第九話 過去の女
「…… ……ッ!!」
「…… …… ……」
まどろみの中、言い争っている声が聞こえた。
男の声、女の声……複数人の声だ。
うるさいな。
ぼんやりとしながらそう思った。
暫くBGMとしては最悪なトーンの声を聞いていると、段々意識が鮮明になって来た。
言い争っているのが誰か、どういう状況なのかも分かってきた。
声の主はヘルミとさっきの綺麗な女性だ。
そして村長夫妻もいるようだ。
目を開けると見えたのはヘルミの家の天井。
どうやらヘルミのベッドに寝かされているようだ。
倒れた後、誰かが運んでくれたのだろう。
しかし……さっき見たものは夢だったのだろうか。
不思議な夢だった。
ただの夢とは思えない。
「ですから、私はユリウス様とこの村を出ます!」
強い意志を感じるこの声はあの綺麗な女性だろう。
何を言っているんだ?
というか、さっきから俺の名前が飛び交っている。
夢のことよりまずはこちらを何とかした方が良さそうだ。
すぐに起き上がった方がいいかと思ったが、もう少し状況を把握するために寝たふりをして耳を傾けてみることにした。
「こんな状態のユリウスに旅なんてさせるわけにはいかないわよぉ!」
「大丈夫です。私がいますから」
ヘルミと先程の女性の声だ。
この二人の言い合いがメインか。
「何を言ってんだ、マリア! お前はオレの嫁になるんだろうがぁ!」
「それはユリウス様がお亡くなりになったと思っていたからです。こうして私の元に帰ってきてくださったのですから、私はユリウス様とお供します」
さっきの女性の名前はマリアというらしい。
マリアの名を呼んだのは若い男性だ。
村長夫妻がいることとマリアの村人とは異なる容姿、今の台詞から察するにヘルミを捨てた村長の馬鹿息子だと思う。
どうやら馬鹿息子の婚約者であるマリアが、『俺』の恋人だと言っているようで……?
どういうことだ?
元は俺とマリアは恋人同士だった。
だが俺は死んだと思っていたマリアは馬鹿息子と婚約。
元々馬鹿息子と婚約していたヘルミは捨てられたが、生きていた俺とヘルミが恋人同士になって……。
つまり村長息子とマリア、俺とヘルミの四角関係?
……何やらとても面倒なことになっているじゃないか。
場の収拾がつくまで眠ったままでいようかな。
「まあまあ。若いもんが揃ってそう興奮しなさんなぁ。もう、お前ら全員で暮らしゃあいいんじゃないかぁ?」
「ややこしくなるから、あんたは黙ってなぁ! マリアさん、とりあえずユリウスさんと話しなきゃねぇ」
こんな時でも村長は適当だな、逆に和むが。
そしてライラさんがいるというこの安心感。
ライラさんが村長の方がいいと思う。
「……分かりました。でもユリウス様がここで暮らすのは許せません。ユリウス様は私の恋人ですわ」
「マリア……」
「……あんたねぇ。リクハルトだけじゃなくてユリウスまで私から奪う気ぃ!? いい加減にしてぇっ!!」
「ユリウス様は元々私の恋人です。だからリクハルトはお返ししますわ」
「な……! な……なんですってぇ!!」
ドタバタと激しい物音が聞こえる。
ヘルミがマリアに掴みかかっているのかもしれない。
ライラさんがヘルミを宥めようとしている声が聞こえる。
……なんという修羅場。
やっぱり寝た振りを続けていていいでしょうか。
ちらりと半目を開けて様子を伺った。
「あっ」
すると運が悪いことに、村長と目が合ってしまった。
駄目だ、村長、待て、察して……。
「おお! 色男が目ぇ覚ましたぞ!」
村長ぉ!
余計なことを!
目で見逃してくれと訴えたのだが、俺の思いは全く届かなかった。
「ユリウス!」
「ユリウス様!」
案の定二人の女性が競い合うように駆け寄ってきた。
「大丈夫なの? 倒れた時にどこかぶつけたりしてない!?」
「ご気分はどうですか? 背中をさすって差し上げますわ」
今度は俺の心配合戦が始まった。
心配してくれるのはありがたいが、正直に言うと……かなり煩い。
ああ……頭に響く。
「あんた達、ちょっと黙ってな! ユリウスさんが辛そうにしているのが分からないのかい!」
ライラさんに叱られ、二人ははっとしながら俺の顔を見た。
ライラさん、なんという女神!
「ごめん、頭が痛いんだ」
苦笑いしながら頭痛を訴えると、二人はしゅんと肩を落としながら後ろに下がった。
叱られた子供のようでちょっと可愛い。
クスリと笑うと今度は二人仲良く顔を赤くして俯いた。
そうそう、そのまま静かにしていてくれ。
※※※
「ありがとうございます。落ち着きました」
コップ一杯の水を貰い、一息ついた。
ベッドに腰をかけて座っている俺の両隣に女性二人がけん制し合うように座っているが、今は一応大人しくしている。
離れてくれるともっと落ち着くんだけどな……。
頭痛は完全にとれていないが、一番まともに話が出来るライラさんに経緯を聞くことにした。
まずこの場にこの面子が集結した経緯だ。
俺が倒れた後、ヘルミとマリアは言い争いながら看病を始めた。
そこにマリアを探しに来た馬鹿息子ことリクハルトが訪ねてきて合流。
更に俺の話を聞いた時のマリアの反応が気になり、様子を見に来たという村長夫妻が加わり、今に至る……という話だった。
そして、マリアと『俺』の関係について。
マリア曰く、俺とマリアは一緒に旅をしていた仲間であり恋人同士。
一ヶ月程前、魔物相手に不覚をとり離れ離れになった。
自分は倒れていたところをリクハルトに救われたが、俺は死んでしまったと思っていたらしい。
だが、ライラさんから『余所から来た人』の話を聞いて、死んだと思っていた恋人に違いないと思い確かめに来たとのことだった。
「ユリウス様は、私のユリウス様です。間違いありません」
マリアは再び断言した。
「……」
覚えが無いのでなんとも言えない。
マリアからは何かを期待しているような目で見つめられているが、思い出せるわけもなく、どうしようもない。
「……ごめん、分からない」
どんな顔をしたらいいのかも分からない。
申し訳なくてマリアから顔を逸らすと、スッと白くて綺麗な手が伸びて顔を元の位置に戻された。
「いいのです。一緒にいればきっと思い出してくださるはずです。今はユリウス様とこうして再会出来ただけで私は幸せです」
顔に手を添えたまま、愛おしそうに俺を見る目には嘘がないように思えた。
それに彼女は一つ『証拠』を提示したという。
俺の胸、心臓辺りに古傷があることを知っていたらしい。
確かにそういう傷はある。
俺のことを知っている、というのは確かなのだろう。
『関係』については半信半疑だが。
傷なんてものは、ただの知り合いでも知り得ることが出来るわけで……。
ちなみに偶然にもこの体の本名は『ユリウス』だった。
「ユリウスに触らないで」
考え込んでいる俺の頬に触れたままだったマリアの手をヘルミが叩き落した。
「……」
手を叩かれたマリアの目つきも鋭くなり、場が一瞬で凍った。
……退席していいですか?
もう俺にどうしろと?
マリアが恋人だと言われても、俺にとっては「はじめまして」だし中身は『私』だし、どう接していけばいいのか分からない。
でも本当にマリアが本来の『彼』の恋人なら、無碍に扱うことも出来ない。
無理だ、すぐに答えを出せるわけがない。
ただヘルミのところでお世話になるのはやめた方がいいと思う。
本来の『彼』の人生のことを思うと、今の『俺』が好き勝手に関係を築いていくわけにはいかない。
「すいません。混乱しているので、しばらく一人で考える時間をください。それとどこか物置とかでいいんで、寝泊り出来る所はないでしょうか」
村長夫妻に尋ねるとヘルミの顔が強張った。
俺が出て行こうとしているのが分かったのだろう。
ヘルミには本当にお世話になった。
これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
ヘルミが俺のことを気に入ってくれていて、離れることを寂しがってくれるのが分かるから心苦しいが、今はお互いに距離を置いた方がいいと思う。
恋人のふりの件についても後で話をしよう。
「ヘルミ、後で二人で話そう」
「……うん」
ヘルミの目にうっすらと涙が浮かんできた。
今にも零れそうになっている。
指で拭おうかと思ったが、今はそういうことはやめた方がいいかと思い留まった。
「ユリウスさん、生憎泊まれるような所がないんだわ。物置はあるけど流石に……」
「ユリウス様が物置で寝るなんて!! 絶対に許せませんわ!!」
「いや、俺は物置でいいです」
何故かマリアが凄い剣幕で反対している。
皆が少し引く程に。
「だぁかぁらぁ、もう皆揃ってうちに来ればいいじゃねえか。ユリウスさんも、ヘルミちゃんも。部屋が余ってるんだからさぁ。部屋に鍵かけりゃあ一人でゆっくり考えるくらい出来るだろう? そうすりゃいい、な!」
村長が名案だと誇らしげに胸を張っている。
これ以上話をするのが面倒くさいだけだろう。
確かにその案はこの場は収まるかもしれないが……。
でも根本的に解決しようとするには良くない気がする。
俺ももうちょっと距離をおきたいのだが……。
「それなら譲歩致しましょう」
「私もお邪魔したいです」
お断りしようとしたのだが女性陣が乗り気のようだ。
リクハルトは……俺を睨んでいた。
恐らく反対なのだろう。
黙って俺を睨み続けていた。
というか……実は彼はずっと俺を睨んでいる。
俺は目が覚めてから鋭い視線を浴び続けている。
元カノと今カノが、男を取り合っているさまを見なければならないこの状況は気の毒だが、俺にはどうすることも出来ません!
「はあ……。ユリウスさん、それで構わないかい?」
ライラさんは疲れたようで面倒くさそうに呟いた。
「……はい」
本当は物置でいいのだが、あまり我侭を言ってこれ以上ライラさん困らせるわけにはいかない。
これで一旦この場はお開きとなった。
その後、村長宅に俺とヘルミが身支度をして向かうことになった。
マリアが俺と一緒に行くと言い張ったが、家を出るのはヘルミと話し合いをしてからにしたかったので、ライラさんに強制送還してもらった。
※※※
「ええっと……ヘルミ……」
さて、話し合いをしたいのだが……。
村長達が帰った後、ずっと下を向いていて話し掛けても反応がありません。
……困った、非常に困った。
どう対処すればいいのでしょうか。
正解は何なのでしょうか。
少し茶化してみようかと思ったが危険な香りがしてやめた。
沈黙が続いたまま、時が過ぎていくばかりである。
仕方が無いので俺はぽつぽつと自分の考えを話していくことにした。
「どうすればいいか、分からないんだ。マリアさんが恋人って言われてもさ」
返事はないが、聞こえてはいるようでピクリと体が動いた。
俯いたままでこちらを見る気配はないが、そのまま話を続ける。
「覚えていないから、今の俺にとっては初対面っていうか。ただ、以前の自分のことも知りたいから彼女と話をしたいとは思っている。……あと、ヘルミとの恋人のふりのことだけど」
「嫌」
「へ?」
気がつくとヘルミは顔を上げ、こちらを見据えていた。
「やめない。記憶が戻るまでは絶対やめないから!」
そう言い放つと俺に背を向け、黙々と身支度を始めた。
俺は混乱で呆然としたまま機能停止状態になった。
何か言おうと思うのだが言葉が出てこない。
頭が働かない。
必死に再起動を試みているうちにヘルミは身支度を終えたようだ。
俺の準備も一緒に終わらせてくれていた。
「行くよ」
「お、おう」
有無を言わさないような圧力に屈し、母親の後を追う子供のようにヘルミの後を追いかけた。
横には並ばず後ろを歩いたのだが声を掛けることも出来ず、ヘルミが口を開くこともなく……。
結局俺はヘルミに何も言うことが出来ないまま、村長の家に辿り着くことになった。
なんだかなあ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます