転生のトリックスター

柳郎

プロローグ

 眼下で燃え盛る炎。街中に飛び交う怒号と悲鳴が耳をつんざく。

 逃げ惑う人々を武装した兵士が斬り裂き、足蹴にして次の目標に斬り掛かる。女性も子供も関係なく行われる蛮行。その凄惨さは目を覆いたくなるほどだった。

 妙齢の女は、己のいる宮殿にも迫りつつある暴力の波を見下ろし、目に静かなる怒りを灯した。

 ――女神は人を救ってはくれない。

 これは幼い頃から、十何年も女神に祈りを捧げてきたからこそわかった、一つの事実だった。

 彼女は失望した。民に、兵士に、為政者に、そして誰一人として救わない女神に。

 だからこそ、彼女は望んだ。

 新たな女神の誕生を、新たな世界の秩序を――


 梟の不気味な鳴き声が木霊する夜。

 豪華な調度品や室内装飾品が並ぶ広い寝室。

 ベッドに掛けられた純白のシーツから、枯木のような手がのそりと這い出た。

 寝室の燭台に伸びた手は、いざ灯りを消そうと蓋を持って、その動きを止めた。

 何故だか妙な胸騒ぎを感じる。華美な寝巻きを着た老人は緊張で渇いた喉を鳴らした。

 この部屋の前では交替で衛兵が二人ずつ寝ずの番をしている。彼らの実力はこの国、ヴァロワール帝国軍兵士に例えれば玉座を守る親衛隊クラスで、すなわち熟練の兵士である。

 それに、この寝室へたどり着くまでの階下や吹抜けにも衛兵はいる。

 警備は厳重なはずだ。

 耳を澄ませ、周囲を警戒するも、聞こえてくるのはかすかに漏れ聞こえる衛兵らの談笑だけ。

 ――気のせいか。

 そう思い、老人が燭台の火を消そうとした時だった。

 大きな音を立て、両開きの窓が外に放たれた。


「何者だっ!!」


 皺の深い、弱々しい印象からは考えられない覇気の籠った声。

 老人は異常を衛兵に知らせると、同時に窓から距離を取った。


「如何なされました、ヨハネス様!」

「痴れ者か!」


 談笑を漏らしていたとは思えないほどの切り替えの早さで、衛兵二人が室内に駆け込んでくる。

 彼らは老人――ヨハネス・ユーバシャールを背に庇うと、手に持つ槍の矛先を侵入者へと向けた。

 そして問答無用に槍を侵入者へ向けて突く。

 こんな夜更けに、それも教皇の寝室に侵入してくるものなど、暗殺者以外には考えられない。

 ただの暗殺者ならば、この二つの槍に串刺しにされ、即座にあの世行きだろう。

 しかし――

 甲高い金属音が響き、槍が弾かれる。衛兵たちとヨハネスが驚愕を浮かべた。


「ええい、《聖炎セイントフレイム》!」


 ヨハネスから白く輝く炎が放たれる。炎か魔法自体に耐性を持たないものであれば、忽ち燃やし尽くされてしまう、炎と光両方の特性を持った上位の魔法だ。

 彼の保有する魔法の中で最も威力の高い魔法。必殺の一撃。

 だが彼の放った白炎は、侵入者を燃やすことなくその眼前で掻き消されてしまう。


『なっ――!』

「な、なんじゃと…………!」


 衛兵もヨハネスも目の前で起こった現象に目を見開いた。

 ヨハネスはこの国の中でも指折りの魔法使いであり、上位の魔物と対等以上に渡り合うことのできる勇者として名を馳せた人物だ。そんな彼の魔法を、魔法も使用せずに打ち消すなど、人間業ではない。


(――魔族……か? いや、それはありえない。彼奴らは一四〇年以上も昔、《聖女》エリザベスによって魔王を倒され、遥か西まで放逐されたはず!)

「ヨハネス様、ここは我々が引き受けます!」

「どうかお逃げください!」


 衛兵二人は死を覚悟し、


「あら……。自分の部屋へ帰ってきただけだというのに、随分なご挨拶ですのね」


 鈴の音のような声が響いた。

 白磁の肌に、その白に映える翠の瞳と黄金の長髪。ゆったりとした白の法衣は装飾が施されていて、彼女の身分の高さが窺える。

 こんな美しい女性が存在するのか、と衛兵らは月明かりに照らされた姿に目を奪われた。

 一方、ヨハネスはまるで幽霊でも見たかのように顔を蒼白にした。


「ま、まさか……ば、ばかな! そんなはずっ!」


 ヨハネスの狼狽っぷりは尋常ではなかった。

 この部屋には美しい女性の肖像画が飾ってある。モデルはヨハネスの七代前の教皇、《光の勇者》として名を馳せた、若かりし日の《聖女》エリザベス。


「あ……貴女様はぁッ――!!」


 ヨハネスは驚愕に打ちひしがれた。

 なぜなら、目の前の侵入者は、その肖像画聖女エリザベスと全く同じ顔をしていたのだから――


「エリザベス様……ほ、本当にエリザベス様なのですか!」


 燭台の蝋燭に灯った微かな灯りが、ヨハネスの双眸を照らす。その瞳は動揺に揺れ、頭の中は目の前の非現実にパンク寸前だった。

 衛兵二人もエリザベスを認識した途端、ヨハネスと同じ表情をした。


「本物ですよ。さっき、あなたの魔法を消して見せたでしょう?」


 エリザベスは表情を和らげ、聖母のような微笑みを向ける。


「私以外に《魔法無効化ニュートライズマジック》を持つ者は存在しない。そうでしょう、ヨハネス?」

「わ、私の名を? た……確かに、そうですが……。しかし……」

「ほ、本物……? 本物のエリザベス様……、なのか……?」

「っ……そ、その槍は……いったい」


 衛兵の一人がエリザベスの右手の槍に目を向けた。

 長さは三メートルほど。柄は約二メートルで色は純白、槍頭は七〇センチほどの白刃、石突は純白の短剣でできている。まさに、聖女に相応しい秀麗な槍だった。

 兵士の言葉を受け、ヨハネスもエリザベスの右手を見る。


「そ、その槍は、聖槍マルテ! バカな、それは地下の霊廟に保管されてあるはず――ッ!」


 と、言葉を紡いで、ヨハネスははっと気付いた。

 このブリュール宮殿では代々、聖者――人々のために尽くしたと認められた教徒――の遺体を地下にある霊廟に保管している。

 エリザベスは死後に聖者として棺に納められた。

 死者を収めた棺には、死体の腐敗・変質を防ぐ保存の魔法が掛けられているが、彼女が死んだのは齢七〇の老婆になってからだった。

 ヨハネスは以前、第四九代目教皇となった就任式の日に、式の一環でエリザベスの死体を一度目にしている。

 ――そうだ。死者が甦ることなんてありえない。仮に甦ったとしても、老婆の姿でないのは奇妙だ。

 霊廟に行く仕掛けをクリアできるのは枢機卿以上の位階を持つ者だけ……。

 それに聖槍マルテであれば、上位以下の光系統の魔法――《聖炎》ならば打ち消すことが可能だ。

 目の前の彼女は偽物で、つまりは枢機卿の中の誰か、もしくは総司教が仕向けた刺客なのではないか?

 エリザベスと同じ顔も、変化の魔法を使えば一時的とはいえ、変えることが可能だ。その証拠として、彼女からは変化の魔法から生じる『魔力の歪み』の様なものを感じる。

 そう考えるが、確信がない。


「ヨハネス様! 何事ですか!?」

猊下げいか! 如何いかがなされた!」


 上階の騒ぎを聞きつけたのだろう。階下の警備を行っていた衛兵らと、階下の部屋に寝泊まりしている神経質な面をした枢機卿の男が一人、寝室に駆け込んできた。


「むっ! 貴様何者だ!?」

「教皇の寝室に立ち入るとは、不届き者め!」


 新たな衛兵二人がエリザベスに槍の矛先を向けて威嚇する。


「猊下、この者は……一体……? いや、こ、この、お方は……」


 それに対して、枢機卿の男――テオドール・オイゲンは裂けんばかりに目を開いて、驚愕を露わにした。

 エリザベスは帝国含むこの大陸の人々の悲願であった、前人未到の『魔王討伐』を成し遂げた伝説の勇者だ。それに加えて神々しささえ感じさせる美麗な容姿は、数多の教徒に『彼女自身』を崇拝させた。

 オイゲンはその新興派の一人であり、自室にエリザベスの肖像画をいくつも置くような狂信者だった。


「テオドール・オイゲン卿。貴方は私を信じてくださいますよね?」


 ヨハネスに向けた笑みをオイゲンへと向ける。

 ――御尊顔が微笑みかけている、私に。

 ――救世主であられる我らの女神が、この私に笑みを向けて下さっている。

 突如押し寄せた多幸感に、オイゲンの頭の中は真っ白になった。


「ぁ……ああ、ああぁっエ、エリ、エリエリ、エリザベス様ぁ! き、きしゃまらぁ! 槍を下げひょ!」


 狂喜のあまり、呂律が回っていない。

 彼の豹変に、衛兵は驚いて慌てて槍を引っ込める。

 目の前の得体の知れない者に、オイゲン卿は呑まれかけている――

 演技か? 演技だったら大した役者だと言いたいが、この発狂ぶりは違うだろう。

 ヨハネスはこのままではまずいと判断し、


「オイゲン卿! オイゲン卿!! 今すぐ衛兵を連れ、地下霊廟へ参れ!」

「――――へ? ぁ、お、お見苦しい姿を……、申し訳ありません! ですが、げ、猊下、なぜ私が霊廟へ?」


 ヨハネスの怒声で落ち着いたかに見えたが、彼はやはり混乱してるらしい。

 ――彼は黒幕ではなさそうだ。

 ヨハネスはエリザベスを警戒しながら、オイゲンに告げる。


「霊廟にエリザベス様のご遺体が在るかを確認せよ」


 聞こえたその台詞に、エリザベスは小さく鼻で笑った。


「エリザベス様の、でございますか?」

「そうだ。早くせぬか!」

「猊下。お言葉ですが、エリザベス様はここに――」

「馬鹿者! 目を覚まさぬか! エリザベス様はヴァルハラへ行かれたのだ! このような場所に居られるはずがなかろう!」


 ヴァルハラ――女神パレイアを崇拝するパレイア教においては、女神の教えに殉じ、教徒を正しく導いた聖人のみが死後招かれる楽園のことをいう。

 教会内の常識ではエリザベスは死後、女神パレイアから天上にあるヴァルハラへ招かれたことになっている。

 その彼女が、神の楽園へと旅立ったお方が、現世に戻ってくることなどありえない――ヨハネスはそういって、オイゲンを諭した。


「ヴァルハラ――! そ、そうでした! ですが、だとしたら、ここにおられるのは……」

「オイゲン卿、考えるのは後だ!」

「は、かしこまりました! 衛兵! 共をせよ!」


 踵を返し、オイゲンと衛兵二人が部屋を後にする。

 三人が寝室から出ていったと同時に、ヨハネスは衛兵二人に右手を前に出すゼスチャーを送る。

 指示を受けた衛兵二人が、槍をエリザベスに突き出す。その一連の動作に、先ほどの迷いは見られなかった。


「……あら。あらあら。やっぱりこうなるのですね」


 笑みを消し、やれやれ、といった風にエリザベスは肩を竦める。


「エリザベス様はヴァルハラに居られる。私の魔法を掻き消したのは、その聖槍マルテの力であろう。あやうく騙されるところでしたぞ」


 さて――と言葉を一旦区切り、ヨハネスはエリザベスの姿を双眸におさめ、


「目的はやはり、私の暗殺ですかな? 貴女の飼い主は誰ですか?」


 その質問に、エリザベスは口端を小さく上げた。

 彼は気持ちの良いくらい、思い通りに勘違いをしてくれているようだ。

 ここまで全てが彼女の思い通りだった。彼らは動揺し、冷静さを失っている。

 しかしそれも仕方ないことだった。そもそも死者が甦ることなんて、ただの一度も起きたことがないのだから。それが目の前に現実として現れたとなったら、誰しもが狼狽えてしまうだろう。

 かくいうヨハネスもエリザベスを衛兵に攻撃させず、オイゲンに霊廟に安置している彼女の遺体を確認させに行ったのは、彼が目の前の存在を否定しつつも心の奥底では期待しているからだ。

 死者の復活という、ありえない『女神の奇跡』を。


「私の飼い主? そうですね。強いて言うなら『女神』……でしょうか」

「戯言は言うべきではありません。暗殺者が女神の使いを自称しますか! パレイア教皇たる私の前で女神を侮辱するなどっ!」

「ふふっ……。侮辱などしていません、直ぐにわかりますよ」


 そういってくすくすと笑うエリザベスに、ヨハネスは目つきを鋭くした。

 それから衛兵に槍を突き付けられた状態で、数分の時間が経つ。

 階下からドタドタッと、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。

 そして、息を切らせたオイゲンが顔を真っ青にして駆け込んできて――


「げ、猊下!! エリザベス様の、エリザベス様のご遺体がっ!! なっ――無くなっておりました――――!!」


 ヨハネスらは驚愕に目を見開いた。


 ◇


 五日前――

 聖暦一四六年二月二〇日。

 ヴァロワール帝国の隣国、キーリス王国王都ブリュッセン。

 魔王が倒され改暦が行われて一四五年、この王都は随分と治安が良くなった。街中に点在する警備兵のおかげか、日中であれば女子供が護身具を持たずに出歩いても、無事に帰って来れるほどだ。

 この王都の様子を見て、一昨年終戦したばかりで、おおよそ一六年もの間帝国と戦争――国境間での小競り合いばかりだったが――をしていたとは、とても信じられないだろう。

 だが戦争が終結したとはいえ、魔王が倒されて以来、種族の覇権を得た人々は幾度も同族同士で争いを繰り広げている。この大陸に存在する四大国は常に、どこかの国と争っている。現時点では、王国の北東に位置するトゥメール公国と、西から北までに位置するムルジア連邦が戦争の間っ只中だ。

 そんな不安定な世界情勢の中、一応の平和が成り立った国の王都に存在する王立学園。修行年齢は一六歳から。修行年限は三年。

 次期王宮官僚を教育するために創立されたこの学園には、貴族諸公や、上流階級市民の子息らが通っている。

 学園三年生の教室に終業を告げる二つの鐘の音が響き渡った。

 教卓から教師が離れると、オズワルド・レイヴンズは鞄を手に持って席を立った。

 少し癖のある黒髪に、深い青の瞳が特徴的な青年だ。彼は首から下げている十字状のネックレスを胸元にしまい、


「あら、オズ。もう帰るの? 昨日みたいにパレイア教会の分厚い本は読んでいかないんだ? 『教会の偉人』だっけ?」


 一人の女生徒がオズワルド――オズに声を掛けた。どこか怜悧さを感じさせる少女だ。

 彼女は、黒を基調としたシックな制服のスカートを翻し、オズの前に立った。


「ん? あれは読みこんだから、もう読まないぞ」

「ふぅん、早いわね。ねえ、いきなり教会の本なんて読み出してどうしたのよ。貴方も御父様のように入信するの?」

「父はパレイアじゃなくて、アルタミラ教徒だ。アルタミラはともかく、パレイア教徒になるつもりはないよ」


 パレイア教とは、女神パレイアを信仰する宗教で、主にヴァロワール帝国で広く布教している。王国での主な宗教は、パレイア教を基に作られたといわれているアルタミラ教――主神をアルタミラ、パレイアを第二の神とする宗教――だ。


「じゃあ、なんで読んでたの? 一昨日なんて帝国の魔法院の研究著書読み漁ってたし」

「それは…………すまない」


 オズは軽く頭を下げた。


「ふ~ん。言いたくないんだ? ……じゃあ、はぐらかされておいて上げる。ねえ、オズ。途中まで帰る道同じだし、一緒に帰りましょ」


 この女生徒と話しているせいで、その他貴族諸侯の子息たちの視線がオズに向く。

 女生徒が首を傾げてこちらの反応を窺うと、さらさらとしたセミロングの薄い菫色の髪が肩から滑っていく。

 彼女はもう少し己の立場を自覚した方がいいのではないか。オズはため息をついた。

 しかし断ったら余計に注目を集めるだろう。


「わかった。途中まで帰ろう」

「おっけー。じゃあ、鞄取ってくるわね」


 本当はこの隣を歩く女生徒にはご遠慮願いたいところだが、断ると彼女は面倒なのだ。どうしても、といつも食い下がってくる。

 校門を抜け、舗装された石畳の道を二人並んで歩く。


「私たちってさ、一ヶ月後には卒業でしょ。オズは卒業した後の事って決まってるの?」


 穏やかな帰路の途中、そんなことを訊いてきた。


「父の補佐か、宮仕えだろうな。おそらく補佐の方が確率濃厚だが」

「ふぅん。そうなんだ」

「ラウラは『勇者』だけど、どうなるんだ? どこかの部隊に配属か?」

「それはないわよ。御父様やその取り巻きの貴族たちは皆、私を王国軍の守護者にしたがっているわ」


 勇者は昔の認識では、魔王に対抗できる存在という意味合いが強かったが、現在は少々異なっている。今は、常人よりも秀でた《基礎能力ステータス》または強力な異能を有した個人、もしくは双方を有する個人を示す。

 異能は一般に《祝福アビリティ》――女神パレイアが新たな魂の誕生祝いとして授ける特別な力、という認識で広まっている――と呼ばれていて、人によっては稀に二つ有している。

 勇者の数は少なく、約一〇〇〇万の王国民のうち、生者で確認できている者は目の前のラウラ・レーゲンを含めて六人。現役といえる者はさらに少なく五人しかいない。彼らは国家が求める戦闘能力においても、並みの者で一騎当千の戦力を持っていると云われており、勇者の質と数、それに近しい能力を持つ者たちで軍事力が決定するのがこの世界の常識だった。

 それゆえ、勇者は国によって管理されている。

 私生活は公人に監視され、危険人物ではないか審査され、彼らの将来は国が決める。


「へえ、凄いな。王国守護者は軍の顔と云っていい存在だぞ。国民的名誉だろう。君の父上もさぞ喜ぶんじゃないか?」


 少しおどけた様子でオズがいった。


「家の事とか、名声の問題じゃないわ」


 そう言ってラウラはオズの青い瞳を見つめる。

 その瞳からはどことなく、反抗の意志が見て取れた。


「なら、どんな問題なんだ?」

「……私、本当は花屋をやりたいのよ」

「どうして花屋なんだ?」


 訊くと、ラウラは目を伏せ、儚げな表情を見せて理由を話し始めた。

 彼女は自由を求めていた。

 幼い頃から誰かに覗かれた生活など、もうウンザリ。侯爵家の娘としての義務だとか、立場だとか、そんなものには縛られたくない――ということらしい。

 花屋を営みたいというのは、彼女が花が好きだからのようだ。何時も身に付けている、青い花をあしらった髪飾りもその影響だろう。


「それでね。お客さんのその時そのときの心と季節に合わせて、お客さんに合った花を選ぶの。私が選んだお花で、その人を笑顔にできたら素敵でしょ? ……どう?」


 どこかで聞いたような台詞だった。


「《氷の女王》とかいわれてる君がか? 花も客の心も凍りつきそうだ」


 薄幸の美少女然とした顔が豹変した。

 ラウラは牙を剥き出しにする勢いで、


「ちょっと、その言い方傷つくんだけど。それは帝国の連中が勝手に呼んでるだけでしょ! 好きで《氷の勇者》になったんじゃないんだから! なんなら、オズが代わりになってみる?」

「――悪かった、冗談だよ。俺に勇者は荷が勝ち過ぎてる」


 嘘だ。

 ラウラは嘘だと思った。

 明確な根拠はないが、一度オズを能力を測定する魔導具――魔石と呼ばれる人工石を用いて作られたアイテムで、その機能と形状は多岐にわたり、人々の生活に密着している――でこっそり測った時、失敗したのを覚えている。

 おそらく観測を阻害する魔導具か、何らかの阻害魔法だろう。

 それに本当はオズは、特別な《祝福》を持っているはずだ。彼の身体能力や魔法の才からして戦闘向きなものではないだろうが……。

 どういう理由で自分の能力を隠しているのか。彼女は疑問に思うが、訊くことは憚られた。

 ――今は無粋なことを訊く気分じゃない。

 彼女は少しでも陽だまりにいる様な、そんなこのひと時を楽しみたかった。


「本当に悪かったって思ってる?」


 長い銀色の髪を揺らして頬を小さく膨らませるラウラに、オズは苦笑を浮かべた。


「思ってるよ」

「なら、私が店を開いた暁には、貴方がお客さん第一号になること!」


 いい? とラウラはオズに念を押す。

 何の邪念も籠っていない、純粋な目だ。

 オズは彼女の真っ直ぐ見つめてくる、アイスブルーの瞳から目を逸らした。


「覚えていたらな」

「駄目よ。私が覚えてるから」

「なら、店を開いたら教えてくれ」

「ふふふ……真っ先に伝えるわ。――っと。あなたと話をしているとあっという間ね」


 そういって立ち止まったラウラの視線の先、舗装された道が二又に分かれていた。

 ここがいつも二人が別れる道だ。


「それじゃあね、オズ」

「……またな」


 穏やかな別れだった。ラウラからすると胸が少し暖まるような、そんな感じだった。

 ラウラの上機嫌な鼻歌は、父からの急な連絡が入ってくるまで続いた。


  ◇


 懐中時計を取り出して時間を確認する。少し予定の時間よりも遅れている。

 オズはレイヴンズ伯爵家の別荘に帰宅すると、部屋に荷物を置いて黒い制服からカーキ色のカジュアルな服装に着替え、執事やメイドらの目を掻い潜って急いで裏庭の林道を駆けた。

 途中から林道を逸れ、鬱蒼とした茂みを抜ける。

 一際大きな樹木のふもとまで行くと、彼は足で地面を叩いた。

 すると、地面にぽっかりと穴が開いた。

 落下式の隠し扉だ。

 中からは亜麻色の髪をした同年代の若い女性が顔を覗かせた。血のような赤い瞳、気品がありながらも淫魔のごとき色気と美しさを併せ持った女性だ。彼女はフリルのついた白いフォーマルな服に黒いショートパンツ、膝下までのロングブーツ、黒のケープを羽織るといった服装をしていた。


「予定よりも少し遅れたな。何かあったのか?」


 女性――カーラがオズに訊いた。外見に見事マッチした、凛々しい声と口調だ。


「ラウラだよ。まったく、今日に限ってはいい迷惑だ」


 オズはカーラから自然な流れで視線を外していった。彼の口から出た既知の名に彼女は、


「ああ、ラウラか」


 と納得して、微笑ましそうに笑った。


「まあいいさ。ここで話をしていると誰かに見つかる可能性がある。降りるぞ、オズ」


 カーラが周囲を見回しながらいった。誰か、とは当然屋敷の者たちの事だ。この地下施設はもちろん、特に彼女の存在は秘中の秘である。

 オズは彼女の意見に同意して先行させると、梯子に足をかけて扉を閉める。

 次いで彼女が《光源ライト》の魔法を唱えると、真っ暗な地下が明るく照らされた。

 梯子は短く、ほんの数秒で底に足が着いた。


「おっと、忘れるところだった」


 そういうと、数段の短い梯子を引き返した。

 次いで「土砂グランドカバー」、と土の下位魔法を唱えて隠し扉を土で覆った。


「あぶないあぶない。誰かにここがバレでもしたら、大変なことになっていたな」

「悪いな。まあ、確かに誤魔化すのは厳しいだろう」


 オズはカーラの言葉に頷いた。

 梯子から手を放した彼女が、すとん、と降りてくる。


「カーラ。準備はできているのか?」


 訊くと、カーラは口元に小さい笑みを作って、


「とっくにできてる」


 当然だろう、といった体で答えた。その返答を聞いたオズは、上出来だな、と頷いた。

 とある事情でカーラは、三年前からこの地下施設で暮らしていたのだが、今日、故郷である帝国へ帰ることとなっていた。準備とはその事に関してだ。

 長い階段を下り、光に照らされた道を進む。

 照らされる道をそのまま真っ直ぐ進むと、白亜の石壁にぶち当たった。

 カーラは石壁に手を当て、『微電流エレクトロ』という雷の下位魔法を放つ。

 電流が壁を走ると、石壁が徐々に横にスライドしていく。魔法によるギミックの隠し扉だ。

 隠し扉の奥は広間だった。中は周りに照明の魔導具が設置されており、明るい。

 裏庭並みの広大な広間には、明かりを反射する大量の薬瓶やフラスコ、擂鉢が不気味なほどに長方形のテーブルの上に規則正しく並べてあった。これら以外にも、青い液体の入った小瓶や赤い液体を容れた試験管が雑多に置かれている。

 その中でも最も目を引いたのはフラスコの中身だった。

 小人。

 中に膝を抱えて座り込んだ小人がいるのだ。その姿は様々で、青年や中年に女性、少年少女から老人までいる。

 これらはホムンクルスと呼ばれる錬金術の傑作であり、失敗作であった。

 なぜ、傑作と呼ばれながらにして失敗作なのか。

 その理由は、最高峰の錬金術師でも難易度の高い生命創造の錬金術でありながら、ホムンクルスがフラスコ内でしか肉体を維持できないからだった。

 人というのは肉体と魂があって初めて生命いのちとなる。しかし『人造人間』であるホムンクルスには『魂』がなかった。

 外界から隔絶された、存在をそのままの姿で閉じ込めておく独自の世界――触媒のフラスコを割れば、小人は等身大の不老の人として生まれ落ちる。しかし魂がないため、彼らは生命として成り立たず、数分もしない内に朽ちてしまう。

 そんな失敗作を、おおよそ三年の年月をかけて大量に製作した人物を見つけ、オズは声を掛けた。


「カリオストロ……おい、カリオストロ!」

「……んぉ? もしかして寝てたか?」


 長方形のテーブルを挟んだ向かい側で、小瓶と試験管のブランケットを押しのけ、老人が起き上がった。口元にたっぷりと蓄えられた髭、深い皺の年季の入った風貌。まるで、お伽噺に出てくる賢者さながらだ。

 何日もの間不眠不休で研究に没頭していたせいか、老人――カリオストロは体のだるさを感じた。気だるげに頭をぼりぼりと掻いては大きな欠伸をする。


「ふあ~…………」

「頼んでおいたものは作れたか?」

「むぅ……あそこにある」


 オズの問いに眠そうに答え、カリオストロは頭上のテーブルの上を指した。

 指先の直線上、そこには丸みを帯びた植物の葉のレリーフが特徴のブレスレットが置いてあった。

 ぱたり、と持ち上がっていた右手が力なく落ちる。どうやらカリオストロは再び眠りについたようだ。

 卓上に置かれたブレスレットを手に取り、左腕に着ける。すると、レリーフの中心に赤い石が突如として現れた。赤い石は魔石と呼ばれる石――つまり、このブレスレットは魔導具だ。

 オズが装備した瞬間に魔石が見えるようになったのは、この魔石には認識阻害の魔法が掛けられているからだった。他者から見ればこれは魔導具ではなく、ただの洒落たブレスレットにしか見えない。


「カーラ、すぐに帝国へ向えるか?」


 オズが訊くと、カーラは肩を竦めた。


「オズ、準備ができているといったな。あれは嘘だ」

「なに?」

「というのが嘘だ」

「……カーラ、お前な」

「ふふふ……。ちょっとした冗談だよ」


 カーラがにやにやしながら挑発した。彼女はこうやってよくふざける。そして、そのターゲットはほぼオズだった。

 オズはかぶりを振って、こめかみを押さえた。挑発に乗れば、彼女は嬉々としてさらに薪をくべるだろう。


「あ~あ……。どうせペアなら、指輪の方が面白かったな」


 呟いたカーラの左手首には、オズのブレスレットと同じものが着けられていた。


「無茶を言うな。それはブレスレット型しか出回っていないんだ」

「へえ、そうだったっけ?」

「ああ、そうだ」

「なんだ。つまらないな」


 オズが答えると、カーラは面倒臭そうに、テーブルの上に置かれた皮のポーチを腰につけた。彼女は辺りを見回して忘れているものがないか確認すると、「あいつ」、と突然オズの背後を指さした。

 彼女の指した方を向けば、そこには黒髪の少女がいた。深い青の瞳に、白い透き通った肌と鼻筋の通った花のかんばせ。カーラとは毛色の違う、『可愛らしい』という言葉がぴったりな少女だ。

 指をさされ、カーラにじっと見つめられた少女は、少し驚いた表情でカーラに視線を向けた。


「こいつ、このホムンクルスの名前なんだっけ?」

「ミリィだ」オズが答えた。

「ふん……ミリィね。可愛らしい名前じゃないか。なあ、オズ。これ連れてって良いか? 国境へ着くまでの暇潰しの話し相手になって貰おうと思ってさ。国境までの二日間、馬車移動だけとかつまらなくて死にそうだ」

「駄目だ。ミリィはカリオストロの補佐の役割を担っている。ここからは離れられない」

「ええー……。そこをなんとかできないのか? ……じゃあ、ホムンクルスなら誰でもいいから」

「……全員一人残らず役割がある」


 オズが拒否すると、カーラは片眉を吊り上げた。


「わかったよ。あ、そういえば……馭者がホムンクルスだったっけ?」

「ああ。サビノだな」

「ふぅん……」


 先ほどとは打って変わって、カーラは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 ――こいつ、また何か意地の悪いことをする気か?

 オズは彼女の表情に嫌な予感を覚えた。

 カーラは類稀なる才能を持った『帝国の勇者』だが、性格に若干クセ、、がある。気まぐれで悪戯好き。悪い意味で妖精のような女だ。

 どうしてこういう性格なのか、オズは不思議でならなかった。


「カーラ、そろそろ行ってくれないか?」


 とオズが痺れを切らせた。


「はいはい、わかったよ」


 カーラは左手をひらひら振って、踵を返す。

 静寂になった地下に、こつこつという足音が木霊した。

 一定のリズムを刻むその音は、まるで始まりを告げる鐘の音のようだった。

 彼女は新たな争いの火種。期間を置かずに再び帝国と戦争が起きるだろう。

 ――ようやくだ。ようやく、俺たちの悲願が成就する。

 カーラの姿が見えなくなると、オズは争いの後に生まれる『理想郷』に想いを馳せた。

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