バンカライザー
南雲麗
第一話 番長五郎、現る(前編)
それは、おおよそ現代学生としては不似合いな格好であった。
ボロボロの学帽。
これまたボロボロの、着古しの学ランとズボン。
背中には黒の外套。
腰に手ぬぐい、足に高下駄。
世は春である。春といえば、入学式である。しかし世に憚ることなき名門校、桜田門学院の春の日に現れたのは。時代錯誤の異様なる男であった。
「君ぃ。何度言ってもここは通さぬよ? その粗暴な格好を改めてから来たまえ」
「頭が固いのはそちらです。弊衣破帽は気風です。改めるつもりはございません。なによりこの装束は……」
東京ド真ん中。霞が関にも程近い土地に立つ学院の門前では、既に三十分近く押し問答が続いていた。
その騒動の中心に立つ男こそ、時代錯誤の青年であった。身長は百八十を越えて聳え立ち、教師共を圧倒する。それでいて並べる言葉は丁寧かつ気概に満ち溢れているのだから、始末が悪い。
更に学院側には分の悪い事が続いた。野次馬の存在である。長く続け過ぎた騒ぎが、人目を集めてしまったのだ。しかも当世に靡かぬ気風の学生が面白いのか、もっとやれと囃し立てる始末である。
「何度も言っておりますが、俺はこの学園の新入生です。この通り合格証明書から身分証明物まで、全て開示致しました。これ以上、なにが不服だというのです」
「だから、何度も言うておるだろう! その! 汚らしい服装を改め給えと! 当校は確かに制服無用。自由闊達を尊ぶ若人の園である! なれど、『学生らしい服装』は最低規則! そのような装束を通せば、学園の恥となる!」
「恥とはどういうことでありましょうか。汚らしいとは如何でありましょうか。バンカラとは、質実剛健を尊び、外見によって繕わぬ精神を重んずるものであります。貴方は、見た目に振り回されております」
「ぐぬぅ……!」
「教頭、いい加減目立ちます。というか目立っています。ここは一度中に入れて……」
「そんな訳に行くか!」
門前。桜田門学院教頭・
眼の前に立つ新入生、その堂々たる気風に圧倒されているのである。
しかし、引く訳にはいかない。教師達の筆頭として、学院の矜持として、目前に立つこの時代錯誤精神の徒を、他の新入生達の目に触れさせてはいけないのだ。
否。一歩もこの学舎に入れてはならぬ。これは、最早意地である。
方や理路整然と己の正当性を訴え、方や意固地と矜持をもってそれを否定する膠着状態。それは永遠に続くのかとさえ思われた。
だが、その時である。
ドォン!
新入生達を集めていたホールから、爆発音が轟いた。五百メートル先は離れた校門ですら僅かに振動する。
「ホールから煙が!」
誰かが言った。確かに立ち上っている。警備が急行し、教師達も動揺した。
「失礼!」
その時、バンカラ新入生が動いた。鳥居の一瞬の隙を突いて、校内に足を踏み入れたのである。そのまま加速し、次の瞬間には五メートル先へ。鳥居が我に返った瞬間には、既に追い付くには苦しい距離まで離れていた。
「……あの男、高下駄だったよな? 一体どんな身体能力だ」
最早遠くに去ったバンカラ男を思い浮かべつつ、彼は疑問を零したのだった。
新入生・
「なにこれぇ!」
梓は、動揺し切っていた。事態はあまりにも急であった。彼女は預かり知らぬことではあったが、正門前の騒動が原因で入学式は遅れに遅れていた。これから級友となる新入生仲間達は、悪態をつきつつも各々雑談に励んでいた。それが、三分前。
「…………っ!」
梓の前に座っていたはずの新入生が、突然倒れた。
「皆、離れて!」
梓は周りを促しつつ、素早く距離を取った。医者の娘である彼女は、突発の昏倒者に触れるのは危険だと知っていた。誰かの悲鳴が、近くで聞こえる。
次の瞬間。倒れたはずの新入生が、人にあるまじき早さで立ち上がった。しかし、その表情は異様だった。目は殺気で血走り、顔は憤怒の形相。髪の毛は逆立ち、なにか、大きなエネルギーを内在したかの如く、その身体は震えていた。
「――!」
震えを、エネルギーを解き放つかのように、異変新入生が叫びを上げた。瞬く間にホールの天井が爆ぜ、煙が上がった。そして、新入生は異形と化した。
ヒトの身体から背は曲がり。全身に毛を生やして辺り一帯を睨め付ける。その姿は、大型の猿を思わせた。
(まさか、『ニュートラルウィルスの急性症状』……!? いや、アレはそもそもレアな事案だったはず……)
頭の中に浮かんだ可能性を、梓は即座に打ち捨てる。しかし、これがいけなかった。思考に気を取られた彼女は、真っ先に逃げ延びた人々の群れから、かなり離れてしまっていた。
「――――!」
それに気付いた猿怪人の動きは、非常に素早いものだった。人ならざる声を上げ、梓に向けて飛び掛かる。
「くっ!」
気丈にも標準服のブレザーを狒々に向かって投げ捨て、逃走を図る梓。最近Gカップまで成長したバストが大きく揺れる。だが、そんな事を気にすれば生命が消える。
「バアアア!」
再び背中で声。妨害のブレザーを爪で切り裂いた猿怪人が、また吠えたのだ。そして、跳躍。彼我の距離、僅かに五メートル。一心不乱に逃げればいいものを、振り返ってしまった。怪人のおぞましい姿に、梓は、身が竦んでしまった。動けない。爪が迫る。小さく丸まり、目をつぶる。だが――。
全てが終わるはずのその瞬間は、来なかった。目を開けた梓の視野。それを外套が、猿怪人を隠すように覆っていた。爪は彼女の上、二メートルほどの位置で、外套の主に阻まれていた。
「早く逃げろ」
外套の主が言った。周りを見れば、他の新入生は教員に誘導されて出口へと向かっていた。騒がしくも統制され、外套の主と猿怪人の対峙を見守っている。一部の教師は刺股を構えていた。威圧行為である。
「なにこれぇ!」
それが正気に返った井伊梓の、第一声であった。
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