究極魔法発動
今、ノアゼット様はアンシーのクラウス神殿の中で宙に浮いていた。目を閉じ、ゆっくりと詠唱するその体は白く輝き、美しい髪の毛がたなびいている。その姿はまるで女神のように神々しかった。
一応、俺達も警戒しているが、この場にいる全員、タンリーエンの高官や高位の神官たちも呆けたようにノアゼット様を見つめるだけで、指一本動かせそうにない。この場に刺客が紛れ込んでいても同様にノアゼット様を見つめることしかできないだろう。
ノアゼット様が旅立って1年経ったタンリーエンは人心の荒廃が進み、崩壊の一歩手前という感じだった。一刻の猶予もないとのことで帰国早々のこの究極魔法の実行である。
ノアゼット様の詠唱が続き、もはやその姿は光に包まれてしまっている。高らかにノアゼット様の声が響き渡り、ついに究極魔法が発動する。ノアゼット様の体を包む白い光がどんどん広がりあふれだす。神殿を超え、アンシーを超え、タンリーエンの隅々までその光が包み込む。
長時間の詠唱を終え、宙に浮いていたノアゼット様の体が糸が切れたように落下した。俺はすっとんでいき慌ててその体を抱きとめる。元々ほっそりとした体が増々やせ細っていた。真っ白く血の気を失ったその顔を覗き込む。まさか魔法の代償に……?
良かった。ごくわずかに上下する胸に合わせ、半開きの口から洩れる吐息が俺の頬にかかる。安堵のあまり膝からくず折れそうになった。意識を失っているが間違いなく生きている。あれ? なんかおかしい気がする。まあ、いいや。ノアゼット様が無事だった、その事実だけが重要だ。
俺に抱きかかえられたノアゼット様を伏し拝む人たちの中を抜けて、俺とディヴィさんとプウラムは神殿の建物を出て宿舎に向かう。
究極魔法の効果は抜群だった。人々の心に巣くう憎しみや妬みなどの感情がきれいに拭い去られていた。なんか地味だって? あのな、何十万人もの人間を改心させるんだぜ。ものすごい効果じゃねーか。首都の治安が目に見えて改善し、地方の反乱は和解が成立する。崩壊寸前だった秩序が回復し、人々の顔に笑顔が戻った。
まる2日眠り続けたノアゼット様が起きてきた翌日、俺達はタンリーエンの皇帝のもとで謝辞を受けていた。
「聖女ノアゼット殿。あなたの献身によりこの国は救われた。厚く礼を言うぞ」
「いえ、すべてはクラウス様のお導きです」
「そうだな。あなたがいれば、この国の繁栄は約束されたも同然だ。これからも宜しく頼む」
「それはどういうことでしょうか?」
「究極魔法があれば心配はないということだ。何かあったらまたその際には……」
「申し訳ありませんが、究極魔法はあれ1回限りです」
「うむ。あなたの負担が大きいのは分かる。しかし、世のためだ。多少は無理をして……」
たまらず俺が口を挟む。
「おい、いい加減にしろよ。世の中の重荷をこんな女の子に負わせて恥ずかしくないのか」
「陛下に対してなんという口を!」
「いいから聞けよ。魔法の力は強力だが、所詮は一時的なものだ。人心が荒廃しないように治めるのが上に立つ者の務めだろう」
「陛下。この者の口のきき方はご容赦ください。我が魔法をもっても矯正できませんでした。ただ、話す内容については私も同じように思います」
そう。究極魔法は薄く広く。俺は例の腕輪が弾いちゃったし、ディヴィさんやプウラムにも無効。同様にある程度の力を持つ悪人には効かないのだ。
「確かにその通りだ。私が悪かった。ただ、この街に留まり、神の教えを広めるのを手助けはしてくれるのだろう? 神殿長もあなたに地位を譲っても良いと言っている」
ノアゼット様は頭を振る。
「申し訳ありません。私はその任に合いません。どうか別の方に任せられますよう」
「では、どうなさるというのだ?」
「再び旅に出たいと思います。まずは今回の旅を助けてくれた友人達に礼を述べに」
そして、ノアゼット様の固い意志は誰にも覆すことはできなかった。
旅支度を終えた俺はノアゼット様の部屋に呼ばれる。シンプルな神官衣に身を包んだノアゼット様は初めて会ったときと同じように清楚で美しい。
「えーと、マダム、何か御用でしょうか。二人はもう下に降りてますけど」
「そうですね。その方があなたもいいでしょう?」
こころなしか緊張した面持ちでノアゼット様は佇んでいる。何の用事なんだろ。
すすすっとそよ風のようにそばにノアゼット様が寄ってくる。近い。お互いに無言だ。しばらくすると痺れを切らしたのか、ノアゼット様が少し怒ったように溜息をつく。
「シューニャ。気持ちは分かりますが、早くお願いできませんか」
えーと何をでしょうか? わたくしさっぱり分かりません。
「ああいうことはきちんと二人きりのときにするものです。クラウス様の宮殿で済ましたつもりかもしれませんが、あれだけでは無効です」
???? 一体なんのことだ。クラウス様の宮殿で?
「まさか、シューニャ。あれは戯れに言ったというのではないのでしょうね」
怒りと悲しみの混じった表情で俺を見上げるノアゼット様。俺は高速でクラウス宮殿での出来事を再生する。まさか、まさかだよね?
俺を見上げるノアゼット様の瞳を見て覚悟を決める。間違いだったら、アレを食らうだけじゃ。えーい。
「マダム。このような俺ですが、ずっと一緒にいてもらえますか?」
見開かれた瞳が閉じる。細い方を抱き寄せて、唇を重ねた。
しばらくして、抱擁を解く。恥ずかしそうに下を向くノアゼット様を見ているとこっちまで顔が熱くなってくるのを感じた。
「本当に、ここまでしないと言ってくれないのですから、シューニャは」
「すいません」
「でも、きちんと言ったので許してあげます。では、神殿長に挨拶に行きましょう。ついでに私たちの誓いも祝福していただかないと」
何ですか。その高速な展開。プロポーズから10分で結婚ですか。はい。もちろん文句ありません。
「分かりました。では行きましょう、マダム」
扉に向かおうとする俺の腕をノアゼット様がつかむ。
「ダメです。シューニャ」
え? なんだよ。ここまで持ち上げて置いて落とすの? 俺もう心が砕けそうなんだけど。
俺の最愛の女性が、恥ずかしそうでいて、それでいて誇らしげな笑みを浮かべて言う。
「もうすぐ、あなたの妻なのよ。他人の奥さんじゃないんだから、マダムという呼び掛けはおかしいわ」
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