第13話 アスターレン王宮炎上(7)

 ルリアージェと呼ばれて、アリアより耳に馴染む。これは確かに自分の名前なのだ。そう思えた。同時に、記憶を失う前に彼と出会っていた事実を理解する。


 こんな膨大な魔力を自由に扱い、街を平然と破壊し、国を敵に回しても意に留めない存在が――私の隣にいたのだ。


 囚われたわけではないだろう。彼は私の意向を、多少なりと汲もうとしてくれる。


 だったら止められるのでは?


 頼めば、彼は聞いてくれるかも知れない。戦っても勝ち目はない。これほど強大な力を揮う存在に、人間が勝てる筈がなかった。


 だから望みがあるならば、それに縋るだけ。繋いだ手を強く握り、彼の注意を惹きつける。


「ああ、望む。だからもう止めてくれ」


 ふわりと彼の表情が和らいだ。


「記憶もないのに、このオレを止められるつもり?」


 辛らつな言葉を、柔らかい笑顔で吐かれて息を呑む。白く冷たい手が伸ばされ、頬を滑るように撫でた。まるで死神に見初められたような……本能的な恐怖が背を凍らせる。


 怖い。


「……っ」


 強張った喉は声を出せず、ただ頷いた。誰も殺さないで欲しい、もう止めて欲しいのだと必死さを滲ませたルリアージェの眼差しを受け止め、ジルは紫の瞳を見開く。


「へえ、こんな震えるほど怖いくせに……逆らうの?」




「……っ、彼女から手を離せ! 化け物がッ!!」


 足元から聞こえた声に、ルリアージェの肩が震える。何もない足元は不思議と、透明の床を踏んでいるような感覚があった。その透明の板の下で、青ざめたライオット王子が叫んでいる。


 傷の痛みは麻痺しているのだろう。隣で必死に治療を続ける宮廷魔術師の使う治癒は、中級程度だ。痛みの緩和や止血程度が精一杯だった。失った出血による体温の低下や倦怠感は、今も彼を蝕んでいる。


 ダメだ、今刺激してしまったら!


 王族であるライオットを殺されるわけにいかない。焦ったルリアージェがジルの腕を強く掴んだ。指先ではなく彼自身に手を伸ばし、必死に言葉を探す。


「頼む、私が代わりになるから……やめてくれ」


 ふーん……否でも応でもなく、考え込むような声が漏れる。じっと見つめる先で、黒髪の魔性は片手を掲げた。その指先がライオット王子を示す。


「あれの命乞い、か?」


 頷いてはいけない。本能的にそう悟った。不満そうに唇を尖らせて待つ魔性は、きっと答えをひとつ間違えば王子を殺す。答えが気に入らなければ、周囲を灰燼に帰すだろう。

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