第7話「方舟の中に道標を探して」

 祭終迷宮エクスダンジョンディープアビス、第一階層『白亜ノ方舟迷宮ハクアノハコブネカイロウ』は静けさに満ちている。

 かつてこの場所が、星の海を渡る巨大な戦艦だっったことは、誰も知らない。今はただ、かつて魔王アモンが君臨した城の底に沈んでいる。

 外宇宙そとうちゅうへと希望を見出した者達も、どうなったかは誰もしらない。

 記録も記憶もすでに、それを覚えていることさえ忘れていた。


「改めて来てみると、あれだな……降りてくる時は全速力で強行突破だったけど。だけど、うーむ……ま、目星はついてんだ。行ってみようぜ」


 地図を広げて現在地を確認しながら、ヨシュアは周囲を見渡した。

 迷宮内は、この早朝では人影もまばらだ。この場所に来るまでモンスターとのエンカウントもなかったし、擦れ違った冒険者も少ない。

 彼はあのあと、朝食もそこそこに再びディープアビスに来ていた。

 ブレイブマートでは現在、未完成ながら第一階層と第二階層の地図を販売している。これが意外と需要があって、今朝方けさがたマッコイ商会が来てくれて、ようやく売り切れだったものが補充されたのだ。

 ヨシュアの地図を、左右から少女達が覗き込んでくる。

 顔が近くて、かすかに柑橘系かんきつけいのいい匂いがした。


「ヨシュア、どこ? どこよ、目星がついてる場所って。あんたね、このあたしが付いてきてあげてるんだから、空振りじゃすまないのよ? いい?」

「ヨシっち、まあ……自分がついてるから楽勝スよ。適当に頑張らない方向でいくッス」


 今日は先程出会ったシレーヌと、なにも言わずについてきたレギンレイヴが一緒だ。

 店番はリョウカにセーレを預けてきたから、多分大丈夫だろう。なにせセーレは、いにしえの神々の中でも一際強力な、あの七十二柱ななじゅうにちゅうの悪魔の一人なのである。

 ただのゆるほわ痴女にしか見えないが、偉大な魔神だから……多分おそらく、絶対に大丈夫だ。


「まあ見てくれ、シレーヌ。レギンも。ここ……不自然な地図の空白地帯が何箇所かあるだろ?」


 まだディープアビスは、攻略が始まって一週間程だ。だが、冒険者の多くは、以前から魔王打倒をと意気込んでた猛者もさ揃いである。勇者トモキが魔王アモンを倒してしまったが、彼等はまだまだ戦いを、冒険を望んでいるのである。

 そんな者達の熱心な探索で、既に最前線は第二階層『翠緑林ノ禁地スイリョクリンノキンチ』へ移りつつある。

 この第一階層はもう、主要なエリアが攻略されていた。

 だが、地図を見ればあちこちにまだ、未踏破みとうはの場所がある。


「これが地下五階、つまり俺達のブレイブマート側から入ったフロアの地図だ。で、これが地下四階、こっちは地下三階」

「ちょっとなによ! もったいぶらないで早く結論を言いなさい?」


 シレーヌに小突かれた。

 リョウカの親友を名乗るこの少女は、なにかとヨシュアには風当たりが強い。先程も、今日のことをリョウカに説明していたら、鋭い眼光でにらんできたのだ。

 リョウカが心配だとヨシュアの手を握ってきた時など、今にも噛み付いてきそうな形相ぎょうそうだった。

 わからん……これだから女は難しい。

 ともあれ、ヨシュアは第一階層の全てのフロアの地図をぴったりと重ねる。

 そして、乳白色の光に満ちた天井へとそれをかざした。


「見ろ、わかるか? ここだよ、ここ」

「あら……なんだ、露骨に怪しいじゃない。早く言いなさいよね、まったく!」

「ほへー、ヨシっちよく気付いたスね」


 伊達だてに引きこもって召喚術研究に没頭していた訳ではない。あらゆる古文書や文献をあさるうちに、ヨシュアは書籍や資料の解析、分析を効率よく進める能力が身についていた。地図も人より何倍も読めるし、迷宮のものとあらば立体的に考えることができた。

 そして、第一階層の全フロアを頭の中に組み立てた時……奇妙な謎が浮かんだのである。


「この場所だけ、誰も手を付けていない。そして、。同じ座標に空白地帯が重なってるだろ? この正方形の区画だけ」


 それはおそらく、縦坑たてこうかなにかだ。

 つまり、この第一階層『白亜ノ方舟回廊』は、階段とは別に垂直に貫くなにかがあるのだ。そのスペースにはいったいどんな意味があるのか……それはこれから調べてみればわかるだろう。

 地図をしまうと、ヨシュアは今日の冒険の目的をはっきり仲間に告げた。


「マッコイ商会の連中は、地下五階のブレイブマートまで商品を運ぶのが大変だからと、あの値段をふっかけてきた。じゃあ、その道程が危険のないものだったら?」

「まあ、値下げに応じるかもしれないスよねえ」

「だろ? もしかしたら、護衛の冒険者もいらなくなるかもしれない。そうやってコストが大きく下がれば、必然的に毎日の仕入れも安くなるんだよ」


 ふむふむ、とレギンレイヴは眠そうな目をしばたかせる。

 とにかく、これ以上マッコイ商会の言い値で仕入れていたら、ブレイブマートは自転車操業の末に破産してしまう。

 リョウカも勿論もちろん、なにも考えていない訳ではなかった。

 この謎の空白地帯が、縦に真っ直ぐ地上と行き来できるかもしれない……最初にそれを思いついたのは、彼女なのだ。そんじょそこらの冒険者より何倍も強いリョウカは、手のいた時に調査しようと思っていたのである。


「オッケェ、じゃあ行くわよ! あたしについてきなさい!」

「……なんでお前が仕切るんだよ、シレーヌ」

「まあまあ、今はこれ、なんスよヨシっち。いつかるから、それを待つッス」


 早速シレーヌは、くれない錬金術師れんきんじゅつしの名の通り、真っ赤なマントを揺らして歩き出した。

 例の場所までは、小一時間も歩けばつきそうである。

 当然、一歩足を踏み入れれば……ここは危険な祭終迷宮ディープアビス。

 最新の注意を払いながら進むべきで、些細ささいなミスが命取りになる。

 だが、シレーヌはズカズカと無防備に、無駄に堂々と歩を進めるのだった。


「おい待て、シレーヌッ! 迂闊うかつだぞ、もっと慎重に」

「うっさいわね! 急がないとリョウカが……あんたの連れてる、あの、下僕しもべ? 召喚した悪魔? あいつ、なんか頼りないもの」

「セーレは下僕じゃない、仲間だ。それと、ああ見えて意外とちゃんとしてるんだぜ?」

「どうだか! なんかふわふわ能天気だし、いつもニコニコしてるし、胸だって……ゴニョゴニョ」


 シレーヌは平坦な自分の胸に手を当て、聞き取れない言葉をにごす。

 その間もずっと、レギンレイヴは鼻歌混じりにのんびりあとをついてきた。


「そういやレギン、お前までついてくるなんてな」

「や、自分がいなきゃこのパーティ全滅必至スよ。それに」

「それに?」

「ワルキューレの仕事は、勇者の魂エインヘリアルをヴァルハラに拉致らち……じゃない、スカウトすることなんス。なーんか、自分の長年のワルキューレ的な直感が告げてるんスよ」


 この近くに、レギンレイヴの御眼鏡おめがねかなう勇者がいるらしい。

 ヨシュアは思わず照れたが、すかさず「ヨシっちじゃなくて」と、レギンレイヴが突っ込んでくる。それもそうだと思って、嬉しいような悲しいような、複雑な気分のヨシュアだった。

 そして、すぐに自分が勇者ではないことを証明してしまう。

 鳴り響く警報音と共に、周囲にはこの場所特有のモンスターが集まり始めていた。


「くっ、来たか! レギン、お前はシレーヌを守れ。俺は……落ち着け、落ち着くんだ、大丈夫。今日は体力的にも余裕があるし――」

「ヨシっち、わかりやすっ! ニャハハ、まあ……自分にある程度は任せるスよ」


 ヒュン、と手にした槍を構えるや……レギンレイヴが風になる。

 ジト目でけだるげなその表情は、今は戦いの高揚感で不気味な笑みを浮かべていた。そう、ちょっと怖い。フヒヒと笑って彼女は、並み居る金属の木偶人形でくにんぎょう達へと飛び込んでいった。

 確か、こいつらはこの階層の墓守はかもりだ。

 名は、モビルガードナー……破壊した残骸に名が古代語で刻印されており、一緒に通しの番号が振られていた。古代の技術で作られたゴーレムのようなものである。

 通路の高さと幅を上手く使って、レギンレイヴが舞うように敵を蹴散らしてゆく。


「へえ、あのやるじゃない。……本当にあんたが召喚したの?」

「お、おう。それより、レギンを援護だっ!」


 今回は、地上へ抜けていると思われる縦坑の調査が目的だ。そのためにも、ヨシュアは体力を温存する必要がある。

 セーレや、彼女を介して召喚したレギンレイヴの霊格マハトマでは、消耗が激しい。

 もっと下位の、精霊レベルの霊格を召喚しようとした、その時だった。


「どいてなさい、ヨシュア! レギン、あんたも! ……一気に爆破するわっ!」


 バサッ、とマントをひるがえして、シレーヌが前へと歩み出た。その手は、両の腰からいくつかの試験管を抜き取っている。なにか粉末状のものが入っているようだ。

 彼女は、指と指との間にズラリ並んだ硝子ガラスの円筒の、その先から糸を引き出す。

 どうやら導火線のようで、彼女はフフンと鼻を鳴らして勝ち気な瞳を輝かせる。


「木炭と硫黄いおう、そして硝石しょうせき……これが錬金術の力っ、爆薬よ!」


 そして、レギンレイヴを下がらせ、彼女はポケットにもう片方の手を突っ込んだ。


「……あら? マッチが……ああ、マッチっていうのは同じ錬金術で作った、魔力がなくても火を起こせる――おかしいわね、マッチがないわ!」


 レギンレイヴがすかさずフォローに入る。

 迫るモビルガードナーの大軍に、ヨシュアも精神力をつむいだ。集中力を研ぎ澄まして、今度はレギンレイヴの霊格を介して炎の精霊へと呼びかける。

 背後から肩に触れられたレギンレイヴは、ビクリ! と身を震わせた。


戦乙女いくさおとめレギンレイヴがあるじ、ヨシュア・クライスターが命ずる。我が呼びかけに応えよ……出ろぉ! サラマンデル!」


 四大精霊の一つ、火蜥蜴ひとかげサラマンデルがヨシュアの手の上に現れる。

 燃え盛る火の玉そのものである小さな精霊を、ヨシュアはシレーヌへ向けて投げつけた。


「っと、あんた使えるじゃないの! これで火を……ふふ、ぜなさい……爆発よ、爆発! リア充爆発しなさいよ! オーホッホッホ! 錬金術は爆発よっ!」


 なにやら奇っ怪な高笑いを響かせ、シレーヌは暗い情念と共に試験管を放る。火薬とかいうものが詰め込まれた容器は、導火線の火花を招いて爆発、あっという間に炎でモンスター達を包む。

 その爆炎と黒煙の中を突っ切り、ヨシュア達は目的地へ向けて走り出したのだった。

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