思いをのせて

白米おかわり

第1話

クラスに、嘘ばかり言う男の子がいた。

男の子はいつも色褪せた同じ服ばかり着ていて、ざっくりと切られた短髪。そして、腕にある細かな傷が目に入った。

その男の子は、いつもいつもあり得ないことを本当にあるようにして言うのだった。

例えば、『この世界には虹色の蝶がいて、光の角度によって色が変わる』だとか、『花びらが透けて見える、すごい綺麗な花がある』

と言うもの。

もちろん、その頃の私たちはそんなことを目を輝かせてなんの疑いもなく信じてしまうようなお年頃をとっくに卒業していたし、自分の好きな子と一緒に遊び、特別興味もわかない、変な子に、付き合ってあげるような心持ちもとっくになくなっていたから、男の子はいつも孤立していた。

2時間目と3時間目のあいさにある休み時間も、昼休みも放課後も、いつも一人教室で窓の外を眺めていた。丸い瞳に、青く澄んだ空を落とし込んで、ちょっとだけ笑って。

しかし私は、その男の子が好きだった。

たしかにありもしないことは言う。でも、そのことを言う彼の態度は、自分はこんなことも知ってるんだぜ、という自慢をして鼻高々に周りを見下すようなものでもなく、そして変なことを言ってみんなの気を引こうという下心のある態度が一切なかったからだった。

それに、彼の言う『嘘』は人を怖がらせたり、自分を持ち上げたり、人を下げたりする毒々しいものではなかったから。

彼の話は色とりどりの絵の具で描かれたキャンバスのようで、聞くとまぶたに裏にその綺麗な絵が思い浮かぶようで楽しかった。

だから私は、彼を気に入り、話しかけて見たところそれなりに仲良くなり、放課後、一緒に帰り道を歩いて、道草なんかをしながら遊んだ。

道草途中、二人で見つけた秘密の原っぱは、もっぱらの遊び場所になっていた。

私は座り込み、花を摘んで、花かんむりを使っていた。

雑草の茎を編み込んでいると、となりに座っていた男の子はあっと声をあげ、立ち上がる。


「見ろよ!あの雲きっと、龍が通った後だぜ!」


「ええー?」


作りかけの花かんむりを傍において、空を見上げる。真っ直ぐな細い線が、ムラのない青い空にすっと白い絵の具をつけた筆で線を引いたようだった。綺麗だったが、どう見てもあの雲は。


「あれは、飛行機雲!」


「えー?絶対違うって!」


男の子の言ったことを私が否定すると、男の子はちぇ、といい座り込んでむっつりとむくれてしまう。

その様子がおかしくて可愛い。

ちょっと笑った後、作りかけの花かんむりをまた編み始める。

先程とった雑草の茎をくるくると絡めていく。

しかし、こんがらがって、茎がぐちゃぐちゃに入り乱れてしまう。

あれ?と疑問に思いつつ頑張って治してみるも、余計にこんがらがってしまう。

うう、と悲観にくれていると、かしてみろと男の子は私が持っていた花かんむりをさっと取ってしまい、せっせと絡まった茎を直していく。何分か経った後、ぽいっと私の方へと花かんむりを放った。

手に取ると、思わず弾んだ声を出してしまった。

花かんむりは私が手渡したものよりもずっと綺麗に編まれ、ついでに他の花も組み込んでくれたのだろう、青、紫、赤、白の花が咲き誇っている。宝石を散りばめられた本当の冠のように見えた。


「すっごーい!きれーい!」


「すごいだろ」


私の喜ぶ顔を見て、男の子は得意げに言った言葉とは対照に、ちょっと頰を赤らめて、いたずらっ子のように嬉しそうに笑う。

その顔を見て、ある謎が胸によぎった。

なんで、こんなにいい子なの周りから距離を置かれているのだろう、と。

私が話しかけたときもぶっきらぼうな態度でなく、普通に応えてくれたし、帰るとき遅れてもずっと待っていてくれたり、困っているときはなんでもない風に、さりげなく助けてくれるのに。

やっぱり、変なことばっかり言うからみんなと仲良くできないのかな。

だとしたら、簡単なこと。あまり言わないようにすれば、そのぐらいならとみんなは思ってくれるのではないのだろうか。

だってこの子は誰よりもずっと優しいから、誰とでも仲良くなれるはず。そうしたら私とあまり遊んでくれなくなるかもしれないけど、彼が喜んでくれるのなら、それより嬉しいことはない。


「ねえっ!」


意を決して言ってみる。

すると男の子は私の顔をじっと見つめ、なにやら重大なことを言いそうな表情をしている私に怪訝な顔をしている。


「あんまりさ、変な事、言わない方が良いんじゃないの?」


は?と男の子は言い返す。


「ちょっとぐらいなら良いかもだけど、それのせいでみんなと仲良くなれないのは、辛いよ」


ああ、 と男の子は呆れたような、少しばかり悲しそうな表情の声で言う。


「別にそれだけじゃないさ。それに、変なことってなんだよ、変なことって」


「龍がいるだとか、虹の橋があるだとか、そういうこと!」


私が怒り気味でいうと、男の子はまたむっと嫌そうな顔をする。


「なんで変なんだよ、あるかもしれないことは変じゃないだろ?」


「変だよ!だって、ありもしないこと言ってんだもん!」


負けじと反論する。でもいつのまにか無表情になった彼とちょっとムキになっている私とではもうこの時点でこの口論の勝負の結果は見えた気がした。


「じゃあいないことを証明できんのかよ」


う、と私は言葉を詰まらせる。そうだけど、と言わざるを得なかったがせめてもの反撃に、いることも証明できないじゃんと言ったが、良いんだよ、それは。と一蹴されてしまった。

男の子はまだムキになっている私をよそに、背を向けて独り言のように言った。


「そのぐらい、思ったって良いだろう?」


いつのまにか風が吹き始めていて、私の髪と、男の子の髪が一緒に揺れている。

若草色の草がお互いを擦りあい、さわさわと音を立てる。


「この世には、辛いことが多すぎるから」


そう言った瞬間、風が彼のシャツをつかみ、話すとチラリと見えた男の子の背中に、赤黒い、痛々しいあざが視界に飛び込んできた。

他にもところどころ、見たこともないような傷がおびただしいほどに彼の背を埋め尽くしていた。



私に残る記憶の彼はそこで終わっている。


大人と分類される年になった今、私はようやく理解したが、あの頃の私は、情報にあまり通じでいなかったから、重大な『あること』に気づいていなかった。

なぜ彼が孤立していたのか。

彼はおかしなことを言うから距離を置かれていたわけではなかったのだ。

それも一部あるだろうが、大きな原因として、彼の家庭環境があった、らしい。

あまり彼の家庭、片親である母親には良い噂はなく、けたたましい怒鳴り声が聞こえてくるだとか、虐待があると言うようなことまでもがまことしやかに囁かれ、噂は、近所、果てはもっと遠くにまで充満していた。

私の故郷、もとい、彼のいた場所は田舎で小さなところであったから、悪い噂であればあるほど広まりやすく、子供の数も少なかったから、近くに一つしかない学校に通う子供の親はほぼその噂を知っていたと思う。。

そしてもちろん、そんな危ない噂のある親を持つ子供と遊ばせたがりはしないだろう。それに、子供も敏感であるから、複雑な家庭で育った彼から放たれる異様な雰囲気をすぐに察知し、知らず知らずのうちに離れていたんだろう。

今思えば、忠告はされていた。危ないよ、あの子と遊ぶの、やめたほうがいいんじゃない、と。さりげなく、でもはっきりと。私の身を、案じて。

そして、今思えばいじめなどはなかった。ものを隠したり、聞こえよがしに陰口を言ったり。

そんなことは、一切なかった。

そうして、男の子のことを聞かれることもたまにあった。どんな子なの、と。わたしはさして何も思わずに良い子だよ、というと少し羨ましげに、切なそうな顔をしていた。

多分みんなも、彼と仲良くなりたかったのではと今更ながらに思う。私たちのクラスは、皆優しい人が多く、クラス編成があまりなく付き合いも長かったことからそのことは十分わかっていた。だからあまり正義感のない私でさえも、彼らと男の子は仲良くなれると思ったのだ。

優しい人たちだったから、きっと、と。



あの小学校時代から何年も過ぎ去った後の私は、男の子に幸せになって欲しかったのだと、とぼんやりと思う。

優しくて、面白くて、大好きだったあの男の子に。

でも今は、いつのまにかいなくなってしまった彼の顔を覚えてすらいない。名前さえも、思い出す事は叶わない。

日々に追われるうち、彼と過ごした記憶はひどく色あせて、あやふやな形に、なり果ててしまった。それが、どうしても悲しくて、どうにか思い出そうと、卒業アルバムを何度もめくっても、クラスの集合写真をつぶさに探しても彼を見つける事は出来なかった。

私はもう、私の、恐ろしいほど美しい、今はもう更地になってしまった、二人で過ごした、あの原っぱでしか彼を色濃く思い出すことは出来ない。

後ろに背を向けた彼の後ろ姿と、やけに明るい青空を。


彼は、今どうなっているのかわからない。もしかしたら、大変なことになっているかもしれない。



でも、薄暗い思考を抑えるように私は時々考える。

もしかしたら彼は、彼の言っていた花や龍をどこかで見つけなんかしたりしているかも、と。

まだ幼さが残る、日に焼け、成長した彼が、どうだ、見つけてやったぞと、私に向けて得意げに、変わらずいたずらっ子のような笑顔で笑う彼が、私と、同じ世界線にいるのではないかと。



そして、そんな甘い、どうしようもない、光り輝くその願いを、あの、花かんむりと、青い空に乗せて。





私は、ただ祈ることだけしかできない。




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