桃源郷
都紅葉
あなたには忘れられないものがありますか?
頭に仰々しい飾りをつけた男が、大げさな身振りで説得する。もう一人のたてがみをつけている男は、横でうなずき、このはなしは正しいことを示している。男たちの目の前には、ジャガーとワシ、サル、キツネの四匹の動物たちがいる。動物たちは、人間の話に納得せず、首をかしげている。いつの時代も、人間と動物は分かり合えない。サルに至ってはあくびをし出す始末だ。
「おい、お前。俺たちが話しているときにあくびはないんじゃないのか。年に二回しか行われることのない大事な会議なんだぞ。緊張感がないにも程があるぞ」
サルは眠気をこらえてか、脳に良いとされている、指回し体操を行っている。キツネはそれをにやにやしながら見つめている。
「いくら経っても話がまとまらない。人間よ、お主らは中央アメリカのジャングルの行く末ではなく、じぶんのことが可愛くて仕方ないのだろう。そうだろう。そうだと決まっている」
「ワシの言う通りだ。人間ほど私利私欲にまみれた生き物はいない。同族同士で殺しあうんだからな。熱帯雨林の減少も、欧米とかいう国どものせいにしているが、一体どうなんだか」
「ジャガーさん、いいこと言いますね。わたしら四匹は、信じようとすらしていませんよ。熱帯雨林を刈ったせいで、土砂崩れや食糧不足、砂漠化などが引き起こされている。森がおかしい」
「キツネもたまにはいいこと言うんだな。俺の知っている動物たちのなかでは、絶滅してしまった奴らもいるんだ。それはあんまりだ。人間がいなくなれば、こんなことにはならなかったんだ。なにが産業革命だ」
サルは必死で発言するが、他の二人と三匹は、サルは発言することで、存在感を示そうとしていることを知っている。
双方ともにらみ合い、お互いがお互いの悪口を言い合って、無駄に時間だけが過ぎていく。落ち着け、喧嘩しても仕方がないだろう、人間のせいだ、サル起きろといった具合にである。
会合もそろそろ解散になると思われた頃合に、ワシが悪そうな目をして話し出す。皆の視線がワシに集まった。
「皆に一つ提案がある。俺は昔、子供のときにこんな話を聞いたことがある。ジャングルには、桃源郷が存在するとな。何もしなくても、食料が手に入り、腹いっぱい食える。襲われることもなく、寝て暮らしていける。桃源郷と聞くと、幸せすぎて裏がありそうだが、今はそうも言ってはいられない」
皆の顔が輝いた。それは本当に食糧難で困っていたからだろう。ワシは、会合に参加したものたちの顔を見回し、空の王者の風格を感じさせ、間を取り言った。
「それは、ナマケモノよ。その桃源郷には、ナマケモノがたくさんいて、食べることに事欠かないくらいらしい。あの動物が、三千匹以上もいるのだから困りはしないだろう」
ナマケモノ。サルが呪文のようにつぶやき、口元に笑みを浮かべる。
「夢のような話だが、聞いたことがある。以前にも未曾有の食糧難が起こった時に、皆がそこに解決策を見出したと。あのような草食動物は、武器を持たぬ赤子と同じ。なぜなら、襲ってこないんだからな」
「人間よ、馬鹿みたいな飾りをつけているが、今の発言は正解だな。奴らは襲い掛かったら、反抗せずに逆に力を抜くらしいな」
「ジャガーさん、あいつらは一日に十五時間から二十時間寝ているそうですわ。力をいつ入れればいいのかも分からない野郎たちですわ」
「キツネよ、それは最弱な生き物だな。まあ、あのにんまりとした顔は、ぼんくらの顔としか言いようがない」
サルがそう言ってナマケモノを小馬鹿にして、手をたたき出す。夜遅くにその馬鹿騒ぎは、神経を逆撫でするものがある。サル以外のものたちは、皆一様に不快そうな顔をしている。そんな状況を見かねて、ワシが桃源郷について話し出す。
「桃源郷に行くにはカギが必要で、カギを探さなくてはならないという。鍵の隠し場所は、カマンゾール広場の小さな老木にいるナマケモノが知っているという噂だ」
それから、夜が明けるまで話し合いが続いて、人間側と動物側の双方の意見が一致した。朝日が昇るころには、石板には契約ごとの決まりやその内容が書かれていて、それぞれの者の血で塗られた六つのサインがされたのだった。決行は今日の昼と決まり、それぞれが解散して家路に着いた。
昼の太陽は爛々と輝き、熱帯雨林の間から陽光が差し込み、睡眠不足の目に、鈍い痛みを二人に感じさせる。動物たちの言っていたように、木々が伐採されていて、森のところどころに乾いた土が広がっている。土の色は茶色ではなく、異様に黄色に近い。ここでは落ち葉の湿り気などがすぐに乾いてしまうだろうし、森のなかの温度も高くなってしまうだろう。歳のせいか暑さのせいか、最近は汗の量が増えてきた。
気のせいだと思いたいが、最近は森にいるはずの生き物で出逢わなくなってきたものも増えてきたような気がする。オジロジカやパラキートという小型の鳥、グリーンイグアナという種類のイグアナ等である。そんな生き物たちは絶滅に追い込まれているジャングルの生物たちの一部なのだろう。
イグアナ料理は、昔に母に作ってもらったことがあり、グリーンイグアナでもいてくれれば食糧不足は深刻化しなかったと思う。
ワシにもらった、カマンゾール広場への簡単な地図を見ながら、ナマケモノに話す内容を考える。作戦としては、まずは話し合うことで、桃源郷のカギの隠し場所を聞き出そうという作戦であった。
カマンゾール広場の、木の表面が苔で覆われている、小さな老木には一匹のナマケモノが眠っていた。ナマケモノの体毛は、その老木と同様に同じ苔で覆われていて、よく見ないと、木のコブだと思われていたものがナマケモノであるとは気が付かない。こうやって気づかれないようにすることで、ナマケモノという生き物は生きてこられたのだろう。現に生きてきて、見たことは一度か二度しか記憶にない。ナマケモノの戦いは、相手から姿を察知されない、かくれんぼで大半を決するというのだから。
「ナマケモノや、ナマケモノや。今何を考えているんだ」
案の定、ナマケモノは何の反応も示さない。手をたたいて鳴らしながら呼びかけると、十回目くらいでナマケモノがゆっくりと振り向いた。眠っていたのだろう。顔を見ただけでは、まだ眠っているのか起きているのかは分からなかった。
「ナマケモノや、ナマケモノや。今何を考えているんだ」
寝起きで反応が鈍いのか、もともと反応が鈍いのか、五秒程度後にゆったりとしたペースで答えが返ってきた。
「何も考えとらんよ。ただよく寝すぎて、目が眩しいんだ」
「それだけ眠っていたら、夢か現実か分からないだろうな」
男にとっては、長い間が空く。ナマケモノに動きは全くなく、起きているのか、また眠っているのか分からない。
「それくらいは分かってはいるが、それにしてもあんたらはよく働くなあ」
先ほどと同様に、ゆっくりとしたペースにイライラさせられた。それにしても、よくこのジャングルで生きてこられたものよ。生きていけるという理由が一つもない。皆に居場所を知られ、かくれんぼができなくなったならば、普通は終わっているだろうに。まさか。桃源郷のカギのありかを知っているから、殺すに殺せないのだろうか。
男はそんなことを推測しつつ、気になっていたことを聞いてみた。
「あんた何歳なんだ。体毛の緑の苔に風格がありすぎるぜ」
「二十八歳だ。二十八にもなって、立派な苔を持ってないようでは駄目だよ」
「二十八歳か、奇遇だな。俺と同じ年じゃないか。思い出話でもしようか」
こいつはのろくてとんまだから、褒める気がなく褒めたことと、今の嘘には全く気が付かないだろう。
「いいよ」
「まずは出身地からだ。ナマケモノは、ここで生まれたのか、それとも違うところか」
「違うところだよ」
「それはもしかするとだが、桃源郷か」
「そうだと思われるな。ずっと寝ていると、あんたの言うとおり、夢か現実かが分からなくなる」
人間はナマケモノに交渉してみる。桃源郷に行きたいことを伝え、何か情報を教えてくれたら、我が村の美女と一生遊んで暮らせるだけの食料、お金を差し出すことを伝える。
しかし、ナマケモノは反応しない。表情も無表情のままで、相変わらず微笑んでいるように見えるだけだ。五秒後に、いらないというそっけない返答があっただけだ。表情だけではなく体も一切の反応を見せなかったので、本当にいらないのだろう。
男はその後も、村の美味しいものやナマケモノが普段食べられない魚の刺身のことを話すが、相変わらずだった。また、途中で眠ってしまったため、交渉を中止して泣く泣く帰ることにした。
人間に引き続き、動物たちも順番にナマケモノを訪ねた。
サルも男と同じように、王にしてやるなどと欲をくすぐるような話をしたが、無駄だった。
ジャガーはイライラして、桃源郷を教えないと殺すぞと脅すと、では殺してくださいと言われてしまう始末だった。彼にとっては、ジャングルで経験した初めての体験だったに違いない。
ナマケモノ相手に、押しても引いても意味がないことが分かった。二人の人間と四匹の動物は、悲嘆に暮れるしかなかった。
残るは、キツネとワシだった。
次の日、皆で集まった後、キツネは意気揚々と出かけて行き、幸せそうに木にぶら下がるナマケモノに話しかける。
「ナマケモノさん、ナマケモノさん」
「なあに、キツネさん」
相変わらず、ゆったりとしたテンポと遅い反応速度で返事が返ってきた。
「ナマケモノさんは、何かに化けたい、いや、何かに変わりたいって強く望んだことない。もっと自分じゃない何か、それは自分なんだけど、もっとできる自分でもいい。そんな熱い気持ちになったことってない。僕たち、キツネは化けることも、人を化かすこともできるんだ。もしナマケモノさんが変わりたければ力になるよ」
「ありがとう、キツネさん。僕はすごい変わりたい。でも、夢のなかで、冒険できる。それとね、これはキツネさんにだけ教えてあげる。いつか僕が行きたい桃源郷には行けないけど、夢で行けるからいいんだ」
その後も説得を重ねたが、ナマケモノの夢の前には、すべてが無駄だった。
キツネは帰って、皆にやり取りの内容を聞かせた。ナマケモノには、何を言っても意味をなさないことと、桃源郷は存在すること、やはりナマケモノは重要な何かを知っていること等である。
二人の人間と三匹が悲嘆に暮れるなか、ワシだけは冷静に考えてから、不敵に笑った。
「我に任せろ」
次の日、ワシは意気揚々と空へと飛び立ち、カマンゾール広場へ急降下した。ワシは自らの両翼で空気を切り裂いて、大声で鳴いて強さと貫禄を周囲に示した。
ナマケモノを睨みつけるかのように見つめ、厳かに話し出した。
「ナマケモノよ、一回しか言わぬ、よく聞け。単刀直入に聞く。たった今、我は天空を一番近い場所を飛んでいた。そうしていたら、天から歌声が聞こえた。たとえ天空を飛んでいてもこういったことは珍しい。よく聞くと、ナマケモノよ、主が桃源郷に行きたいと言っているという内容だった。場所さえ教えてくれたら、我が黄金の両翼で向かい来る風を切り、連れて行ってやろう。安心せよ。我は天空の覇者、大鷲だ。主の夢を我に預けてみないか」
「気にしてくれて本当にありがとう。でも、桃源郷は絶対に自分で行かなきゃならないものなんだ。過去と現在と未来と夢が一致した時に、姿を現す偉大な場所だから」
ワシは、こんな時でも不敵に笑う。他のものとは格が違い、王者の貫録があった。
「過去と現在と未来と夢が一致するところか、浪漫があるなあ。いつでも気が向いたら言え。我が力になってやるから。じゃあな」
ワシは両翼を地面にたたきつけるかのように、空中へ飛び立ち、天空に向け空を切り裂いた。結局のところ、説得には失敗したが、ワシは不思議とすがすがしい気持ちだった。桃源郷は行けないからこそ桃源郷なのだと思った。
その年は、食糧難で多くの生き物がジャングルの土へと帰っていった。結局、彼らは桃源郷に辿り着けなかったのだ。
ナマケモノは三十一年という長い歳月を生き、最後は、ジャングルの土となった。死ぬ前に彼が残した言葉がある。
ようやく桃源郷に行けそうだ。昔のジャングルには仲間もたくさんいて、桃源郷みたいなところだった。しかし、未曾有の食糧難を機に仲間は食べられて失ってしまった。桃源郷の鍵は自分自身がもっていて、自分しか持ち得ない。ようやく逝ける。仲間のいる場所へ。過去と現在と未来と夢が交わる場所へ。
桃源郷 都紅葉 @1529z
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