15.***告霊***

 ぞろりと闇がうごめく。不気味にのたうつ蛇が、痛みに呻いた。元は美しかった白銀のうろこが、黒く変色してまだら模様になっていく。闇に侵食される身体がうとましく、いままわしく、おぞましかった。


 邪神におとしめられようとする身を必死にくねらせる。おのを縫い止める釘の数は3本あり、動かすたびに意識まで引き裂く激痛に襲われた。


『呪わしい……我が呪詛を浴びて朽ち果てるがよいぞ。蛇神へびがみたる我の苦痛が、叫びが、屈辱が届くよう……』


 ずっと閉じ込められていた壺の中で、眷属は共食いして果てた。神たる我を残して腐り、毒となって沁みわたり狂わせる。打たれた釘が脈打つ痛みとなり、我の意識を食い破るのだ。


『滅びよ! 悍ましき人の子らよ』


 感情のままに呪詛を吐いた蛇は、ぐったりと地に伏せた。冷たい束石つかいしの傍らで、神であった呪詛はじわりと闇を広げる。








「祭壇をしつらえる時間はないな、アカリ」


 呼ばれた天津神の神族はゆったりと庭先に横たわった。呼吸を整えて場を清める。神の身を祭壇に見立てる即席の手続きを経て、大地との間に絆を結ぶ。その間に真桜が部屋の四隅に札を貼った。


「屋敷を留守にするわけにいかないし」


 本当なら四隅に式神や護り手をおきたいのだが、この場にいるのは黒葉、華炎、華守流のみ。藤姫を呼ぶと都の鎮守社ちんじゅしゃが空になる。鎮守神ちんじゅがみたる真桜が不在のやしろが無防備過ぎた。


 祭壇を代理するアカリが動ければ、四隅は固められる。しかし真桜が祭壇を代わるわけにいかず、困ったと眉をひそめた。弟子のどちらかが清めを行えるほど霊力の扱いに長けていれば、あるいは足りたかもしれない。


「真桜、月の姫のお力を借りればよい」


 とんとんと胸元を叩く仕草で知らせるアカリに、真桜は首にかけていた勾玉を外した。助力を願うため、青白色の勾玉を月光に翳す。それから夜を示す北へ勾玉を置いた。


 斜陽の方角である西に黒葉が座ると、南と東へ華守流と華炎がそれぞれに移動する。


「結界から出るなよ。声も出すな」


 瑠璃と山吹に言い聞かせ、糺尾と藍人を部屋の中に座らせた。自らは素足で大地に降り立つ。


「ふるへ、ゆらゆらとふるへ……」


 九字を切らずに真桜の口から言霊が作られていく。この場を支配するのは、都一の陰陽師ではなく国津神の末裔だった。


≪我が血にて地を清め、息にて域を制する。失われし御霊みたまを……っ≫


 神呪かじりに近い言霊を途中で飲み込む。最後まで呼び寄せる前に、透けた女が飛び出した。慌てた様子で後ろを振り返る女は、わずかに白髪交じりの髪を振り乱して必死に訴える。


『……げ、て! つか、る……』


 追いかけてくる何かから逃げるような仕草のあと、女は首を押さえて蹲る。咄嗟に手を伸ばした真桜が弾かれ、地面に背から叩きつけられた。


 身を起こすことなく状況を見定めたアカリが「鎮まりたまえ」と呟いて、ゆっくり息を吐いた。身体に残されたすべての息を吐き終えると、数秒そのまま留まる。


 ぱちん。


 はじける音とともに、北側に置いた勾玉にヒビが入った。身を起こしたアカリが細く息を刻んで飲み込みながら、言霊を飲んでいく。


「いてっ」


 身を起こした真桜が地面に胡坐をかくと、両手を広げた。頭を中心に三角を描いた姿勢で、口の中で九字を切る。最後の息に霊力を乗せて長く吐き出し、結界を整え直した。


「無事か?」


「なんとか……」


 結界の要石となる勾玉が砕けた衝撃と反発を無理やり抑え込んだ真桜の青ざめた顔色に、アカリが眉をひそめる。立ち上がると月が顔を隠した雲を睨みつけた。雲は龍に連なり、水の眷属の象徴だ。それが月光を遮る現状が、敵の正体を示す材料だった。

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