異世界転生固茹奇譚

馬近

第一章 ハードボイルドな犬

01匹目 転生と卵は茹で時間が決め手

 生まれてこのかた、一度も外を走ることさえ出来なかった。

 一度は夢みた友達との喧嘩どころか、大声を出すことすら……。


 そもそも、二十歳という短い生涯で終えた僕は、親が持ってきてくれたハードボイルド小説だけが友達であり、身近な人は両親と医者と看護師しかいない。

 なぜハードボイルドなのかと考えたら、きっと貧弱な身体に生まれた僕を気遣い、せめて話の中だけでも強く逞しい男の夢を見て欲しいという、一種の親心だったのだろう。

 どの物語の主人公も、僕にとって光り輝くヒーローだった。


 手持ちの小説を読みつくした僕は、流行っているネット小説を読み漁った。

 異世界転生、精霊、魔法、勇者に聖女、極めつけは悪役令嬢。

 それまでハードボイルド小説と参考書しか知らなかった僕は、魔法の格好良さに憧れ、精霊をこの目でみたいと願い、魔王を倒す勇者と同じ目線に立ってハラハラし、悪役令嬢の孤軍奮闘に笑いつつも涙した。

 主人公などと大それたことは言わない。もしも生まれ変われるならば、そんな世界を気ままに冒険がしてみたいと、来る日も来る日も神様に祈り続けたものだ。


 ――人生最後の日。

 慈愛に満ちた看護師の顔、安らかに眠れるように確認した医師の口元、そして泣き喚き取り乱した両親の瞳の中に「これでやっと解放される」という隠しきれない疲労を見出してしまった僕は、なんとか「ごめんね」と呟き、息を引き取った。


「願いを叶えてやろう」

 厳かな声音と虹色に輝く光に包まれながら。



 猛烈な熱気に身体が焼かれ、僕は飛び起きた。

 鬱蒼とした森の中のようだ。大自然の中にいたのに、物音一つ聞こえない。

 目の前には、真っ赤に燃える鱗と大きな爪、身の丈数メートルはある竜。


 暑い。いや熱い。そして痛い。

 なんとか逃げようとしても、その度に赤いドラゴンは向きをかえ炎を吐く。

 やめてくれ。死んでまでまだ苦痛に苛まれるのか。

 天国どころか地獄に落ちるほど、僕は罪深い人間だったのか。

 大声で叫びだし助けを求めたいけれど、ここには僕とドラゴンしかいない。


 ゴロゴロと転がりながら隙を狙うも、そもそも満足に動いた記憶もないのだ。

 灼熱の業火に燻られながら、いつ終わるとも知れない地獄を耐え抜いた。


 火炎地獄は終わらない。

 どのくらい時間が経っただろうか。今なら、石川五右衛門と意気投合できるかもなどと考える余裕が出てきた。心なしか、ドラゴンも小首を傾げた気がする。


「ドラゴン、綺麗だな」

 今までみたことがないほど深い赤、ルビーのような瞳、吐く炎よりも深紅に輝く鱗。雄大かつ強大な胴体と、力強い手足。一振りで木々すら倒しそうな尻尾。

 僕を甚振いたぶっていたドラゴンは、神に例えても不足がないほどに美しかった。


「貴様、なぜ燃え尽きんのだ」

 僕の理想がここにいた。うっとりとドラゴンを眺めていたせいか、思わずと言った感じで、ドラゴンさんから質問が飛んできた。意思疎通が出来るなら助かるかもと、浴びせられた炎で茹った頭を働かせ、なんとか言葉を紡いだ。


「偉大なる竜よ。私は卑小なる人間です。なぜ死なないのかは分かりかねます」

 へりくだったその答えに、赤い竜は大気を震わせながら大笑した。


「貴様が人間だと? 我には犬に見えるがな。それも子犬だ」

 人間だろうと犬だろうと、いきなりステーキにしようとするな!

 ようやく鎮まった火炎地獄にほっとし、心の中でドラゴンさんに悪態をつく。

 そして、生卵も固ゆでになりそうなほどの時間をその場に立ち尽くした。


 え? 犬? 犬に転生しちゃったの?


 心も体も、すっかりウェルダンな僕の異世界一日目は、こうして幕を開けた。

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