第2話 ペコ


幸福。


私達の義務であり唯一の鎖。


遠い昔、天使が現れたあの日。


天使様はこう私たちに説いたらしい。



「幸福であれ。幸福へ導けるものであれ」 と。



――――――――――――――――――――――




「・・・それで、とりあえず保護したと」


「うん。まあ、外からの子だろうね。じゃなければこんな事があり得るわけないよ」


「です、よね」



私達の住んでいるプリンシパリティ領はいくつもある領域の中でも特に戒律に

厳しい。


”天使様の幸福論”と呼ばれる天使から課せられた法。


人間たちの間で作られた法律のように多くの項目があるわけではなく、ただひとつ。


幸福であれ。幸福へ導けるものであれ。


正直心の持ちようでいかようにも変わってしまう在って無いような法ではある。


だけど昔から、それこそ私が生まれたときからその法は当たり前のように私のそばにあって。


疑うこともせずに、そう在ろうと生きてきた。




少女と共に2階へ戻り、とりあえず汚れた体を綺麗にしようと浴場へ向かう。


少女はまったく無抵抗に私の手を握りながらぺたぺたと付いてくる。


そういえば裸足だ。



「よし、とりあえず体洗ってあげるから服脱いじゃいな」


「ん」



一目見たときから大体分かってはいたが、彼女は汚れたワンピースの下に何も着てはいなかった。


色々と思うところはあったが、とりあえず後回しにして浴室へ手を引く。



「ほい、座って」



小さな背中だ、と改めて思う。


どのくらいの間この子は外で生活していたのだろう。


体中の汚れと髪のツヤから察するに少なくともひと月は堅いだろう。



「一応聞くけど、ご両親は?」


「・・・・・・」



力なく首を振る。



「どこに住んでたの?」


「・・・・・・」



先ほどと同じく首を振る。


基本的に親を失った子は天使に保護され、仕事を任せられる年になるまで育てられる。


例外としてはその親の友人に引き取られる例くらい。


この子のように誰にも保護されないことなんて聞いたことが無い。


そもそもひと月も街でさまよっていたなら巡回してる天使に会わないはずが―――



「おねぇ、ちゃん?」


「・・・おっと、ごめんね?」



色々考えるあまり手が止まっていた。


昔リデルにやっていたように優しく、しっかりとスポンジを動かす。



「よし、じゃあ髪洗ってるから前は自分でよろしくね」


「ん」



背中に羽は無い。少なくとも私には見えない。


そもそも天使の子供というのは見たことが無かった。


人の住む町に降りてくる天使たちは皆青年期くらいの見た目だ。


人を導くために、親しみやすさのためにある程度の育成期間を持ってからこちらに降りられるようになると知り合いの天使が言っていた。


そうなると残る可能性は街の外。


生まれてこの方外に出たことは無く、”そこに有る”としか知らない。


聞く話によればどの街もここと似たような場所らしいが真実のほどは確かでない。


とりあえず今分かることは、暫くの間ここで保護することになりそうという事だけだ。



――――――――――――――――――――――



夜の営業は忙しくなりがちだ。


平和な昼とは違ってお酒がメニューに加わるため、仕事帰りの一杯にと寄る客が多い。



「エールお待ちどうさまです!」



昼はゆったりとお茶を作るリデルも、夜は料理を運ぶウェイトレスとして姿を変える。



カラン カラン



「いらっしゃい!珍しいね、一人?」


「あの子は非番よ。エールお願いね」


「了解」



ぐっと伸びをしながらツインテールに縛られたクリーム色の髪をなびかせ、少女がカウンター席に


腰掛ける。


背についた羽も彼女と同様にピンっと伸びる。


彼女、マーマレードは天使だ。


度々こちらに降りてきては街の巡回ついでにここへ寄る。


天使の中でも中級天使と呼ばれる位に位置するらしい彼女だが、こうして席でだらけている所を見ると


威厳というものはあまり感じられない。



「はい、エール」


「んー、ありがと」



マーマレードは伏せていた顔を上げ、ジョッキ一杯のエールをゴクゴクと飲み干していく。


威厳を感じるどころかこれではテーブル席にいる飲んだくれ爺さんと同じだ。



「っはー!おいしー」


「天使様がそんな様子でいいの?うちには常連しかいないからいいけど外行ったら呆れられるよ?」


「うっさいわねー。あんたのとこでしか飲まないから大丈夫よ」



顔をほんのりと赤く染めながらまた一口。


いつもはストッパーに同僚の天使が付いているのだが、今日は非番らしくその役は私に回ってくる。


小さくため息を吐きながら彼女の”いつもの”に含まれるポテトのチーズ焼きを作り始める。


とんでもないカロリーになりそうだが、彼女曰く 「天使は太らないのよー」 とのこと。


ものの数分で完成し、容器に移す。後は胡椒を振って―――



「ねぇ、あの子どうしたの?」



数瞬考え、その答えに背筋が冷たくなる。


恐る恐る後ろを向けば、ボーっとこちらを見る少女が一人。


やった。やらかした。


どうする?相手は酔っ払いとはいえ天使だ。変に回答をすれば不審に思われてしまうだろう。


いやしかし拾ったと言えばそれはそれで怪しまれるというかもうあーもう



「あぁ、従業員」



やった。これは最悪だ。不意打ちとはいえなんて回答をしてしまったのか。


いくら何でもこんな小さな子が従業員として雇っていいわけがないだろう。



「いあっしゃいませー」



かわいい。






いや、違う。そうじゃない。


あの子は空気を読んでくれたのかもしれないがまるで効果は無いだろう。


ほら、あそこでリデルが両手で頭抱えちゃってる。



「・・・・・・」



過去、天使のいなかった時代には死刑囚と呼ばれる寿命と事故以外で命が絶たれてしまう人が


いたらしい。


彼らが首を落とされるのを待つ時間、今の状況を例えるのであればそれが最適だろう。


ただ、マーマレードが口を開くのを待つ。


そして、その時は時計の短針が一回りするよりも早く訪れる。



「・・・よろしくねー、かわいい従業員さん」



・・・よし、冗談を言っているようには見えない。とりあえずこの場はどうにかなった。


そういう事にしておこう。



――――――――――――――――――――――



どうやらトイレの場所を知りたかったらしい。


そう暗くなった店内で明かされた。


今回は彼女を放っておいて何の説明もしなかったこちらの非だ。


謝るついでに今後について話し合おうと二階に上がる。


しかし彼女は何処にもいない。


段々とわいてくる焦りを抑えつつ、一階へ戻る。


厨房、カウンター、テーブル席の下。


喧噪の無くなった暗い店内を探すも見つからない。


そしてふと、思い付く。


勝手口。彼女と出会ったあの場所。


私の足は自然と駆け出していた。



―――――――――――



外は涼しく、大きな月が私たちを照らしている。


彼女は出会った時のようにぼーっとした目で煌々と光る満月を見上げていた。



「探したよ」



光にとらわれていた視線がこちらへ移る。


なぜだろう、羽が付いているわけでもないのに彼女に話しかけるのをためらってしまう。



「夜はごめんね?仕事があったからって放っておいちゃて」



彼女は無表情に首を横に振る。


気にしてないって事でいいと判断してまた口を開く。



「そういえば、名前聞いてなかったって思ってさ」


「・・・わかん、ない」



覚悟はしていたがやはりそうなってしまうのか。


名付け親、まだ結婚もしていないのに。


ばつの悪そうな顔をしてうつむいた彼女を見ながら考える。


満月の空の下、お互いに口を開かないまま時間が過ぎ。


ふと、あの歌が頭によぎった。



「君は何を見ているの、俯いて」



彼女が顔を上げる。



「幸せな空に楽しげな街、前を向かなきゃ気づけない」



静かな空間に私の声が広がる。



「オレンジペコの夕空に、目を細める君」


「大丈夫。あなたは幸せに包まれているから」



サビを歌い上げ一呼吸。



「・・・ねぇ、じゃあさ。ペコって名前はどう?」



ちょっと臭いかなと笑う私に、彼女は、ペコは初めての笑顔を見せてくれた。

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