305.なぜピンクになったし(2)

 激痛に転がるオレの横で、リアムがひょいっと残りを口に入れた。リアムが吐き出す前になんとか……シリコンの赤い鍋をイメージした器を作って差し出す。が、彼女は吐かなかった。


「美味しい……ちょっと辛くて刺激が強いけど、これ美味しい」


 感動した彼女の表情に冷や汗はなく、晴れやかだった。つまり、本気で言ってる?


「これ、がっ……けほっ、うまい?」


「どうしたんだ? 口に合わないのか。ワインしかないが」


 食卓のワインを注いだグラスを渡され、ごくり……あまり口の中の辛さは和らがない。仕方ないけど。


 滲んだ涙を拭うオレの目に、トマトカレーに群がる傭兵達が見えた。新作に興味を示したジャック、ノア、サシャは問題なく流し込んでいる。ライアンは前回と同じ辛口を普通に……飲んだ。やっぱりカレーは飲み物か。


「キヨ、様……いろいろ、考えるところはございます、が……今後の試作はお諦め、ください」


 もう付き合えない、無理。はっきり言い切ったじいやに、オレも頷くしかなかった。トミ婆さんに相談して、彼女が甘口の作り方を知らなければ諦めよう。トマト入りの激辛と毒林檎青蜂蜜のデザートカレーは、話題の種に日本人会に提出することを決めた。じいやも笑顔で賛成してくれた。そうさ、オレ達だけ酷い目に遭うのは納得できない。同じ目に遭いやがれ!


 雄叫びをあげてカレーを掻っ込む集団を横目に、小鍋からよそって幸せそうに激甘カレーを頬張るリアムをおかずに、オレは白い飯にほんの少しの辛口カレーを絡めて食べた。ドライカレーと表現したら、このオシャンティな食べ物が伝わるだろうか。ものすごく味の薄いカレー風味、でもピリピリ口が痛い系だ。


 ナシゴレンか! って勢いでかちゃかちゃかき回す姿に、ノアが手を止めて見入る。それから真似した。あっという間に周囲の傭兵達に伝播していく。食堂中からカチャカチャとスプーンの金属音が響き始めた。


 やべっ、なんかの儀式みたい。若干怖い。


「キヨ……これはいったい?」


 リアムの迎えに来たシフェルの呟きで、はっと我に返った。場の雰囲気に飲まれるって、これのことか。


「お迎えに上がりました、陛下」


「うん、ご苦労様」


 微笑んで「ごちそうさま」と挨拶したリアムが立ち上がる前に、オレは彼女の手を取ってサポートした。満足そうなシフェルの頷きに、及第点はもらえたと安堵する。じいやがさっと椅子を引かなかったら、ガタンと派手な音で倒してたと思うけど。


「キヨ、カレーという料理を騎士に振る舞わない理由を教えてください」


 あ、あいつら。自分で言えなくて、騎士団長に泣きつきやがったな?


「簡単だよ、作ってくれと言わないからだ」


 腰に手を当てて堂々と言い返した。隣でリアムも頷く。


「私もカレーを侍従らに振る舞う話が出た際に同席したが、騎士達は何も言わなかった」


 皇帝陛下のお墨付きだ。参ったか。ふふんと得意げに顎を反らした。大人げない? それで結構。リアムとの婚約前だし、まだ外見12歳の子供ですが何か?


「彼らが私に報告した内容と食い違いますね。陛下の証言があったので、もう一度精査致しましょう」


 うっわ、詳しく調べられちゃうのか。まあ軍で嘘情報を上司に報告するなんて問題行動だけど、カレーが食べたいと素直に強請れば良かったのに。シフェルに嘘を吐くくらいなら、オレだったら頭下げるけどね。うーん、軍の連中と反目しすぎるのも問題か。オレは皇帝陛下の夫になる予定だし。


 唸るオレの後ろからじいやが提案した。


「今回の件を不問にする必要はございませぬが、カレーを用意して振る舞う準備は必要かと。騎士や兵士が素直に並んでカレーを手にするなら、和解も可能と存じます」


「うん。その辺は婚約式後にしよう」


 指先でカレーのスパイスを弄り続けたせいか、どうも体中からスパイスの匂いが抜けなくて。いい匂いだよ? だけどカレー臭い男って最低じゃん。


「カレー臭い婚約式は嫌だし」


『加齢臭』


 余計な発言をした青猫を、まだカレーの残る皿に突っ込んだ。顔についたピンクのマヨネーズとカレー、目に染みるスパイスにのたうちまわり、鼻から吸い込んだらしい。激しいくしゃみで瀕死の重症に陥った聖獣を見て、ヒジリがふんと鼻を鳴らす。


『自業自得よ』


 ほんと、その通り。

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