ドラゴンサクリファイス

花果唯

プロローグ

「……ん」


 ゆっくりと意識が浮き上がっていく。

 気を失っていたのか眠っていたのかも分からないが、霧が晴れていくように視界がクリアになる。

 頬を撫でる柔らかい風、木々のさざめき、降り注ぐ日差しが私を揺り起こしていく。


「ん? んー?」


 まどろみも解け、疑問が浮かび上がる程度に脳は起動した。


「私何をしていたっけ? …………っ!」


 思考を巡らせると頭痛に襲われた。

 思い出せたのは『酔いつぶれて寝た』ということだけ。

 この痛みは二日酔いかもしれない。


 体を起こす気にはなれない。

 仰向けになり、空を見上げた。

 雲一つない心地よい天気、快晴である。


「……え? 空?」


 私は自室で酔いつぶれたというのに、見上げた先にあったのは天井ではなく空。

 頭の中ではてなマークが無数に湧き上がった。

 ……意味が分からないんですけど。

 考えられるのは泥酔して外に出てしまい、徘徊してしまった……とか。

 それであれば、ここは近所だろう。

 首を傾け辺りを見渡し、見覚えがあるか確認する。


「え……森?」


 私が住んでいたのは都会のマンション群で近場に森はない。

 当然見覚えは無かった……というか、なんだこれ?

 森の『色も』おかしい。

 植物は基本『緑』のはずだ。

 緑豊かな、なんて言葉の使い方をされるくらいなのだから。

 なのに……。


「紫って……」


 周囲にある全ての植物は全て毒々しい紫だった。

 『紫の植物』を自分の知識内で探したが赤シソくらいしか浮かばない。

 もしかして、赤シソが群生しすぎて周辺の樹木まで染まった、とか?


「そんな馬鹿な」


 一人突っ込みは程々にして、気だるい体を起こすことにした。

 いつまでも転がっているわけにはいかない。

 上半身を起こすと、当然だが自分の体が目に入り……そこで異変に気がついた。


 白いシャツに白いズボン、私……こんな服持っていたっけ?

 それに……全体的に長い。

 服のことではない、『体が』だ。

 

 とてもとても嫌な予感がする。

 恐ろしいことが起こっているような……。

 急加速しそうな心音を落ち着かせるため、深く呼吸をしながら自分の体の端々を確認した。

 健康面での異常は無い、怪我も無い。

 頗る順調だ。

 だが、別のところに大量の異常を見つけた。


「これ……誰ですか?」


 私のプロフィールは『日本人・女性・商社勤務・二十五歳(未婚)』なはずなのだが、どう見てもこの身体は『長身の白人男性』だ。

 何とは言わないが『ナニ』がついていますが。

 しかもご立派です。

 ……いや、そんなことはどうでもいいんだ。


 もう少し『自分?』を観察してみる。

 腰まであった長い髪は金髪だった。

 乱れていてぼさぼさだが、洗って整えればかなり綺麗な黄金の髪になりそうだ。

 染めた金髪ではないと思う。

 やっぱり、どう考えても『私』ではない。

 …………誰?


 混乱と動揺で叫びたくなってきたが、冷静になって纏めてみよう。

 目が覚めると知らない場所で、ありえない光景で――。

 今まで生きた自分とは違う姿になっていた。

 結論、これは『夢』だ。

 こんな夢を見るなんて、私は変身願望でもあったのだろうか。

 思い当たる節は……あるな。

 私は確かに変わりたかった。


「なんだかなあ…………あっ!?」


 目覚めてから何気なく声を発してはいたが……今頃気づいた。


「声がいい! イケボ!」


 しかも好きな声優の声に似ている気がする。


「あーたーらしーいーあさがきたー」


 歌ってみると、やはり好みの声でキュンとした。

 沈んでいた気持ちが上がってきた。


 次は顔。

 どうかイケメンであれ!

 顔を映せるようなものを探したが、周りにはなかった。

 ぺたぺた触って確認してみたが全く分からない。

 鼻が高いのは分かるし、目は二重だということも触感で分かったが、全体像が見えてこない。

 パーツが良くてもバランスが悪ければ最悪だ。


 というか、この夢はいつまで続くのだろう。

 夢の中で目が覚めたけれど、そろそろ本当に覚醒してもいいと思うのだが……。


「…………」


 何もせず暫く夢が覚めるのを待ってみたが、一向に覚める気配が無い。

 段々心細くなってきた。


「少し動いてみるか」


 ただ座っているのも落ち着かなくなってきたし、動いて気を紛らわそう。


「うがぁ!?」


 立ち上がり、一歩踏み出した瞬間に尖った石を踏んでしまった。

 足の裏がちょっと痛い……。

 膝がガクッと曲がり、その場に崩れた。

 もう嫌だ。


「おお、神よ……」


 何故、私にこのような試練を与えられたのか。

 私が何をしたというのでしょうか。


 というか……これ、夢じゃないでしょ。

 薄々分かっていたけれど。

 夢でこんな明確に痛みを感じるなんてないと思うし、夢にしては視界も嗅覚も聴覚も鮮明過ぎる。


「もう、なんなんだー!!」


 不安や怒りを込めて叫んだ。

 すると、向かいの茂みがカサカサと音を立てた。

 誰かいた!?

 期待に胸を膨らませたが誰も出て来ない。

 警戒されているのだろうか。

 しばらく待っていると紫の茂みからぴょこんと黒い物体が飛び出てきた。

 サッカーボールくらいの……なんだろう。

 少し毛が生えているような?

 じーっと見ているとそれはぴょんと飛び上がり、八本の足が開いて地に着いた。


「え……蜘蛛!?」


 どう見ても蜘蛛だけれど……でかくない!?

 蜘蛛は苦手で、テニスボールくらいの大きさでも卒倒しそうなのにこの大きさ!

 しかもシャーッと不気味な声をあげ、牙のようなものを剥き出しにしてこちらに向かってくる。

 あんな明らかに凶暴なものに近づかれたら……死ぬ!


「ぎゃああああああっ!!!!」


 どうしよう!?

 近づかずになんとかしたい。

 咄嗟に足元にあった石を拾い、思いきり投げた。

 すると石はビュンと音を立てながら弾丸のように飛んでいき、当たった蜘蛛は体が飛び散った。


「グ、グロテスク……」


 なんとかなったみたいだが、目の前にある光景はモザイクを入れて欲しいくらい気持ち悪い。

 これ以上視界に入れたくない。

 立ち去ろうとしたが、また茂みがカサッと鳴った。

 もしかして?


「……ああ、やっぱり」


 振り返るとヤツがいた。

 蜘蛛だ。

 しかもぴょこぴょこと何匹も出てくる。


「嘘でしょ……」


 現実逃避したくなったが……今したら死ぬ!


「うああああ!! もうおおおお!!!!」


 無我夢中で石を拾って蜘蛛にぶつけ続けた。

 ブンブンと音を立てて飛んで行く石が、被弾するたびにぐちゃぐちゃと音を立てていく。

 気持ちが悪い。

 ああ、今は耳の機能をオフにしたい!


「……終わった?」


 全部倒したのか茂みから蜘蛛が飛び出さなくなったころには、モザイクがあってもアウトな光景になっていた。


「うっ……」


 こんなものを見ていたら吐く!

 込み上げて来た吐き気を飲み込みつつ、素足だということも忘れて全力で離れた。


「この体、足まで速い」


 紫の森を疾走したが、映画のようにビューンと駆け抜けることがきた。

 F1マシンの効果音をつけて欲しいような走りだった。

 よく考えればさっきの蜘蛛退治の時も、普通あんな早さで石を投げることが出来るだろうか?

 しかもそれを何度も続けられる腕力と体力も異常だ。

 弱い体よりはとても助かるけれど……。


 これだけハイスペックだと、最悪この森で生きていくことも出来るのかもしれないが――。


「視界が紫とか、いつ超デカい蜘蛛が出てくるか分からないところなんて嫌だああああ!!!!」


 ストレスが極限になり思わず叫んだが……私の雄たけびは紫の木々の中に吸い込まれて消えてった。


「はあ……」


 人の気配はしないし、助けなんてないだろう。


 神様、助けてよ。

 悔い改めますから。

 もうやる気のないダイエットをやると言ってみたりしません。

 部長からの電話を、転送を間違えたフリをして切ったりしません!


 自らの悪事を懺悔したが、神の救いは無かった。

 なんという無慈悲な……。


「……あのぅ」


 突如、背後から声が聞こえた。

 声……人だ!

「助かった!」と思ったが、小心者の私は不安に襲われた。

 本当に人? 振り返って大丈夫?

 喋る蜘蛛だったりしない!?

 警戒して動けない。


「あの、どうされましたぁ?」


 こ、これは女の子の声だ!

 硬直を解き、光の速さで振り返った先には――。


 ――シュコーシュコー


 素敵なガスマスクをつけた女性がいました。

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