第60話 的中
行軍は最終局面を迎えた。
現在も相変わらず川沿いを歩いているが、タケル情報によれば、かなり地下都市の入り口に近づいてきているらしい。
俺が地理を勉強したのは中学の頃だ。高校では日本史を選択していたので、地理の授業はまったく受けていない。
よって知識はかなり怪しいが、おそらくこの川は千曲川。
この時代においては、この川に名前はない。
中央高地と呼ばれるこの本州中央部に集落が存在したことがないので、名前を付ける必要がなかったのだ。
一昨日くらいからだろうか。川幅も広がり、河原の面積が増してきている。
左右から押しつぶさんとばかりに切り立っていた山岳の斜面もすっかり後退し、眼前の景色は開けてきている。
左右遠くに緑の山、中央には比較的ゆったり流れる川。そして広がる草原と森林――
盆地らしい景色が続く。
当初の予定どおり、地下都市があるとされる場所の五キロほど手前で、一度川を渡った。
そしてそこに広がる平地を進み、前線基地を設営する。
タケルいわく、ここは二つの川に挟まれた地であり、まれに大きな洪水がある影響により樹木も少なく、基地の設営場所にはもってこいとのことだ。
神が、「お前の時代でいう『川中島』というところだ」と教えてくれた。
千年経っているので、俺の時代から様変わりはしていそうだが。
さすがに兵士の手際はよかった。長旅の疲れなどものともせず、あっという間に前線基地の設営が終了した。
丸太を用いて櫓まで造ってあるが、これには見張り以外の大事な役割がある。
神と一緒に、できたばかりの櫓の上にあがらせてもらった。
俺だけの癖なのかもしれないが、高いところに登ると、なぜか遠景を見る前に下を見てしまう。
「結構怖いですね」
「十メートル程度だろう。人間はこれで高く感じるのか」
「これくらいだと地面がくっきり見えてしまうので、かえって怖い気がします」
「なるほど」
神が少しだけ面白そうに納得している。
「この櫓は、わざと発見されるように造ったということでいいのだな」
「はい。そうですよ」
このように背が高くて目立つものを造れば、地下都市側もすぐに気づくだろう。
基本的に地下都市では、大事なことはすべて総裁自ら判断するようになっているらしい。
よって、この櫓を発見したメンバーは直ちに上層部に知らせ、その上層部は総裁の決断を仰ぎにいくはずである。
そしてこちらの予想が正しければ、総裁は上層部に対し、外に打って出るよう指示を出すはず。
つまり、この櫓の見張り以外の大事な役割とは、『バレること』である。
二人で前方を見渡した。
「ここからだと、はっきりと見えるな」
「はい……」
川を挟んだ向こうには、三方を山で囲まれた盆地が広がっている。
神は松代大本営が造られていた頃に、上からここを見たことはあるらしい。
一つ一つ、説明をしてくれた。
盆地の中央奥に浮かぶドーム状の独立した山が、皆神山。
そして右手前には、象山。
右奥には、舞鶴山。
この三つの山の下に、地下都市が広がっている。
タケルの話では、この時代においても、地下都市内では三つの山がそのままの名前で呼ばれているそうだ。
ただし内部は、俺の時代の松代大本営跡よりもだいぶ拡張されているとのこと。
三つの山の間には連絡通路も存在しており、それぞれ行き来ができるようになっているらしい。
こうやって櫓の上から見渡すと、あらためて地下都市に到着したという実感が湧いてくる。
いよいよだ。
***
「地下都市側に動きがありました! 軍が外に出てきたようです! 数は千人程度!」
本陣の幕内に伝令が飛び込んできたのは、櫓を設置した日の翌日の午後だった。
地下都市の行動パターン分析によるレンの予想は、見事に的中したことになる。
もちろん、こちらにはありがたい流れだ。
作戦が予定どおり進められる可能性が一段と高くなった。
ただ、やはり……。
なんで出てきてしまうのかなあ、とも思ってしまう。
普通に考えれば、地の利を生かして籠城。いや、もっと言えば、降伏が一番まともな選択のはず。
なぜそうしないのか。
総裁の判断と思うのだが、その周りの人間たちも、「無駄なことはやめましょう」となぜ言えないのだろう。
一億玉砕の思想が生み出した、松代大本営。
地下都市に住む人間は、皆その呪いにかかっているとでも言うのだろうか。
「川の手前まで軍を進めよ」
国王の合図により、軍は基地の守備兵を残し、川のほうまで前進した。
櫓の見張りからの伝令が、ひっきりなしに陣に飛び込んでくる。
どうやら地下都市側の軍も、川の対岸近くまで来ているらしい。
伝令は、「ネズミ色の軍」という表現をしていた。
これまたタケル情報ではあるが、地下都市側には『警備隊』と称する戦闘員の組織があり、くすんだ緑と灰を合わせたような色の軍服を採用しているらしい。
おそらくオリーブドラブという色だと思う。
俺の時代の自衛隊の作業服にも使われていた色のはず。野外で見るとネズミ色に見えるのだろう。
川を挟んで地下都市側の軍と睨み合いの状態となった。
これも作戦どおりである。
これで、相手はこちらに攻めてくるにしても、幅の広い川を渡るために濡れなければならない。火薬を使って自爆攻撃される可能性は下がることになる。
兵士は、念のため拳銃対策の盾を装備している。
青竹を利用した簡素なものであるが、十分に役立つはずだ。
俺は後方に下がっており、突入隊の面子で集合していた。
自分の他には、クロ、神、タケル、あとはヤマモトが選抜した三十二人の兵士である。
突入メンバーには加わらないが、作戦の最終確認のためにヤマモト本人も来ている。
軍でいえば一個小隊程度の規模。
地下都市の戦闘員はほとんど外に出てしまっていると思われるので、戦力としては十分。そしてこの少人数なら、日が沈んでから動けば察知されにくいだろう。
ヤマモトからの突入作戦の説明が終了した直後。
なぜか俺は、兵士たちに絡まれていた。
左右から首に腕を回されてしまっており、サークルの飲み会のようなノリになっていた。
「しかしお前さん、軍人でもないのに勇気あるよな。何があるかわからないのによくやるわな」
「いやー、俺はあのときからタダモノじゃないとは思ってたがな。気に入った」
「やっぱり兵士にならねえか? お前なら立派に務まると思うぜ」
「……あのおー。皆さん酔ってませんよね? 大丈夫ですか?」
選抜された三十二人の兵士たちは、ミクトラン城の兵舎で火事に巻き込まれたとき、一緒に泊まっていた人たちだった。ガラの悪さも相変わらずだ。
ヤマモトの人選基準は不明だが、一度生死を共にした間柄という理由で彼らを選んでくれたのかもしれない。
「コラお前たち。オオモリ・リクは陛下の側近とも言うべき立場だ。あまり失礼があってはならぬぞ」
「参謀さんよ。これから決死の突入なんだから、そーカタいこと言うなって」
「そうそう。もう戻ってこられないかもしれないんだからさ」
「縁起でもないことを言うでない……。戻ってくるまでが作戦であるぞ?」
「参謀さんも真面目だな。いつもそんな調子だと疲れちまうだろ」
なぜかヤマモトも絡まれだした。
態度はいかがなものかと思うが、この人たちなら頼りになると思う。
よし、あとは日没を待つばかりだな。
そう思ったとき――。
「ちょっと兄ちゃん! どういうことさ」
――げ、カイルだ。
バレたのか。
「……」
「置いていこうとしてたでしょ」
「……まあ、そうだ。何かあると町長や院長に申し訳ないからな」
「大丈夫だよ。もともと兄ちゃんについていけって言ったのは町長なんだから。ついていくよ」
「ダメだ」
「ダメって言っても無駄だよ。勝手についていくからね」
まずいな……。どうしたものか。
「連れていってやったらどうだ?」
さっきまで絡んできていた兵士の一人――ミクトラン城の火事のときに、兵士のリーダーだった男だ――が、そんなことを言う。
「いや、でも……」
「知ってると思うが、そいつは多分ここにいる誰よりも強いぞ? 戦力になるだろ」
「いや、そういう問題ではなくてですね。万一のことがあると……。こいつは町長から預かっているようなものなので」
俺は抵抗したが、兵士のリーダーはあのときのように、俺の肩にポンと大きな手を置いた。
そしてさっきまでの酔っぱらいのような顔とはまた違った、優しい笑顔を浮かべながら、言った。
「そう思うなら、お前が守ってやればいいのさ。弱い者が強い者を守ってはいけない――そんなルールはどこにもないんだからな」
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