第109話 戦いの前夜
「シ……ジャック、準備は大丈夫?」
「ああ、問題ない。っていうか、お前こそ村長からの手紙を忘れていないだろうな?」
「持ってるから大丈夫!」
「……悪いことを言わないから、手に持たないでバックの中に入れておけ。風にさらわれるぞ、手紙が。」
せやな。
ジャック、もといシンに注意された私は、素直に肩にかけていたポーチの中にロゼの村の村長から受け取った紹介状をしまい込む。一つしかないこれを落とすわけにはいかない。
私が今いるのは、ロゼの村で志願してくれた若い男性が御者をしてくれている荷馬車の荷台だ。荷台には、私とシンの二人以外にも、隣町に知り合いのあるおばさんや、私たちの考えに共感してくれた若い女性などが清潔な布や桶、その他医療に必要な道具を持って乗り込んでいる。頼もしいね。
そんな荷台で私が何をしているかと言えば、当然、『薬品生成』だ。正直、薬はいくらあっても足りないのが現状だ。薬師がいればその人に手伝ってもらうつもりだが、なまじ珍しいジョブだったせいで、ロゼの村には薬師が一人もいなかった。錬金術師ならいたのに……。
「馬車酔いと魔力不足で吐きそうなんだけど。」
「吐くならよそで吐いてくれ。くれぐれも荷馬車の中で戻すなよ。」
「薄情者!」
塩対応のシンとそんなやり取りをしながら、私たちは荷馬車に揺られて隣の町、アレドニア領の領都アレドニアに向かう。……ややこしいな、もう。
このまま何事もなければ、日暮れ前にアレドニアにつくらしい。
そう、何事もなければ。
その日の日暮れ。私たちはアレドニアの街の前についた。
「いや、本当に何事もなくてびっくりだわ。」
「そりゃそうだ。盗賊だって病気になりたくないだろ。」
冷静なシンの突っ込み。そっか。そりゃそうだね。
アレドニアの街は、頑丈そうな石レンガの壁に囲まれていた。高さは優に六メートルを超している。よじ登って不法侵入するのは大変そうだ。する予定はないけれどもね。
門番はきちんと仕事をしていたが、何度も入るのか?とたずねて来たのが印象的だった。まあ、入らなかったら何も始まらないし。
口元にマスク代わりの白い布を巻いた私たちは、荷台の検査を終え、そのままアレドニアの街の中に踏み入れた。そして、その酸鼻を極める状況に息をのんだ。
広く赤レンガで敷かれた大通り。そこには人っ子一人おらず、時折道の端で半死半生の人間らしきものがうめき声をあげる。
締め切られた建物には鍵がかけられ、店など一つも開いていない。
だが、錬金術師の店らしき場所にはたくさんの人が群がり、薬を求めていた。
母が死にそうだと訴える男の声。
子が死んだと嘆く女の慟哭。
道端で死にかけている老人。
そこに、秩序はなかった。そこに、救いはなかった。
「う、おぇっ。」
志願した女性の一人が、その光景を見て口元を抑えた。
彼女の顔からは血の気が引き、目には涙を浮かべていた。
私は奥歯を噛みしめる。
私がもっと早く中級万能薬の効能に気が付いていれば。私がちゃんとリンフォール王子の意図に気が付いていれば。この惨状は、起こらなかった。
だから。だからこそ。
「……早く、領主の所に向かおう。一日でも早く、この惨状を何とかしないといけない。」
つぶやくように、誓うように、私は言葉を吐く。弱音を吐いている暇はない。泣いている時間はない。
悲しみに浸るよりも先に、この状況を何とかしなければならない。
拳を握り締め、私たちは先を急いだ。
一部を除いて人の少ない通りを駆け抜け、私たちを乗せた荷馬車は領主の館の前にたどり着いた。その時にはすでに日が落ち、明かりはほとんど消え失せていた。
大きくきれいな門の前にたち、門番らしき人に村長からもらった手紙を託し、アレドニアの安宿の大部屋を借りる。
寝る前に大掃除をしてから、消毒液……もとい、もらったお酒を薬品生成でひたすら濃くしたものを巻き、消毒を済ませる。
水に病原菌があることも警戒し、魔法で作ってもらった水と薬品生成で作った水で手洗いうがいを済ませてから、私たちは就寝した。
戦いは、明日だ。
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