36*檜隈の姫は飛鳥で夢を見る

***

 河内国草香から紀伊国名草へとカラス衆を従えてタカクラジは走る。ツクヨミが翔んでくる前に、弟と会っておきたい。言っておきたい。天ツ神に信じたらいけない。ツクヨミに仕えてわかった。アヤ族は国ツ神とともに天ツ神と戦うべき。アヤ族の誇りにかけて。

『あらあら、タカタカ、どうしたの?』

 弟の代わりに名草にいたのは天ツ軍、東の軍の軍将イヅメ。両隣の副将が睨む。弟はもう居なかった。ニウ族の征討に出てた。

『ニギハヤヒ様……』

『よう、タカクラジィ。元気に戦ってるかァ』

 ニギハヤヒの挙げる手をイワドノヲが制する。

『ニギハヤヒは、もう行かれよ。国ツ軍に見つかったら、色々とめんどうになる』

『国ツ大神のオレサマに偉そうに言うな。戦うしか能のない剣神が』

 ニギハヤヒはイワドノヲに剣を翳す。

『ニギニギ、剣を降ろして。イワイワの言うとおり、早く帰って。地祇共にバレたら、戦わないで勝っちゃおう作戦がパラッパーよ』

 ニギハヤヒが悪態をつきながら暗闇に消える。

『タカタカ、ちょっと来て』

 イヅメが招く。タカクラジが近づくと、背後にイワドノヲとタヂカラヲが立つ。逃げられない。イワドノヲがタカクラジの剣を抜く。断れない。イヅメがタカクラジを見る。逆らえない。

『元気に決まってるわよねー、ヒラの神人。弟神に従う下っぱカラス。死んじゃった父神の跡目を継げず、アヤ族をバラバラにした無能の役たたず。恥ずかしいねー、かっこわるいねー。イヅメだったら生きてられない。死んじゃいたい。弟神は天ツ軍の主軍を任されたというのに、タカクラジはクソ地祇の連絡係くらい。なにもやってないもん。元気に決まってるじゃん』

 目を逸らすタカクラジの耳元で囁く。

『タカクラジは強い力、強い心を得たいんでしょう。強い、チ、カ、ラ。強い、コ、コ、ロ』

 イヅメの言葉が頭に響く。

『イヅメを見て。イヅメの言うことを聞いて』

 首飾りを外し、タカクラジに渡す。

『両手でギュウッと握ってみて』

 タカクラジの顔を両手で包む。上目でタカクラジを見る。

『あのね、ツクヨミを殺した後にニギハヤヒの処に行くでしょう。そのときに……』

『ワタシにニギハヤヒ様を殺せ、と?』

『ううん。違う。アナタがニギハヤヒに殺されるの』

『なぜ、ワタシが……』

『贄にならないと、強い力も、強い心も得られない。イヅメのために死なないと贄になれない。贄になり、甦り、鬼神となる。すぐに甦れば元の体で甦られる。わかる?』

『強い力と、強い心が得られる……』

『そう。タカクラジが殺されれば、鬼神となる。ニギハヤヒも逃げれば、天ツ軍は戦わないで勝てる。アヤ族は国を造れる。いいことだらけじゃない?』

『いいこと……』

 唇をタカクラジの唇に合わせる。

 ゆっくりと離す。唾液が唇と唇を渡す。タカクラジの唇を小指でなぞる。

『イヅメの初接吻なんだぞ。ありがたく思え。タカクラジが殺されるだけで、いいことだらけ。生きて苛められるより、死んで役にたとうよ。約束をして、必ず死ぬって』

 イワドノヲが剣を返す。タカクラジは剣を受けとる。イヅメが手を振る。タカクラジも暗闇に消える。


***

「ツクヨミ様に仕え、ツクヨミ様を殺したタカクラジ。トミビコが言ってたカラス衆です」

 消えるトミビコさんを見ながらオオクニヌシさんは話す。スサノヲさんが拳を強く握り、オオクニヌシさんを睨む。

 神話で、天ツ軍はタカクラジの渡した神剣で荒ぶる山神を討ったという。現実は、タカクラジさんがツクヨミを殺した。

「ト、トミビコを社に眠らせるため、ミワに行った。オレは、じ、陣所の撤収で残った」

「偶然、タカクラジと会いました。タカクラジは命じられて殺したと言いました」

「それで許せたのかッ、許したのかッ」スサノヲさんがオオクニヌシさんの胸ぐらを攫む。

「タカクラジはニギハヤヒに殺されてました。死にぎわでした」

 スサノヲさんが手を緩める。

「どういうことだ?」

「贄になるためでしょう。……修練で根ノ国へ堕ちる前に、初めて会いました。似た境遇ですぐに友達になりました。イコマからクマノへと移り、カラス衆になったと言ってました。弟がいたこと、弟がカラス衆の頭になり、ツクヨミ様がヤマトに行った後にイソ族を滅ぼしたことは後で知りました。会えなくなり、ワタクシも神威を得たので、タカクラジに会いづらくなり、疎遠になり。友達なのに。ミワで……会ったときも、タカクラジは、友達と言ってくれたのに……」

 オオクニヌシさんは落ちてる品物比礼を拾い、カミムスヒ様にいただいたと言い、私に渡す。

「ツクヨミ様に渡すためにいただいたと、今、わかりました。……呪術、いえ、鬼術を使う天ツ神。クマノでスサノヲ様がニギハヤヒと戦ってたときに、イザナミ様に聞きました。そしてイコマからナグサへと向かう車中でトミビコにツクヨミ様に仕えたカラス衆を訊かれたとき、新大阪駅でイヅメと会ったときにタカクラジとわかりました」

 だからナグサヒコのことを話したのか。じゃあナグサヒコは……

「ワタクシは大事なタカクラジを、大事なツクヨミ様を殺したのです」

「いいよ、オオクニヌシさん。ツクヨミは、私は生きてる」

「オ、オレはオオクニに、と、友達がいたと知らなかった。タカクラジも、オ、オオクニと友達になれて、嬉しかったことは、確かだ。い、いいじゃないか、もう」

「オオクニ様が泣いてる。いつもボク達を励ましてくれたオオクニ様が、泣いてる」


『あ、あンな、アイツは確かに不器用な、ところがある。でもな。そういう生き方を強いられて、きたんだ。ゆ、許してやれ』


 ナムヂさんの言葉を思いだす。

「タカクラジに、ツクヨミ様に会いたかった。ずっと、ずっと……」

 オオクニヌシさんは崩れる。地面に蹲り、泣く。じぶんを責める。


***

『まあ、座りな』

 檜隈の姫に促され、オオクニヌシは注連縄の張った巨岩に座る。巫衣も化粧とおとなしく、装飾具はつけてない。前に会ったのはいつだろうか。檜隈の姫は、あきらかに老いてる。

 真神ノ原を囲む山々の檜は伐り倒され、山肌が見える。飛鳥川の周辺に水田が広がる。宮殿が遠くに見える。風景が変わってる。

『アスカは変わりましたね』

 オオクニヌシが溜息をつく。

『アタシもね。オオクニヌシは変わらないね』

『……高市皇子は亡くなりましたね』

 檜隈の姫も溜息をつく。

『アタシを苛めるために来たのかい?』

『慰めるために来ました』

『ようやくアタシの望むことを言ってくれたね。……もう遅いけど』

 昔は目的が、いつも檜隈の姫に言いたいことがあって来た。目的がなければ会いたくなかった。苦手だった。今は檜隈の姫の憔悴を知り、会いたくて来た。タカクラジが結んでくれた縁だ。

『アスカにアヤ族の国は造られず、天ツ神の宮処が造られました。アスカは変わりました。国ツ大神に成るために産んだ子は殺されました。天ツ神は、仕えるアヤ族を残し、仕えないアヤ族を滅ぼしました。……タカクラジが死に、天ツ軍が勝ち、ヤマトのアヤ族はどうなったのでしょうか?』

『タカクラジが死に、天ツ軍が勝っただけ。オオクニヌシが傅いただけ。アヤ族はバラバラとなり、ヤマトのアヤ族は滅ぶんだろうね。アタシはなにもできなかった。ここを、アヤ族を守れなかった。……タカクラジを祀ってくれてありがとう』

『アスカを捨てるのですか?』

『アタシも、王族の誇りがある。天ツ神に仕えるつもりはない。アスカに未練はないよ』

『クマノのアスカも天ツ神が抑えたと聞きます。どこに行かれるのですか?』

『オオクニヌシがアタシを案じてくれるのかい?』

 笑いながら檜隈の姫はオオクニヌシを横目で見る。オオクニヌシは黙ってる。考えてる。

『姫様は天ツ神に貸しがありますよね、色々と。社つきの転職情報がありますが』

 オオクニヌシは檜隈の姫を見る。

『いやらしい顔だね。いやだけど、オオクニヌシに仕えるか。しかたがない。……子にうらぎられ、殺され、また、殺された。母らしいことはなにもできなかった。せめて巫のかっこうしてるから、祀ってやろうかね』

『……』

『なんだ、知らなかったのか。……そうか。タカクラジはなにも言わなかったのか。こんな時代だ。一族を守るために残された巫は、女の長は、裏技も必要なんだよ』

 檜隈の姫が少女のような目でオオクニヌシを見る。

『あーあ、オオクニヌシとアタシは合うと思ったんだけど……』

『……』

『オオクニヌシ、ありがとう』

 檜隈の姫は巨岩を降りる。オオクニヌシもつられて降りる。

 檜隈の姫がオオクニヌシを抱きつく。とまどうオオクニヌシ。

『生きるときが違った。……ワタシは老いた。余生は体も心も、オオクニヌシに仕えるよ』

『……お、老いたといいましたよね。体はいりません』

『そうか、そうだよね。寝技はまだいけると思うんだけどね。ハハ。……アタシは帰るよ。注連縄、外して捨てといてくれる。もう祭はやらないからさ』

 檜前大神の降りるための磐座に張られた注連縄を外しながら、オオクニヌシは檜隈の姫を見おくる。

『確かに檜隈の姫が男神だったら、時代は違ってた』

 オオクニヌシは独り言ちる。

 タカクラジに神威があったら……。

 しかたがない。

 とりあえず話は付いた。

 オオクニヌシは注連縄を首にかけ、遠くの宮殿を見る。

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