【完結】帝国滅亡の『大災厄』、飼い始めました

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第一章 逃亡生活

第1話 まず腹ごしらえ

 大陸ひとつを統治した古代帝国アティンは、『大災厄』によって一夜にして滅亡した――この大陸ラグーでは、小さな子供にも知られた御伽噺おとぎばなしだ。


 精巧で高度な技術を誇り、魔術をもって大陸を支配し、すべての国家を統一した帝国だった。今も使われる魔術のほとんどは『アティン帝国の遺産』だと言われている。


 統一に反対した国をまるごと焼き払った伝説をもつ帝国を、わずか一夜にして滅亡させた『大災厄』がどんなものなのか。


 病気、神々の怒りに触れた天罰か。


 それとも噴火などの天災であったか。


 今も謎のままである。



 ――◆―――◇―――◆―――◇―――◆――



「……いっそ、謎のままでよかった」


 森の中に張られたテントの前で、彼女はぽつりと呟く。見上げる先には2つの月が並んでいた。


 今夜は月の距離が近いため明るい。


 アティン帝国滅亡後、残った貴族達が各々国を興し、いまでは9つの国が大陸を分断していた。


 帝国滅亡の原因となった『大災厄』の正体をうっかり――本当に手違いだったのだが――手にした為に彼女は3つの国から指名手配されているのだ。


 個人相手なら魔術師として対応できるが、さすがに複数の国相手にケンカをするわけに行かず、今は素直に逃亡者という肩書きに甘んじていた。


 どうしようもなく運の悪い女性である。




 大きな溜め息を吐いて首を横に振った。いまさら過去を嘆いても戻れないのだから。


「最低だ」


 伏せた瞳は海の蒼を宿し、月光に似た白銀の髪が縁取る顔は美しい。絶世の美女とまではいかないが、世の中の8割は彼女を美人に分類してくれるだろう。



「ん? 肉じゃなくて魚がよかったの? 新しく獲ってこようか」


 呟きを別の意味に受け取ったらしい、連れの発言に頭を抱える。


「違う……」


「え? じゃあ、スープの味付けか」


 言うなり鍋をひっくり返して作り直そうとする同行者に、美女は切れ気味に叫んだ。


 すばやく鍋の持ち手をつかんで阻止する。


「だから! 違う!!」


 食べ物を粗末にするなと叱っても、彼は理解しない。ここ数日のやり取りから学んだ現実に気が遠くなりそうになるが、美女は非常に根気強く指示を言葉にした。


「鍋を置け。食事は肉でいい。あと、新しい獲物も獲らなくていい」


 言葉は通じるのだ、言い聞かせれば…いつかは理解してくれる。そう考える彼女に、目の前の見目麗しい連れはきょとんと首を傾げた。


 何が悪いか、まったく伝わっていない可能性が高い。


「うん、ルリアージェが望むなら」


 おそらく言われた内容をそのまま理解しただけだろう。



 ルリアージェと呼ばれた美女がほっと表情を和らげる。


 目の前で鍋を火にかけ直している残念な青年の見た目は、まさかの最上級。


 着飾った姫君達の隣に立っても遜色ない美貌、深い紫水晶の瞳、真っ白な肌と艶やかな黒髪は傾国の美女となれるだろう。だが表情や仕草、持っている雰囲気は生来の男性を思わせるため、女性に間違われたことはほぼなかった。


 綺麗な表現をするなら『王子様』が近いだろうか。


 常識知らずで、世界は自分を中心に回っていると信じる我侭な子供、という意味では間違っていない。



「はい、食べて。ルリアージェはもっとふっくらした方が可愛いよ」


 お椀によそったスープを笑顔で手渡した。その視線がさみしい胸元に向かっていると気づき、ルリアージェの機嫌は下降する。


 ささやかな胸元はローブに隠れているが、ほぼ平らだった。腰は細くくびれているし、まろやかな腰から臀部へのラインも悩ましいのだが……胸のふくらみだけが足りない。



「余計なお世話だ」


 むっとしてスープに口をつけた。


「あ、熱いよ」


「…っ!!」


 青年の注意は遅かった。


 舌の上に走ったぴりぴりとした痛みに、ルリアージェは眉を顰める。


 手から滑り落ちたお椀を咄嗟に受け取った青年が覗き込めば、涙を滲ませたルリアージェが口元を押さえていた。


「痛いだろ? ごめんな、注意が遅くて……ほら、見せてごらん?」


 素直に舌をぺろりと差し出せば、じっと見つめる青年が顔を近づける。無防備に傷口を見せる彼女の顎に手をかけ、さらに覗き込んだ。


 はたから見れば、美男美女のキスシーンだった。


 ベロが出ていなければ…。



「はへてふは(腫れてるか)?」


 腫れて赤くなっている舌の先を、青年は顎を引き寄せてぺろりと舐めた。


 それはもう、躊躇いも恥じらいもなく。当たり前と言わんばかりのスムーズな動きに、彼女は咄嗟に動けない。


 両手で青年の肩をぐいと押しやって、後ろにひっくり返る形で座り込んだ。


「ひゃ……っ、なに、え」


 混乱して言葉が出ないルリアージェが、何度も口をごしごし右手で拭う。


 キスではなく、舌先を舐められたのだから唇を拭っても無駄なのだが、混乱した彼女は気づいていなかった。



「え、リア……失礼じゃない?」


 その態度は傷つく。


 憂いのある表情を作った美形が俯く。


 黒髪がさらり流れて顔を隠してしまった。高い位置でひとつに結わえた髪は、肩甲骨の下に届くほど長く柔らかい。肩を滑り落ちた黒髪に表情が隠されてしまい、震える肩を見れば泣いているように見えた。


「……その手は通用しないぞ、ジル」


 低い声で怒りを示すルリアージェの表情は硬い。


 それもそうだろう、2日前に同じような手を使われたばかりなのだ。また引っかかるほど愚かじゃない。



「ちゃんと治ったね」


 くすくす笑う青年――ジル――が顔を上げる。


 やはり泣いてなどいなかった。確信すると同時に、彼の言葉に引っかかる。


 …治った?


 文句をきっちり言えたことで、治療されていたのだと気づく。治療だったとしても、年頃の乙女の舌先を舐める行為はどうなのだろう。



 複雑な気持ちのまま顔を顰めるルリアージェの眉間に、ジルの指先が触れた。


「そんな顔しないで、しわになるから」


 もったいない。


 続けられる一言がいつも多いのだ。その言葉がなければ素直に感謝できるのに、わかりづらい方法で助けてくれるのが彼だった。


 助けられたと気づいても「ありがとう」を言いづらい状況になっている。


 人付き合いが上手なくせに、人を煙に巻いて騙すような言動を好む『拗らせ系のへそ曲がり』。




「はい、今度は冷ましておくから」


 ふーふー、数回息を吹きかけたジルは、ルリアージェのお椀に口をつける。温度を確かめているのだが、なんとなく間接キスに呆れが先行してしまった。


 彼女はジルの美貌に見惚れるような、普通の乙女の思考回路でないため、あくまでも『旅の連れ』として扱っている。


 自らの顔も綺麗だが、ルリアージェの場合は母親が絶世の美女だった。


 正直、美形は生まれたときから隣にあったのだ。父親がかなり残念な外見だったので、受け継がれた美貌は母親に劣る。


 魔術の腕は父親譲りなので、遺伝は誰にも平等の一言に尽きた。絶世の美貌と魔術の腕を都合よく両取りできないのだから。




「……ありがとう」


 内心複雑な感情が犇いていても、きちんとお礼を言うのは人としての礼儀。


 ルリアージェのこういった律儀な面も気に入っているジルは「どういたしまして」とお椀を手渡した。


 冷ましたお椀の中身は、猪肉のお団子と野菜を香草で味付けして煮込んだスープだ。油が少ない赤身肉を好むルリアージェの為に、日暮れ間近の森で彼が仕留めた獲物だった。


「ん……今日はまあまあ」


 熱い料理も平気なジルが、湯気が立ち上る鍋から肉団子を拾って口に放り込む。そのまま煮ると硬くなる肉とハーブを混ぜて肉団子に加工したのは……意外と好き嫌いの激しいルリアージェに合わせたから。


「美味しい」


 お椀の中身を最後まで飲み干して、ルリアージェは呟く。


 今までの一人旅で何を食べていたのか、心配になるほど彼女は偏食した。だが食わず嫌いも多かったようで、加工して元の食材がわからなくなれば食べてしまう。


 硬い赤身肉は嫌いだが、脂っこい肉はもっと嫌い。なのに肉団子やハンバーグのような形状にすれば、素直に口にした。


 何度か食事を作った際に覚えたルリアージェの好みに沿うよう、ジルは最大限の努力をしている。


 それもこれも…すべて。




「リアに好かれたいからね」


 にっこり笑って言霊に乗せる。


 愛の告白は「そうか」という冷たい言葉で流された。ここ数日、似たやり取りを幾度も繰り返したジルは肩をすくめる。


 そう簡単に靡く人じゃないし。


 負け惜しみではなく、心から思うため腹も立たなかった。



 ルリアージェのお椀を受け取り、お代わりを注いでやる。


 隣で焼いていた赤身肉は、何度も叩いて切れ目を入れて柔らかくしたもの。少し味付けをしてから焼いたので、よい香りが漂っていた。


「ほら、こっちもどうぞ」


 皿に載せた焼き野菜と一緒に差し出せば、お椀を置いて受け取る。美女は無言で新しい食べ物にかぶりつき、ご機嫌で平らげていく。


 外見の細さを裏切る大食漢なのだ。


 とにかく小まめに面倒を見るジルは、ひな鳥に餌を運び続ける親鳥だった。



「もういい、ご馳走様」


 彼女が満腹を訴える頃には、食事の2/3はルリアージェの胃袋に収まっていた。


「はいよ、火の始末はしておくから休んでいいぞ」


 片づけの準備を始めるジルに、ルリアージェは物言いた気な顔で口を開き……迷って紡ぐ。知っているくせに見なかったフリで食器を片付けるジルが立ち上がる姿に、ようやく声が出た。



「ジル、……今夜は私が」


 見張りに立つ―――最後まで言わせてもらえなかった。


「ダメだよ、寝ないと乳は育たな……っ!」


 ジルも最後まで言えずに蹲る。勢いつけて殴られ、持っていた食器を取り落とした。


 派手な音が響いた森の中、ずかずか激しい足音がテントへ向かう。


 左手で殴られた頬を押さえるジルは、何が嬉しいのか。くつくつ肩を震わせて笑っていた。


「……っ、おやすみ」


 殴るほど怒っているくせに、やはり挨拶はするのか。


 本当に律儀な彼女にひらひらと右手を振る。本当は左手を添えた時点で痛みなど消していた。治癒はさほど得意ではないが、一通りは使えるのだ。


 それでも、殴られた傷は残そう。


 明日、腫れた頬をみたリアはどうするだろう。


 純粋にその興味だけ。


 笑うと引きつる頬から手を離し、ジルは散らばった食器を見回す。視線をくれただけで汚れた食器は己を恥じたように綺麗になり、彼が動かずとも積み重なった。


 焚き火は小さくなり、炭のわずかな熱が灰の中に残る。


「あとは、大丈夫かな」


 ぽつりと呟き、テントの周辺を覆う形で丸い結界を張った。



 簡単そうに行われたこの光景を、もしルリアージェが見ていたなら驚いただろう。


 有望な魔術師として名を馳せた彼女をして、これほど無造作に魔術を扱うことは出来ない。


 魔術は複雑な術式があり、かなり制約が多いのだ。思うままに力を振るえる魔術師など存在しなかった。



 木の上で見ていたふくろうに、人差し指を口に押し当てて「しーっ」と沈黙を要求する。無邪気な仕草のあと、ジルは嫣然と笑った。


 2つの月がゆっくり北へ下る。頭上には徐々に雲が現れ、明るかった夜は暗転した。


 雨…か。


 ぽつり、ぽつり、頭上から降り注ぐ滴は、すぐに激しい雷鳴を伴う豪雨へと変わった。

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