっと何言ってるのかわからない」

「……まぁまぁ、……なんにせよ、ご主人様……」

 ぴょこん、とルンが一歩近寄る。

「……どうにか、したいんでしょ?」

「……」

「……どうにかなるものなのか?」

「もちろんなるよ! しもべ妖精には不可能なんてないんだから! 何があったか知らないけどさッ」

 ……本当に大丈夫なのだろうか、それは。

「だからご主人様、私に任せてみてよッ! ……ね、ねッ?」

 聞いた限り全く根拠のない主張だ、と省介は思う。

 しかし、根拠のないわりにはあまりにも自信満々なルンのドヤ顔上目遣い。その根拠の無さが、逆に有無を言わさぬ説得力があるように省介には思えた。

 根負けしたように省介がため息をつき、ルンの瞳が輝いた。




「――じゃあ、記憶を消しちゃえばいいんだよッ」

「ええと、すまん、……もう一度言ってくれないか?」

「だから、記憶を消しちゃえばいいんだよ、ご主人様」

 一連の出来事を把握したルンが放つ一声に、省介は面食らう。

「……ちょっと待ってくれ、あの……どうやって?」

「魔法で」

「…………えッ?」

「あー、ご主人様ったら、その目はまた信じてない目でしょ?」

「……だって魔法だぞッ? そんな単語いきなり言われても、どう反応すれば……」

「はいはーい、わかった、わかりましたよご主人様ッ。……要は証明、でしょ?」

 ガタ、と省介が反応し、

「……証明、出来るのかッ?」

「もちろんだよッ、……ぐうの音も出ないほど納得してもらうからねッ」

 言い放ったルンは、手近にあったピンク色の箒を手に取る。

 ルンがピンク色の箒を構えると、柄の絵柄部分に丸い光が生じ始める。

「我、ルンフェルスティルスキンの名において、コバロスの君に願い奉る」

 柄から発する光は次第に眩しくなり、部屋中をピンク色に照らすほど鮮明になっていく。

 その様子に呆然としつつも、省介は気付く。

 ……あの丸い絵柄、魔法陣か?

(まさか、これは本当に……本物の?)

「汝の力を封じしコバロスの箒によって、――我が秘めし力を解放し、彼の者を束縛したまえ」

 キッとルンの視線が鋭くなり、箒の先が省介に向けられる。

「……えッ!?」

 ――ちょっと待て。

(……標的、俺!?)

「ちょ、おま、待っ」

「――レストリクシオンッ!」

 眩いピンク色の光が省介の身体を覆う。

 その瞬間、自身の手足が尋常ではない重力のようなものに引かれるのを感じる。

「なッ――」

 気が付くと床の上に大の字で寝そべり、ピンクの太い鎖で身体を拘束されていた。

「動いても無駄だよ」

 仰向けの省介にルンが馬乗りになって、冷ややかに笑う。

「その鎖は魔力で生成したものだから絶対に人間の力では切れないし、緩めることすら出来ないから」

「……本当に、魔法……なんだな」

「納得してくれた?」

「ああ。じゃないとこの現象の説明が付かない」

 はぁ、とルンから安堵の息が漏れた。

 省介の顔面へ、ふわりとルンのツインテールが触れる。

「……お、おい、ルン?」

 ルンの顔が、すぐ近くにあった。

「……好き、なんでしょ? その人のこと」

 ルンの影が省介の顔を隠し、その陰に甘んじた省介は、何も答えない。

「……ルン、きっと力になれるよ? ……このままじゃ、嫌なんでしょ?」

 ルンの言葉に、省介は同意する。

「……嫌に、決まってる。……他の誰になら、何を思われてもいい。構わない。ソイツらは俺にとって不用、不必要なものだから。……でも、彼女だけは違う。……別にフラれたっていい。思いが実ることだけを願っているわけじゃない。……でも。……それでもこの結末だけは、どうしたって納得できるものじゃない……」

 苦い表情をする省介を、ルンは何も言わずに見守る。

 少し間が空いた後、

「……なぁ」

「――契約、してくれないか?」

 ルンはしばらく省介を見つめた後、にっこり笑う。

「そう、言ってくれると思ってた」

「……なぜ?」

「そういう気がしたの。なんとなくだけど」

 ふふ、とルンが微笑み、長い睫毛が伏せ目を覆う。

 途端に箒が輝いて部屋が暗くなり、大きな魔法円が省介を中心に広がった。

「……我、ルンフェルスティルスキンの名において、コバロスの君に願い奉る。……我の持ちたる全ての権限をここに開放し、彼の者へのあらゆる艱難、障害、妨害を駆逐する絶大な力を与うることを、ここに提言する……全ては彼の者の幸福のために。……比田省介、汝は、真に我を所望するか?」

 ルンの瞳が発光し、つむじ風が起こり、その衣服を揺らす。

 省介はまっすぐにルンを見つめ、答えた。

「…………俺はこれでも、ミニマリストの端くれだ。大事なものを得るため、あらゆる不必要なものを捨てる覚悟がある。……迷いや、恐れなんてない。花桐先輩とのこれからを取り戻すために、ルン、お前の力、貸してくれッ」

 カッとその場が光に包まれ、省介は目を瞑った。

 髪を揺らすつむじ風が落ち着いたころ、

「リベラシオン」

 鎖の感覚が消え、省介の身体に自由が戻る。

 目を開けると、ルンが両手を省介の両手へ重ね、見下ろしていた。

「……契約、完了だよ、ご主人様」

 両手を引いて起き上がらせ、ルンが微笑む。

「安心して。……あなたのホブゴブリンが、必ずあなたの日常を取り戻してみせるから」

 あなたの、という言葉に妙な照れを感じた省介は、

「あくまで必要だから頼むだけだ。……この依頼が済んだら、すぐに出ていってもらうッ」

 あれー、とルンは意地悪な笑みになり、

「そんなこと言ってもいいのご主人様ぁー? ……好きな人との未来は、すべてルンに懸かってるって言っても過言じゃないのにー?」

「……お前、協力したいのか、妨害したいのか、どっちなんだ」

「それはもちろん、ご主人様のご対応次第でーすッ」

 はぁ、と省介はため息をついた。

「わかったよ、とりあえず今は、花桐先輩の件に集中しよう」

「うん、問題ないよッ。ではでは、これからよろしくねッ、ご主人様ッ」

 ルンが無邪気に笑って握手を求めてくる。手を取った省介はがっちりと握力の限りを尽くし、釘を刺しておくことにした。

「……くれぐれも、無駄なことはするなよ?」

「えっへへー、わかってるってー」

 その時。

 ピンポーン、とドアのチャイムが鳴った。

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