彼の日常、ミニマル生活②
「……でね、この本のグループを、あの棚の一番上におきたいんだけれど、この小さな脚立しかなくて。私の背じゃどうしても届かないし、出部くんにこの脚立はちょっと……」
「……」
「……比田くん?」
「えっ、あ、はい」
慌てて本の山を抱えた省介が答える。
「た、確かに、アイツがこの脚立に乗った時点で、脚立のほうがダメになりそうですねッ」
「……でも、私の当番日にどうしても終わらせちゃいたくて。……それで、図書室にいた人の中で一番背が高そうな比田くんに頼んだらどうか、って思ったの」
「なるほど、そういうことだったんですね」
冷静を装いながら省介は心でガッツポーズをする。
(……大して身長なんてないのに、なんて幸運なんだ今日の俺はッ!!)
「……それに、……比田くん、優しそうだし」
少し恥ずかしそうに言う花桐に、省介は思わず目を逸らす。
「……そ、そんなことないですよ」
「ううん、……現に今もちゃんと、手伝ってくれてるし」
「……これは、……ただ、暇だっただけ、というか……」
「……優しくない人は暇でも手伝ってくれないわ。……ほら、やっぱり、優しい」
屈託ない笑顔を見せる花桐に、心を撃ち抜かれる。
(……なんなんだ、なんなんだこの天使は、幸せすぎるッ!)
堪えきれずニヤけかけるが出入り口から隠れて覗いている出部を発見し、慌てて口元を引き締めなおす。
出部は省介に『く・ど・き・お・と・せ』と口パクでメッセージを送ってきていた。
「……比田くん、どうしたの?」
「え、あはは、なんでも」
「……? じゃあ、このリストにある通り、お願いするね」
花桐から本と一覧が書かれた紙を受け取り、省介は棚に本を並べていく。腰ほどの脚立の上での作業は、思っていたよりも不安定で気が抜けない。
……断言できる、デブには無理だったな。
仕分けする本の数は消して少なくなく、二人での作業でもすぐに片付きそうにはなかった。
(こんな大変な仕事、花桐先輩は一人でやろうとしてたのか……)
しみじみと花桐の真面目さに感動しつつ、省介は黙々と作業をこなしていく。
なんとなく二人の連携がパターン化されてきた頃。
……ハッ!
省介は愕然とする。
(しまった、ひたすら作業に没頭してしまった!)
この絶好のチャンスに、何をやっているんだ自分は。
「? 比田くん、どうかした?」
花桐が不思議そうに見上げてくる。
脳内で必死に話題を探すが何も浮かんでこない。ただ、出部の『くどきおとせ』が何度も反芻されていた。
(…………今を逃したら、きっと、もう……)
「あ、あのッ」
「はい。何かな? 比田くん」
にっこり微笑む花桐へなけなしの勇気をかき集め、省介は声を上げる。
「――は、花桐先輩はッ、今、かか、彼氏とかいるんですかッ!?」
「えっ……」
その後、沈黙。
うわー。
やっちまったー、と省介は心の中で頭を抱える。
(そーだよな、そーなるよな、何の脈絡もなしに、突然そんなこと言われたら……)
もう、完全に空気読めずに嫌われるパターンじゃん。
全身から血の気が引き、傷つかないように心の準備をする。
しかし。
暫しの沈黙の後、花桐は両手で抱えた本を抱きしめ、俯き加減で答える。
「……い、いない……けど」
こめかみ辺りの髪を指先でつまみ、赤面ながら言葉が続いた。
「でも、……どうして、そんなこときくの?」
……あれ?
(これって、もしかして告白できるパターンじゃ?)
意識した途端、バクンバクンと胸が鼓動する。
張りつめた緊張感が限界レベルに達し、心臓がメタルなハードロックのような激しさで脈打つ。
「そ、それは」
「それは、ですね……」
どこかで出部が息をのむ音が聞こえた。
「あの…………す、す、す」
……よし言えッ! 言ってしまえ比田省介ッ!
意を決して目を瞑り、
「――すッ、……へ?」
その時、思わねハプニングが起きる。
抱えていた本に挟まっていたリスト紙が、滑り落ちたのだ。
「くッ」
省介は反射的にその紙をキャッチしようとするが、上手くいかない。
(……何やってんだ、早く告白せにゃならんのにッ)
「――ッ!?」
次の瞬間、省介はバランスを失った。
なんとか脚立の上で踏ん張ろうとするが、
(やべぇ!)
スラックスの裾を踏み、滑ってしまう。
(う、お、おッ!?)
同時に倒れかかる脚立。
「比田くんッ」
花桐が支えにかかるが、
「あっ」
床に落ちたリストの紙に滑って尻餅をついてしまう。
「うああッ」
脚立の支えを失い、省介の身体が空中に浮く。
落下地点には花桐。
「比田っち危ねぇ―――――――――――!!」
視界の隅、
いつの間にか出部が手を伸ばしている。
がしッ。
出部が省介の服のどこかを掴み、同時に二人は落下する。
省介は思わず目を瞑った。
――ドンッ。ドタドタドタドタ、ガシャン。
崩れた本が書庫の中で散乱し、埃っぽくなったのを感じる。
「けほ、痛ててて」
固い床に打ちつけられた痛みを堪え、省介はうつ伏せの状態から上半身を起こした。
よかった。
出部のおかげでどうにか直撃だけは避けられたみたいだ。
危うく怪我をさせてしまうところだった、と胸をなでおろす省介。
そして、違和感に気付く。
……あれ?
……なんか、さっきより下っ腹がスース―する気がするのは、気のせいか?
「……うう、比田、くん?」
「花桐先輩!」
省介は手をついて上半身を起こし、
「すいません、大丈夫で、す、…か」
目の前に広がる光景に、言葉を失う。
まず目に入って来たのは、花桐の上履きだった。
それを上に辿っていくと黒のパンストに包まれた花桐の両脚が見え、大腿と捲れたスカートが辿り着く先に黒に透けた三角地帯が見える。
(……こここれは、れ、れレース的なッ、)
(花桐先輩のぱぱパパパ!?)
さらに上を見上げると、花桐の表情が次第に羞恥心に染まっていく様が見てとれた。
……は、早くどけなくてはッ!!
「すす、すすっすすいませんッでしたッ!! 今すぐどけますからッ」
ほとんど悲鳴に近い声を上げ、省介は全身を起こそうと膝をついた。
しかし、その瞬間。
「い、いやあああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――ッ!!!!」
両手で目を覆い、普段の彼女からは想像できない甲高い金切り声を花桐が上げる。
「え、あの……」
視線を自らの身体に向けた省介は、凍り付く。
……か、
――下腹部に、パンツが、ない。
……てことは、俺は今……、
――穿いて、ナイ?
「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――ッ!?」
絶望に染まった省介の悲鳴が、花桐の悲鳴と混ざり合う。
両手で自らの股間を覆い、省介はわけが分からず振り返る。省介のすぐ後ろで倒れている出部の、青ざめた表情と目が合った。
出部の右手は、省介の太もも付近までずり落ちたパンツに引っかかっていた。
ひっ、ひっ、ともはや声も出てこないが、省介はようやく状況を飲み込む。
(……倒れこむ俺をデブが引っ張り、その勢いでパンツがずり落ちたまま俺は花桐先輩の足元に……!?)
出部の右手が震え、「ご、ごめ、……比田っち、ごめ」という声が聞こえてくる。
「あの、大丈夫です……、――ッ!?」
物音を駆け付けたらしい女子生徒がやってきて、書庫に広がる光景に絶句する。
その光景は、誤解を与えるには十分すぎる迫力があった。
「ちょ、……嘘、……最低ッ」
省介が「ち、違う」とパンツを上げるよりも早く、女子生徒の声が響き渡った。
「へ、変態よォおおおおお―――――――――――――――――――――――――ッ!!」
「どうしたの何か事……」
「――ッ、これマジやばいよ誰か先生呼んできてッ」
「男子ッ、早くコユたんを助けてッ」
続々と増える野次馬達が、省介に容赦のない視線を送る。
「違う、俺は、ぐほォッ」
駆けつけた体育会系の男子生徒に、タックルをかまされ、言葉を遮られた。
「黙れこの変態野郎ッ」
体育会系の肩越しに、守られるようにして泣く花桐の姿が見える。
「ちがうんです、花桐先輩、これは、……事故」
図書室から引きずり出され、省介の声が学校中にこだまする。
「事故なんだぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
その後、瞬く間に省介のニュースは学校中を飛び回る。
花桐はショックのあまり午後の授業を欠席し、反対に省介は校長室に呼び出された。
花桐が事件性を否定したため、省介の処遇はすぐに事無きを得ることになった。
しかし、たとえ学校側が不問でも、生徒達はそれを許さなかった。
省介のニュースは尾ひれをつけて拡散され、SNSでは「#変態追放」で、野次馬が撮ったらしい写真(どう見ても、省介が花桐を襲ってるように見える)が公開されていた。
ユーザーのコメントは「ぇ……、マジやばくねこれ?」「きめぇ、コイツ頭おかしいだろ」「うわーコユたん可哀想」「まじ変態は死ね」「俺達のコユたんに許せねぇ」「女の敵」「このデブも共犯らしいよ」「ねぇ、みんなで炎上させない?」など省介を擁護する声は全くなく、省介が校長室から教室に戻るころには、SNSアカウントはどれも炎上し、誰もが省介への敵意を剥き出しにしていたほどだ。
「お前―ッ!! 余計なことをーッ!!」
夕日が照らす学校の屋上で、省介が出部に詰め寄る。
「ごめんってば比田っち~。ホントにホントに、わざとじゃなかったんだって~」
「わざとじゃなくたって、いくらなんでも、あんな……あんな……」
脳裏に事故直前の花桐の様子が蘇り、省介は歯噛みをする。
「……クソッ、どうしてこんなことに! こんなの……もう、全てが水の泡じゃないか」
ダンッ、とフェンスを支える鉄柱をに拳を叩きつけ、手が痛んだ。
「な、比田っち、まさか……諦めちまうんじゃねぇよな?」
出部の言葉に、省介は顔を覆って怒りを表した。
「どう考えても諦めるしかないだろうッ。ここまでの騒ぎになったんだぞ? 股間見せてきた男とわざわざ話したいヤツなんているか? いるわけないだろそんなヤツ!」
省介は天を仰ぎ、自虐的な笑みを漏らす。
「……比田っち」
「……」
省介は振り向かず、フェンスの外を見て答える。
「……これから俺が何をしたところで、彼女との関係は元に戻らない。……受け入れるしかないんだ、例え納得なんてできなくても、それが現実なんだから」
「……そんなこと……」
「……ないって言えるのか? 言えないよな。お前だって見ただろう、花桐先輩は、泣いてたんだ。……そして、その理由は俺だ。……何より、そのことが一番、俺は許せない」
省介が扉へと歩き出す。
もう目も合わせようとしなかった。
「……デブ。もう用はない。これから俺とお前はまた、無関係なただのクラスメイトだ」
「そんな、比田っちッ」
追いすがろうとする出部の前で、
「……図書室の件、健闘を祈ってる。じゃあな」
バタン、と容赦なく扉が閉まった。
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