26.***琴線***

 白い鳥は夜空に映える。美しい燐光を纏った鳥が舞い降りた先は、藤之宮様のお屋敷だった。控えめな灯りがこの家の現状を物語る。


 頼るべき兄帝は亡くなり、後見もない。摂政家や貴族に見捨てられた皇族は、誰も訪れぬ屋敷でひっそり暮らしてきたのだろう。華美な暮らしは望むべくもない屋敷は、うらぶれた雰囲気が漂っていた。


「正面からおとなうか?」


「うーん。婚姻されていない姫君だからね……変な噂立つと申し訳ないし」


 婿殿がいない姫君の屋敷は、基本的に女性ばかりだ。下働き以外は女房が仕切っているだろう。ましてや屋敷の主は帝の血族だった。陰陽師が訪問するだけで、悪い噂が立つのは間違いない。下手をすれば彼女が呪詛の源だと広がる可能性があった。


「忍び込むか」


「……そちらの方が問題だと思うが」


 アカリの呆れ顔に、真桜は分かっていない表情で首を傾げる。夫がいない女性の屋敷へ、夫でも求婚者でもない男が忍び込むのだ。うっかり誰かに見られたら、どのような噂になるか。陰陽師として訪ねた方が誤魔化しようもあるだろうに。


 しかし、愚かながらも真桜は対策を考えていた。


≪闇の衣よ、我らを包め≫


 闇神の血族である真桜は、元から闇に偏っている。そのため闇に関する呪術を、呼吸さながら容易に使いこなすのだ。アカリと真桜を包み込んだ闇により、彼らの姿は視認できなくなった。


「行こうか」


 友人を訪ねるような気軽さで促す真桜の鈍さに溜め息をつきながら、せめて2人の方が言い訳も立つだろうとアカリは後について屋敷に入る。


 外から屋敷を視たときに気付いたが、呪詛の源にしては闇の気が薄い。足を進める彼らを遮る術もなく、いとって排除する気配もなかった。門は傷んでおり、ぎぃと軋んだ音を立てる。出来るだけ音を殺して閉めると、まとっていた闇を散らした。


 庭の手入れは一通りされている。大きな樹木の枝が伸び放題なところをみると、下働きが届く範囲だけ手を入れたのだろう。池の水は多少濁っているが、泳ぐ小魚の群れが見える程度の透明度はあった。


 屋敷は何度も自分達で直したらしく、屋根に接いだ跡が残っている。職人の手による修復でなく、素人による仕事のようだった。僅かに簾が揺れる部屋から黒い帯のような呪が視える。


 近づこうとしたアカリを真桜が留めた。耳に届かぬ微かな願いが糸のように張り巡らされている。愛しい男のおとないを祈る姫の声なきこえが重い淀みとなって、屋敷を暗く覆っていた。


 そっと手を伸ばし、想いの琴線を引き寄せる。焚き込められた香が届く気がした。それほど長い時間をかけて――


「……貴女は待ったのか」

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