第6話「いわゆる本社からの搾取的な」

 夕食を終えてからも接客に終われ、その夜はヨシュアはまんじりともせず床についた。

 ブレイブマートの二階は、リビングにキッチン、広めのバスルームとトイレ、そしてベッドの並ぶ寝室が二つ。だが、広い部屋で一人眠るのは少し寂しかった。

 そんな訳で、早朝に目が覚めるやヨシュアは店に降りたのだった。


「っと、リョウカ? おーい、寝てるのか? 風邪引くぞ、ったく……」


 店には客の姿はなく、静かな寝息が響いていた。

 リョウカは会計用のカウンターに突っ伏して、眠りこけていた。肩に手で触れ、揺すって起こそうとしたが……ヨシュアはそっと手を引っ込める。

 本来来るはずのメンバーは、一人も補充できなかった。

 昨夜はヨシュアやセーレ、レギンレイヴに寝るよう言って、リョウカは一人ワンオペで店番に残ったのだ。思えば、あの時自分も一緒にいるべきだったと、ヨシュアは後悔している。


「ま、なんだな……お疲れさん、だな」


 ぼんやりとヨシュアは、リョウカの横顔を見やる。

 快活で闊達かったつ、利発的な表情はどこへやら……とてもあどけなく、幼いとさえ感じる寝顔だった。同世代か少し上の年頃だと思うが、ヨシュアには小さい頃の妹を思い出させる。

 妹のディアナはいつも、家を継ぐためのスパルタ教育で疲れていた。

 魔力がないことがわかって、ヨシュアは早々に家族に見限られたからだ。

 彼に代わって白羽しらはの矢が立ったのは、当時まだ幼かったディアナなのだ。ディアナは一族のため、なにより兄のために必死で耐えた。それをヨシュアは、見ていることしかできなかったのだった。

 追憶に沈むヨシュアは、背後から不意に声をかけられる。


「うぃース、おはようございまッス」

「ん、レギンレイヴか。おはよう。寝れたか?」

「こんなに寝たの、久しぶりッス……ワルキューレも結構忙しいスからね」

「あとでセーレが起きたら、帰れるようにしてもらうからな。なんか、ごめんな」


 レギンレイヴは眠そうな目をしていたが、普段のジト目に戻ってもあまり変わらない。彼女はまぶたこすりながら、リョウカに自分の肩掛けをそっとかぶせた。


「ワルキューレって、忙しいのか?」

「もちスよ。オーディン様のために、あちこちの世界から勇者の魂エインヘリアルを集めてるんス。残業、休日出勤当たり前、手当らしい手当も出ないスよ」

「な、なんか大変だな。それでも帰りたいのか」

「そりゃ、自分がいないと他のワルキューレが大変スから。それに、むふふ……自分、こう見えてもワルキューレの中じゃエース格なんス。ベーオウルフ、ヘラクレス、土方歳三ヒジカタトシゾウ、円卓の騎士達……沢山の勇者をヴァルハラにスカウトしたッスよ」


 意外や意外、レギンレイヴは仕事のできる女の子だった。

 どこかぼんやりと頼りない印象があるので、ヨシュアは内心驚く。

 そのレギンレイヴだが、勝手に店の棚から小瓶を二つ手にする。各種飲み物がそろっていて、珈琲コーヒーや紅茶から多種多様な果実の飲料、酒類も多少ながら扱っている。

 彼女は片方をヨシュアに放るや、会計もせず勝手に飲み出した。


「ん、冷えてるともっといいんスけどね。……どしたんスか? ヨシっち」

「ヨ、ヨシっち!? それよりお前、商品だぞ? 勝手にそんな」

「まあまあ。それよりなんか、外が騒がしいみたいッスよ」


 そういえば、店の外からかすかに声が聴こえる。

 片方は若い男の声で、もう片方はキンキンと響く少女の叫びだ。

 ヨシュアはもらった珈琲へ目を落として、迷ったが棚へと戻す。そうして、ポケットからレギンレイヴの飲んだ分の小銭を出して、それを眠っているリョウカの側に置いた。

 急いで店の外に出れば、一組の男女が言い争いをしている。


「とにかくっ、この値段には応じされないわ! 信じられないっ!」

「やれやれ、信じられないのはこっちですよ……魔導師まどうしのおじょうちゃん」

「あたしは魔導師じゃないわ、錬金術師れんきんじゅつし! 魔法を使う……魔法を使える連中とは一緒にしないで頂戴ちょうだい!」

「おや、それは失礼。この御時世ごじせい、私のような商人でも魔法を嗜みますが……はて、錬金術師? とんとお聞きしない身分ですね」


 今にも殴りかからん勢いで、鼻息も荒く少女がすごむ。

 自称錬金術師の少女は、赤い羽根付き帽子に赤いマントで、腰には短剣と一緒に沢山の硝子ガラス容器がぶら下がっている。医者や学者が研究室で使うような、試験管と呼ばれる器具だ。片眼鏡モノクルの奥でひとみを輝かせながら、彼女は子犬がえるように言葉を続ける。


「錬金術師っていうのは、この世でまだあたし一人の称号、職業よ! 見てなさい……魔法なんて所詮しょせん、古き神々の力を借りてるだけじゃないの」

「おや、そうなんですか? ですが、誰でも使えて便利なものです。私なども職業柄、アイテムの鑑定やかぎ解錠かいじょうなど、ごくごく初歩的な魔法を重宝ちょうほうしてますが」

「これからは錬金術の時代よ! 魔法でできることは、魔力を使わなくてもできるっ!」

「ふふ、面白いお嬢ちゃんだ。さて、ではこちらが代金の伝票になりますので」

「話を聞きなさいよっ!」


 駄目だ、全く会話が噛み合っていない。

 商人と名乗った男は、すらりと長身で身なりもいい。彼の背後には、護衛らしき冒険者達が五、六人。そして、彼等が運んできたであろう大きな大きな荷物が山積みになっていた。

 見ててもらちが明かないので、ヨシュアは二人の間に割って入る。


「あの、どうかしましたか? とりあえず、店の前で喧嘩はやめてくださいよ。一応今も、この時間も営業中なんですから」


 二人はそろってヨシュアを見やる。

 特に、錬金術師の少女はグイと顔を近付けてきて、訝しげな表情で鼻を鳴らした。


「あんた、誰?」

「えと、このコンビニの……ブレイブマートの従業員、です、けど」

「あ、そ……リョウカは? 彼女に伝えて頂戴。シレーヌが来たって」

「は、はあ、シレーン……どちらのシレーヌさんで」

「シレーヌつったらシレーヌ・ダンケルク、くれないの錬金術師シレーヌでしょ!」


 知らない、全く聞いたこともない名だ。

 だが、錬金術というのは少し聞きかじったことがある。魔力を使えぬゆえに、ヨシュアは世界中のあらゆる文献に目を通し、魔法のなりたちからその構造までを勉強した。その過程で、錬金術と呼ばれる技術の存在を知ったのである。

 錬金樹とはすなわち、魔力を用いず、魔法と同等の力を得るための学問である。

 今は教会が悪魔と呼ぶ、いにしえの神々……彼等が残した魔法の仕組みは、呪文や術式によってアクセスし、神々の力を借りてくるというものだ。だが、魔法で出した火も、まきを燃やして発生した火も、同じ火……つまり、


「あ、えと、リョウカなら……寝てます、けど」

「……あ、そう。まあいいわ! でも、こんな値段は払えない! あんたもそう思うわよね? ほらっ、これ見て!」


 シレーヌに言われるままに、ヨシュアは突きつけられた伝票を見詰める。

 瞬間、思わず目を見開いて凝視してしまった。

 よーく見ても、そこにはありえない値段が記載されている。


「なっ……150,000フェン!? ちょっと待て、この値段は――」

「今日のブレイブマートで売る、弁当や飲み物、雑誌やなんかの仕入れ代よ」

「仕入れ……確かに、大半が売り切れ直前だけど、その補充がこの値段か?」

「そうよっ! この悪徳商人、ブレイブマートがその、ええと、コンビニ? そう、コンビニエンスストアとかっていう珍しい店だからって、足元見てふっかけてんの!」


 シレーヌが指差す先で、若い男はフンと鼻を鳴らした。

 そして、今度は彼が喋り出す。


「失礼、ご挨拶が遅れました……私はマッコイ商会の頭取とうどりつとめております、ガレリア・マッコイと申します。この度はブレイブマートのリョウカさんと契約を結ばせていただきまして」


 ガレリアは、ブレイブマートで販売する商品を全て取り仕切っているという。

 コンビニと呼ばれる業務形態が、二十四時間あらゆる商品を売る仕事だというのは、ヨシュアも昨日一日でわかった。そして、ミルクからバスタードソードまで、一切合切をマッコイ商会から仕入れることになっていたのである。

 その、一日分の仕入れ代金が、150,000フェンである。


「えっと、ガレリアさん?」

「はい、なんでしょうか……ええと」

「ヨシュアです、ヨシュア・クライスター」

「おお! あのクライスター家の……はて? 勇者トモキ様と共に魔王アモンを倒した魔導師は――」

「そ、そんなことよりっ! どうしてこんなに高いんですか?」


 150,000フェン、これは職業によっては一か月分の手取りである。冒険者にとっても大金だ。ダンジョンを探索することで莫大な富が得られる反面、武具の手入れや買い替え、消耗品の備蓄や補充と、出費も激しいのが冒険者だ。

 こんな大金は払えない。

 一日のブレイブマートの売上と、ほぼ同じ金額だからだ。


「払えない、と申されても」

「だっておかしいでしょ! 地上じゃどこの街でも、こんな高額な」

「そこです! そこなのですよ、ヨシュア君」


 ガレリアは事細かに説明してくれた。

 そもそも、ブレイブマートの値段設定が悪いのだと言う。こんな危険な場所、祭終迷宮エクスダンジョンディープアビスの中の、唯一の安全地帯。それがブレイブマートのある場所、第一階層『白亜ノ方舟回廊ハクアノハコブネカイロウ』と第二階層『翠緑林ノ禁地スイリョクリンノキンチ』の間の空白地帯なのだ。

 ブレイブマートでは、地上のあらゆる商店と変わらぬ価格帯で商品を提供している。


「それがおかしいのですよ。この利便性、危険なディープアビスの中で、二十四時間なんでも買える……それなのに、値段は地上より少し高い程度。もっと取るべきでしょう」

「それは、そうかも、しれないですが」

「私達マッコイ商会は、この場所まで商品を運ぶために、冒険者の護衛や各種保険、なにより生命の危険を犯しているのです。おわかりですか? この値段の意味が」


 ぐうの音も出ない。

 手間賃や危険手当が入って、この値段なのだ。

 しかし、支払いに応じればブレイブマートは立ち行かなくなる。

 そんな時、背後で声がして誰もが振り返る。


「おはようございますっ! あの、お支払します。ガレリアさん、朝早くありがとうございました。……あれ? シレーヌ? どしたの。ヨシ君も。さ、商品をお店に入れちゃお!」


 そこには、起き抜けで少し髪の跳ねたリョウカが立っていた。

 彼女は笑顔で、ガレリアに対して示された金額を払うのだった。

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