第152話 誰がために

「あんまし人前で使いたくはなかったが……まあ、仲間の頼み事だ。手を抜く方が無粋だろ。__死にたくなかったら死ぬ気で来い」

「殺さないでね⁈」

「殺さねえよ!」


 薬師にそう答えたシンは、しかし、依然として余裕はなかった。


 バーサクを使っている間は、痛みに鈍くなり、力も素早さも上がる。が、同時に判断力が鈍り、手加減が難しくなる。


「目指すは半殺し、ってところか」


 シンは小さくそう呟くと、包帯を巻いた両拳を構える。

 赤色に変わった両目の視界は、ひどく良好である。それこそ、普段なら見ることすら叶わないような、魔力の流れすらも見えるほどに。


 流れの魔法使いからは、でたらめな量の魔力があふれ出ている。それは、炎をまとっているからだけでなく、身体強化にもその魔力が回されているからだろう。


「あの魔力量、たいして人族と変わりのない見た目……ダークエルフかミノタウロスキャスターか……つっても、ダークエルフにしては火に対して耐性がありすぎるし、ミノタウロスなら角か牙があるはずだしな」


 魔族という種族は、実のところ多種多様な生態をしている。

 そして、それぞれに弱点がある。


 例えば、ダークエルフ。普通のエルフと異なり肌が浅黒い彼らは、魔族と分類されてこそいるものの見た目も生活手段も気質も、人族のエルフと大差ない。魔力が総じて高く、瞬発力も人族と比べると破格に強い。

 が、弱点や欠点はエルフと共通で、火である。

 もし彼がダークエルフの魔混じりハーフであるならば、体にまとう炎が致命的なダメージとなることだろう。


 ミノタウロスキャスターは、魔法に特化したミノタウロス種であり、見た目は上半身が牛、下半身が人間の異形の種族である。ミノタウロスキャスターはそこそこの魔力と圧倒的な筋力があり、さらに火に耐性がある。

 ここだけ切り取ると欠点なしのように思えるが、通常のミノタウロス種と異なり、ミノタウロスキャスターは耐久性に欠ける。そして、ミノタウロス種は総じて温度の変化に弱く、狡猾なくせに頭が悪いことでも有名である。


「どっちにしろ、親の影響をどこまで受けているかって話になるからな……」


 シンはそう考えながらも、油断なく体を前に向ける。

 両腕に炎を宿した流れの魔法使いは、口元に不快感をにじませ、牙を見せる。唐突に表れた強敵に、動揺が隠せないらしい。


「ガァッ!」


 低くうなり声をあげると、流れの魔法使いは獣のようなしなやかな動きでシンにとびかかる。

 が、近距離での攻防は、依然としてシンに分配が上がるようだ。


 腹を狙って振りぬかれた流れの魔法使いの拳を、シンは体を斜に構えることで回避し、カウンターで足払いを繰り出す。


 足首をすくい上げられるように払われた流れの魔法使いは、右腕を地面につき、己の身体能力に任せ、腕立て伏せの要領で体をはね起こす。

 その行為によって、シンの追撃は空を切った。


「チッ!」


 空を切った己の拳に、シンは舌打ちをする。できうることなら、この一撃で仕留めてしまいたかったのだ。


 対する流れの魔法使いは、両腕の炎を激しく燃え上がらせ、牙を見せてシンを警戒する。ぎらつく赤い瞳は、睨まれたものを戦意喪失させるには十分な迫力があるが、バーサクによって恐怖感が薄れているシンにはさほど効果がないらしい。


 ひりつく敵意に、シンは薄く笑みを浮かべ、そして両の頬をはたく。


__落ち着け、狂気バーサクに飲まれるな。こいつを殺したら、元も子もない。


 息を鋭く吐きだし、シンは口元をただす。


「殺しはしない。が、ちょっとは痛い目に遭ってもらう」

「……ガァァァァァアア!」


 狂気混じりの赤と冷徹を含んだ赤が交差する。

 双方、言葉は通じていない。が、殺意は、敵意は、通じ合っていた。


 流れの魔法使いは獣のような咆哮を上げると、両腕に宿していた炎をさらに激しく燃え上がらせる。


 両腕から延びた赤の炎は、やがて全身を包み込む。


 シンは一瞬、自爆する気かと焦りを覚えたが、それはやがて敵に対する焦燥感へと変貌した。


 流れの魔法使いに絡みつく魔力は、形質を炎へと変貌させて全身をめぐる。常人ならばそれだけで全身の血液が沸騰し、即死してしまうだろう。


 だが、彼は違った。

 全身をめぐりめぐる炎が、魔力が、そのままその体を強化していく。あふれ出る魔力が周囲を圧倒し、温度を一気に上げていく。


 燃えるような赤の髪が、熱風によってたなびくその姿。複雑に絡み合う魔力が流れの魔法使いを包みこむ。火の粉が舞い上がり、彼をより一層輝かせる。


 どこか神々しさすら感じる、その姿。

 シンは、全身の筋肉が緊張していくのを感じた。


「お前……まさか神の落とし子か……⁈」


 シンの言葉に、流れの魔法使いは眉をひそめる。双方言葉が通じない弊害だろう。驚きが隠せないという声で、シンは叫ぶ。


「冗談じゃねえ、陰謀だとかそういうレベルじゃあねえだろ……!」


 バーサクを使っていてなお感じる緊張感。突き刺さるような殺気に混じる余裕。

 おおよそ人が対決すべきでない存在を目の前にし、シンは、口元を歪めた。


 次の瞬間、流れの魔法使いが動き出した。


 全身を覆う炎の鎧をそのままに、流れの魔法使いはシンに突撃する。

 数メートル圏内に入るだけで感じる圧倒的な熱量に、シンは慌てて流れの魔法使いから距離をとる。


 ひきつるような痛みに、慌てて両手を見てみれば、包帯を巻いた場所以外が赤黒く焼けただれていた。


「くそ、近づけやしねえ……!」


 歯噛みをしながらもシンは、足癖悪く地面の小石を流れの魔法使いへと蹴り上げ、追撃を牽制する。

 あまりの傷の深さに、デリットさんが叫ぶ。


「回復します! 動かないでください!」

「無理言うな! 動かなきゃ死ぬだけだ!」

「じゃあ、回復が終わるまで死なないでください! 【ヒール】!」


 回復魔法を使うデリット。

 そうすれば、焼けただれていた両腕は即座に回復した。


「助かった!







 !」

「……えっ」


 きょとんとした反応を返すデリット。

 対するシンは、回復したての両腕の調子を確かめるかのようにコキコキと指を鳴らす。


 そして、口元にニッと笑みを浮かべて、デリットに言う。


「ぶつかったら連続で回復魔法を使ってくれ。治すのは、腕と足だけでいい」

「えっ、いや、シンさん、待ってください! 何をするつも……」


 困惑したデリットの言葉を途中で切り、シンは流れの魔法使いへと突撃する。その時点でようやく、デリットはシンの作戦……というにはあまりにも野蛮すぎるのその行為の意味を理解した。


 近づくだけで大火傷を負うほどの炎を全身に纏った、流れの魔法使い。

 それに対してシンは、接近しながら強化魔法を重ね掛けした。


「【身体強化】、【筋力上昇】、【防御力上昇】、【瞬発力上昇】」

「……ガァ?」


 不審そうな目でシンを見る流れの魔法使い。強化魔法の防御力上昇の効果で、シンはほんの少しだけ炎のダメージを軽減した。が、それだけで炎から身を守りきることはできない。


 しかし、シンは止まらない。

 射出された弾丸のような挙動で、シンは流れの魔法使いに殴り掛かった。


 一切の防御を捨てたインファイトに、流れの魔法使いはかろうじてその拳を回避し、お返しとばかりに炎を巻き上げる。


 だが、シンは


「【魔力撃】!」

「ガァァア⁈⁈」


 シンの魔力を乗せた渾身の一撃が、流れの魔法使いの腹部に突き刺さる。


 その場で拳を構える焦げゆく体と、腹部を殴り飛ばされ地面を転がる炎の体。

 ダメージは、双方大きい。だが、依然として不利であるのは、火傷によって全身に火傷を負ったシンである。


 流れの魔法使いは、小さく咳き込みながらも立ち上がる。


「来い! 半殺しにしてやるよ!」

「ガァァアアアアアアアア!!!」


 シンの挑発と、流れの魔法使いの咆哮が交差する。

 流れの魔法使いは、勝利を確信し、凶悪な笑みを浮かべた。そして、二人は同時に足を踏み出す__その直前。


「【ヒール】、【ヒール】!」


 デリットの魔法の暖かな光が、シンを包み込む。

 優しい光は、黒く焦げた両腕や体を癒していく。そして、その光はそのまま流れの魔法使いには絶望と化した。


「死ね!」


 完全回復した体で、シンは魔力で輝く拳をそのまま振りぬいた。

 流れの魔法使いの腹部をとらえたその拳。彼は、それをかわすことも、守ることもできなかった。


「ガアァアアアア?!」


 すさまじい衝撃に吹っ飛ぶ流れの魔法使い。すでに焼けて脆くなっていた焼きレンガの壁にぶつかった流れの魔法使いは、壁にむち打ちとなるような形で頭を強打し、そしてそのまま気絶した。


__たり、ない。


 瞳を赤く染めたシンは、あふれる感情きょうきのまま、口角を吊り上げる。バーサクきょうきが収まらない。とめどめない暴力衝動に飲まれ、シンはゆっくりと後ろを見る。


 そこにいるのは、議論を交わしているシャジャと薬師、そして、シンの後方支援をしていたデリット。


 脅威が、まだいる。敵が、まだいる。まだ、

 炎で焼け焦げ、ボロボロになった拳の包帯。飲み込まれた狂気に赤く崩れる視界。


「は、はははは」


 笑いがこぼれる。

 まだ、戦える。まだ、やれる。まだ、まだ、まだ!


 だがしかし。

 シンは、本能のまま動き出すことはなかった。


 シンの視界の端に、魔力不足でふらつくデリットが映る。

 その瞬間、シンの狂気が溶け落ちた。


 気が付けば、シンはふらつくデリットを両手で支えていた。


「だい、じょうぶか?」


 回らない呂律を必死に回し、シンはデリットに声をかける。

 デリットさんは驚いたような表情をして、そして頷く。


「ええ。大丈夫です。ちょっと魔力不足になっただけなので。ただ__」


 デリットさんはそこで言葉を切り、キッと表情を静かな怒りに変えた。


「なぜあんな捨て身な攻撃をしたのか、何で私に事情を隠したのか。それだけは教えてもらいますからね……!」


 薄れつつある赤の瞳と、すっかり外れてしまったフード。そして、ボロボロになった装備。


 ひきつった表情を浮かべたシンは、黙ってデリットの前で正座をした。


 そうして火中の中での説教が始まった。

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