第136話 side茜 やがて己を狂わせた。

 赤と黒が交差する。


 二人は、踊るように戦いだした。


 甲高い金属音が夜空に響き、月に吸い込まれる。

 一つになった影は再び二つに分かれ、そして再度一つに重なる。そのたびに、金属をかち合わせる澄んだ音が高く高く響く。


 致命を狙う刃と、叩き潰す刃。交わる目的の異なる刃は、それぞれの意図を達成させようと最適解を導き出す。そして、その最適解に対して相手は反応をして、上書をしようとさらに問と答えを返す。


 舞い散る火花は二人を彩り、地面に広がる血の海はカーペットに変わる。打ちかう刀と鎌の音は、さながら彼等のダンスの曲であろうか。

 今度の打ち合いも、隙を先についたのは茜であった。


「……ふっ!」


 息を鋭く吐きながらの一閃が、ツクヨミの脇腹をかすめる。

 驚くツクヨミに対し、茜は畳みかけようと最小限の動きで連撃を放つ。


 肩、大きな鎌の刃によって阻まれる。足、蔦の装飾が施された柄に払いのけられる。首、ステップに寄って回避される。胴体、石突で牽制され、狙うことがかなわない。


 命削る攻防を行う二人には、薄く笑みが浮かび上がっていた。ツクヨミには期待の、茜にはひきつった。


 流れる汗をそのままに、茜は少しだけ距離をとって赤い刀を中断に構える。そして、息を細く長く吐き、タイミングを計る。

 その引き下がりを逃げと勘違いしたツクヨミは、一歩足を踏み出す。



 その瞬間。

 その瞬間を、茜は見逃しはしなかった。


 最小限よりも少しだけ少ない魔力をこめ、威力を下方修正した魔法を短縮詠唱する。


「地よ、我が壁となり敵を阻め【アースシールド】!」

「?!」


 唐突な壁をつくるための魔法に、ツクヨミは一瞬だけ視線を広げた。それが、致命傷となった。


 土の壁……というにはあまりに小さな土の山が出来上がったのは、ツクヨミの足元だったのだ。

 踏み込みの姿勢で想定外の山を踏んでしまったツクヨミは、大きくバランスを崩す。そのすきを、見逃しはしない。



「あああああああああああ!!」


 獣の雄たけびに近い咆哮を上げながら、茜は、ノーガードとなった首に致命の一撃を与えんと刀を振り下ろす。

 バランスを崩したツクヨミは、それを防ぐことは叶わない。よけることも、叶わない。


 輝く月光の元。血の匂いが充満する路地裏。

 長く続いた赤と黒の演武は、ついに終末を迎える。



 煌めく赤の一閃がツクヨミの首をとらえ……









 最初に死のうと思ったのは、いつだっただろうか。妻が死に、妻との間に生まれた我が子が老衰したころだろうか。


 初めは、人の役に立ってから死のうと思った。

 だからこそ、渋る王家の判断を無視し、人里を襲うドラゴンの単騎討伐を強行した。ドラゴンと相打ちにでもなって死ぬつもりだったのだ。


 だが、己は、俺が思っていたよりも強く、そして、人の理を外れていた。


 火を噴くレッドドラゴンよりも恐ろしいとされる、毒のブレスをはき、周囲を溶かすポイズンドラゴンを、『祝福の鎌』は一撃で屠ってしまったのだ。

 死ぬことはおろか、傷つくことすら、毒によって己を溶かすことすらできなかった。ドラゴンは、ただただ一撃でその首を落としてしまったのだから。


 王家は、俺の蛮行に立会人をつけるという条件のもと、許可を出した。そして、失意の俺は立会人に何も口止めをすることができなかった。


 それから、この国、ひいては近隣諸国の最強戦力となり果ててしまった俺は、王家によって軟禁されることとなった。

 反抗する気も、抵抗する気も起きなかった。

 近隣で最強とされたのは、多くの貴金属類が採掘できるバトリア鋼山脈の竜生地区に存在するポイズンドラゴンだとされている。近隣の村に現れたのが、それだったのだ。


 一応『霧の樹海ミストフォレスト』の奥地、世界樹のふもとには、エンシェントドラゴンと呼ばれる世界最強の竜種がいると聞くが、あくまで伝説であり、さらに言えば『霧の樹海』奥地は聖域として武人の侵入が禁止されている。破ることは他愛もないが、その行為は神の意志に逆らうがごとき罪でしかない。俺には、とてもできなかった。


 俺を、死に至らしめるものは、この世に存在しえない。

 その事実のみが、俺に重く、重くのしかかった。


 生き物が振るう刃でないギロチンでは、俺の首を落とせない。

 毒は効かず、病にもならない。

 食事をとらずとも、自然回復する魔力が己の基礎代謝を満たす。

 呼吸ができずとも魔力が己の呪われた息を続けさせる。

 己が鎌で首を落とそうと切り付けても、他者の刃でないそれは俺を傷つけるに至らない。


 死ねない。

 死なない。

 殺されない。

 失えない。

 自死すら許されない。


 重い、重い責任ばかりが己にのしかかり、他者の死が己が心を苛み、期待の言葉が己を憎しみ、感謝の声が己が心を傷つけた。


 人と会いたくない。

 もう、悲しい思いをしたくない。

 妻に、会いたい。親友に、会いたい。彼らとともに朽ち果てたかった。


 __助けてくれ。


 心の中で、いくら叫んでも、『祝福の戦士』である俺を支えられるような人物は存在しえなかった。民衆からの畏怖と尊敬が己を狂わせ、王侯貴族からの妬みや恐怖が己の人間性を削っていった。


 __もう、生きるのはいい。


 寿命の存在しないその体。食事や空気すら必要とせず、毒も病も効かぬ。己を死に至らしめる存在はない。

 正に、人外。人の理を外れる者。


 __妻のもとに、親友のもとに、逝きたいのだ。


 だが、それは許されない。

 己が『祝福』が『望み』を遮る。


 『祝福の鎌』を火山の火口に放り込んだことがあった。遠く遠くの海に沈めたこともあった。地に埋めたこともあった。だが、『祝福』は己に取り付き、離れることはなかった。


 『祝福』は転じて『呪い』となった。



 四世紀半生きた俺は、ついに心を壊した。

 己が死を、求め世界を放浪した。王家による軟禁など、己が枷になることはなかったのだ。


 世界中を巡った。

 時には罪人として罪せられることもあった。

 時には英雄としてあがめられることもあった。

 時には友となる人物をつくることもあった。

 時には人に恐れられた。

 時には人に愛された。


 だが、そこに、己の死はなかった。


 欲に汚れた己を映したのか、金色であった『祝福の鎌』は、黒へと変わっていった。それすらも、意味はなかった。


 いつの時にか、俺は故郷……『戦士の国』へと舞い戻り、死した妻の墓前で片膝をついていた。

 数代前までは王との盟約でこの墓の手入れがなされていたのだが、長い年月の間に廃れ、やがて忘れ去られていったその墓地は、すでに墓とも言えない石の群れと化していた。


 それを見て、俺は涙を流した。

 己が欲望のために、妻の住居を見捨てたのだと、心を苛んだ。



 帰る場所は、もう失われた。

 雨に流され、削られ、妻の墓標に刻まれていた己が家名も失われた。

 それでも、死は与えられなかった。



 だから、俺は己を封印することにした。

 妻の墓のすぐそばに、魔法で大穴を開ける。旅をしている最中で手に入れたローブに魔力封印の陣を縫い付け、それを身にまとう。


 穴の中に潜り込み、そして魔法を使ってその穴をふさぐ。


 土が、肺に入り込み、息ができなくなる。体が動かない。

 だが、もがく気はなった。


 疑似的な終わりを、封印をなした俺は、そのまま二世紀の間、己が呪われた体を呪われた黒き大鎌とともに地に埋め、永い眠りをとった。妻の、隣で。

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