29.***決意***

 藤姫に抱き締められた状態で目が覚めて、最初に見えたのは黒髪だった。藤姫ではなく、一緒に抱きかかえられた糺尾の髪だ。おずおずと顔を上げると、穏やかに微笑む藤姫がいた。


 胸元にしまい込んだ水晶がじわりと熱を持つ。動けぬ形ながら、熱を発して藍人に訴えかける乳母が苦しんでいるような気がして、怠い身を起こした。何も見えないくらい暗い闇の中なのに、どうしてか周囲の状況が見える。


 すぐに目で見た光景ではないと気づいた。見たのではなく、視ていたのだ。霊視に近い状態は生霊と同じで、体力を消耗する。怠さはその影響だった。原因がわかってほっとする反面、普通に目で見たら何も映らない闇に白い蛇がいた。


 師匠である真桜の手に握られた白い蛇を見間違う筈がない。乳母であり事実上の母と慕う女性を呪い殺し、死した後も利用し続ける蛇への怒りで感情が沸騰した。何もかも忘れて赤く染まる恨みに導かれるようして近づけば、師匠は淡々と言い聞かせる。


 この蛇を引き千切り裂いたところで気が済むのは一瞬だ。わかっていた。許せない相手でも許しなさいと教えてくれたのは、他ならぬ乳母なのだから。彼女の教えを守ろう、師匠の言葉を聞こうと必死な藍人の耳に、それは誘惑のように届いた。


「藍人。お前には複数の道がある。乳母を殺された子供として白蛇を殺すか、陰陽師として国津神の1柱を救うか。そして……鎮守社の後継者として神に恩を売るか」


 複数の道を示したという師匠に、普段の穏やかな表情はなかった。見極める鋭い眼差しは自分と同じ赤に染まっている。これが神としての本来の師匠の姿なのだろう。違和感なく受け止めた藍人に選べる道は、1つしかない。


「私は陰陽師としてより、鎮守神でありたい」


 この国を守る要――それは生贄に等しい立場だと知っていた。常に身を捧げ、己の心を鎮め、妖を抑えねばならぬ。恨みや妬みという個人感情を殺し、世捨て人のように振る舞う苦行が待っている。


 ちらりと振り返った先に、藤姫の膝に頭を乗せた糺尾がいた。黒髪の子供はまだ幼く、感情も未熟だ。しかし自らが異形だという負い目も、他者を外見で区別する意識も持ち合わせぬ純粋なだった。


 糺尾が感情を押し殺して生きる道を選ばぬよう、自分が彼の隣に立とう。矢面に立って糺尾を守り、最後まで彼の前を歩いていけるように。


 ひとつ息をついて顔を上げれば、穏やかな笑みを浮かべた師匠がいた。褒めるように頭を撫でてくれる手が温かく、じわりと涙が浮かぶ。


「お前の選択も覚悟も受け取った。大丈夫だ、心配するな」


 すべてお前の望むようにしてやる。難しいことを簡単そうに約束する師匠に、ぎこちなくも微笑んだ。





 一番険しい道を選んだ弟子に、思ったより見縊みくびっていたのだと反省する。この家の門を叩いた時は陰陽師になることを望んでいた子供が、自らが守る者を見つけて成長しつつあった。


 神であるアカリが何度も警告した『白より黒を選べ』は、そのままの意味だ。陰陽師としての白、鎮守社の主として黒が最良の形だった。だが互いに選んだ道はもっとも険しく厳しい。楽な道を選ぶなら、彼らを逆に配置すればいい。


 陰陽師としての藍人、鎮守神に糺尾を置く。糺尾を守ることにかけて力を発揮する藍人は、大切な子供を閉じ込めることで安定しただろう。


「苦難の道を選んだんだ。せいぜい苦しんで、泣いて、最後に満足して死ねる人生を送れ――オレが迎えに来るまで折れないよう、きっちり育ててやる」


 真桜が受け入れた決断に、複雑そうな表情ながらもアカリは小さな祝福を口にした。

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