第1話 薄汚れた天使
平穏を約束された地、地球。
遠い昔、天使たちが私たちの住まう地に舞い降りたとき、すべての争いが止んだという。
疲弊し、荒れ果てた世界は暖かな光と天使たちの羽によって浄化され、息を吹き返した。
たった1週間。ただの一滴も血は流れず、誰一人として抵抗はせず。
世界が、ヒトが、この星のすべてが、天使たちを受け入れ、崇めたらしい。
上位の存在として、ヒトを見守るものとして。
天使達が統治する世界が作り上げられた。
Cafe Warmut
天使像から歩いて20分。街角にひっそりと主張する浅葱アサギ色の外壁が一つ。
こじんまりとした空間にぴったしのこじんまりとした店員が二人。
料理担当の私、クリス・クローブとドリンク担当のリデル・サフラン。
爽やかなお茶の香りと共にお待ちしております――
「こじんまり、ですかー?」
「おっと」
ムスッとした口に逆ハの字の眉、どれだけ怒っても可愛いとしか言われなさそうな顔で少女がこちらを見ている。
「ポスターにもユーモアがあった方が受けがいいんじゃないかってさ」
そう言ってちらっと横顔を見るも未だ不機嫌顔。
どうやらよほど“こじんまり”が納得いってないご様子だ。
「まぁいいですけど。名誉棄損で天使様にしょっ引かれちゃえばいいんです!」
「はいはい、ごめんね。もっと別のフレーズに直すからさ。」
「気にしてるんですから。お願いしますよ」
少々元の穏やかガールに戻ってはくれたが、これは後でパンケーキでも焼いてあげないとかな。
「そろそろお店の時間ですよ、店長」
ツンとした口調でそう言い残し、リデルは長い髪をゆらゆらさせながら開店の準備をしに一階へ向かっていった。
cafe warmutは一階の喫茶店と二階の住居スペースで構成されており、私と住み込みバイトのリデル2人でひっそりと切り盛りしている。
最近は冬の寒さも通りすぎ暮らしやすい陽気だ。こんな日はうちの常連客がこぞってやってくる。
料理の仕込みを進めながら、私は今日来るだろう客の顔を思い浮かべていた。
太陽が真上にやってくるちょっと前、涼やかな鈴の音と共にCLOSEDの看板がめくられる。
「おはよう。そしていらっしゃい、シェファー。」
「おはようクリス、今日もお茶をいただきに来たわ。」
眩しい銀の長髪に金が所々入り混じり、遠目から見てもわかりやすい髪色をしている彼女。
一見するとただの美人顔の少女だが、なんの巡り合わせか本来なら傅くか敬語で話さねば無礼に当たるであろう一国のお姫様なのだ。
シェファー・ダージリン。ここ、プリンシパリティ領において最も権力を持つダージリン家の第二皇女。
姉に第一皇女のノブル・ダージリンを持ち、姉妹共々この街をより良いものにしようと日々国事に追われている――――と公では言われているが、
「ほとんどの場合表舞台に立つのは姉様で、第二皇女は名だけよ」とはシェファー談。
本人も束縛されるのが嫌いらしく、公務に追われず私の店で茶をすする方が幸せのようだ。
「あっ、いらっしゃいませ、シェファーちゃん!」
「どうも、リデル。いつものをお願いできるかしら?」
「はーい」
返事と共に、リデルはシェファーお気に入りのダージリンティーの準備を始める。
その手つきは3年の年月を感じさせる慣熟されたものだった。
「やっぱナルシスト?」
「自身の名が付いているお茶を愛飲している事に関して言っているのであれば、今後の付き合い方を考える程度には間違っているわ。」
「ごめんね?気になったことはすぐに確認取りたくなっちゃう性格でさ」
「それについては既に承知しているわ。無遠慮で無配慮な口をしていることも。」
「ほーら、やっぱりデリカシーが無いです」
ダージリンティの準備をしながら、リデルが横槍を入れる。
「まあ、でもダージリンという名は気に入っているわ。大好きな姉と大好きなお茶、そのどちらも表している素敵な名前が私にも付いているんですもの。」
先ほどの怒り顔は影を潜め、シェファーは嬉しそうに、誇らしげに頬を染めた。
「本当にお姉さんが好きなんですね」
透明なグラスに注がれた水出しのダージリンティーをカウンターに置き、リデルが微笑みかける。
「ええ、もちろん」
早く味わいたかったのか簡潔に返事を返し、グラスを傾ける。
先ほどまで交わされていた談笑はそれを合図に区切られた。シェファーが言うにはお茶を楽しむ時、言葉は無粋とのこと。
新たな客が訪れるまでの一時、店に流れるのは録音機から流れるリラの音とグラスの無機質な環境音だけだった。
――――――――――――――――
「ふぃー」
本日の昼間はありがたいことになかなかの盛況。
ランチの残飯を勝手口のゴミ箱に捨て、一息つく。
夕焼けを肴に一杯、といきたい所だが夜は夜で営業があるのでそうもいかない。
昼の売り上げを集計しているリデルをねぎらいながらつかの間のきゅうけ―――
「あっ・・・」
二階への階段を上る足を反転させ一階へ。
昼に予想以上の売り上げをあげ、ゴミ袋が足りなくなるとリデルが言っていた。
しかし、いつも以上に疲労が残っているため、あまり買い出しには行きたくない。
なんとか夜の分くらいは持たないかと袋を確認しに勝手口のドアを開ける。
「・・・・・・」
「・・・・・・ンッ」
服と呼べるかも怪しい布切れ、ボサボサのショートヘアー、まん丸の大きく見開かれた目、手に握られている食べ残しのパン、ソースでべとべとの口。
孤児、家出、難民。様々なワードが私が口を開くまでの5秒間の間に駆け巡る。
「あり、えない」
温かい言葉でも、突き放す言葉でもなく。
私の口は自然とそう紡いでいた。
彼女の瞳はまだ、私を離さない。
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