1-1 木五倍子/キブシ(1)

ここは色恋の町・遊幻町


深夜零時。

ある妓楼にて事を済ませたモモンガは寝床に女を残し、早々とその場を後にした。



***


妓楼のとある一室。

月明かりのみを照明とした小さな部屋に二つの影がある。

一方はモモンガであるが、もう一方はしわくちゃの顔をしたオババである。


煙管を吸うオババは紫煙をふうと吐くなり、言葉を吐き捨てる。

「指切りの仲だから免除被りたいなんて、馬鹿な話があるかい」

モモンガが透かさず切り返す。

「倍にして返すって!だから今日だけはお願い!」

土下座をしてみせる。手はお願いのポーズである。

「信用できないね」

「んだよ、ババア」

土下座のまま毒づく。

その言葉を聞いたオババは空気を吸い込むと、ふっと勢いよく煙管に息を吐き、モモンガの頭上に灰を飛ばす。

「アッッツ! 禿げる! すみません、ごめんなさい、お姉さん!」

一度頭を上げて灰を払うと、すぐに土下座に戻る。

「大体、今日は借金を返しに来ただけな筈だろう。まったく、減るどころか増えちまってるよ」

オババはそう言うと「はぁ」とため息を溢した。




「出禁だね」




「でっ、でで……はぁぁぁ?!」

今日一番の声量だ。

「まったく、静かにしな」

オババに煙管で肩を叩かれ、痛いと声をあげた。


「ほら! お客さんのお帰りだよ!」

オババが手を打ち鳴らすと、屈強な男が襖を開けてモモンガを引きずり出す。


「ちゃんと歩けっから、離せって!」

「……」

「無視かよ」

首根っこを掴まれたような姿で町を引き摺られ、騒ぎに目を覚ました遊女たちが集まりだす。くすくすとした笑いが耳障りだ。

「いやねぇ、モモさん」

「また、やらかしたのね」

モモンガは聞こえないふりをした。





遊幻町唯一の出入口・大門には橋が架かっている。橋の向こうは現実世界。木々が生い茂る道は遊幻町の華やかさと対比し、暗く冷たい。

橋の中程まで来ると、屈強な男が口を開いた。

「出禁だ」

それだけ告げると、あろうことかモモンガを堀に向かって投げ飛ばす。

「バカヤ……!」

モモンガの捨て台詞は虚しく、水飛沫の音に掻き消された。




***


げほっ。ごほっ。


対岸に泳ぎ着いたモモンガは水を吸って重たくなった衣服に苦戦しながら、己が投げ出されたあとすぐに投じられたであろう白鞘の短刀二振りが手元にあることを確認した。

「こりゃあ、刀身が錆びついちまう」

落胆するモモンガに便乗したのか、懐から"あの"小さな包みが零れ落ちる。


「……」

このまま知らぬふりで帰ろう。これは重すぎる。


そう判断し、少し軽くなった腰を上げた時だった。

「御仁、何か落し物をなされたようだが」

男の低くしなやかな声だ。骨張った白く長い指が、包みを拾おうと延ばされる。

まずい。

「いやいや、大丈夫っす」


延ばされた指先が触れる前に、それを回収するモモンガ。

「あー、いや、落し物っていうか。ゴミ的な」


へらりと笑う。咄嗟に出た誤魔化しだ。置き去りにしようとしたのは事実だが、"ゴミ"ではない。

モモンガはその包みをぎゅうと握り締め、指らしい感覚がするのを確かめた。

これは重すぎる。再び自分に言い聞かせ、そのまま勢い良く堀に投げ入れた。


ちゃぽん。


軽い音が響いた。



「それは要らぬ世話を焼いてしまいましたかな。しかし、ゴミはゴミらしく正しい処分をしなくてはいけませんよ」

笠を被った華奢で長身な男が微笑みかける。痩けた頬が特徴的だ。

苦手なタイプだとモモンガは感じた。


「先生、その辺で」

脇にいた小柄な男が囁く。

「ふむ。それでは、失敬。くれぐれも風邪には用心されよ」

二人の男は遊幻町へ繋がる橋を渡っていく。

閉ざされた大門。こんな時間に一体何者なのか。モモンガはその背中を見つめ、小柄な男が『くすり』と書かれ行李(こうりやなぎ)を背負っていることに気付いた。


「なるほど」

モモンガは踵を返し、酔いが覚めきっていない体で月光を頼りに暗い道を歩み進めていくのであった。





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